エントロピーを渡さずエネルギーだけ渡す 香港城市大学が量子の理論で示す
香港城市大学などのチームが、量子の混合状態の分け方が 1 通りでないことを使い、エントロピーを受け手に移さずエネルギーだけを渡せる源の範囲を理論で広げた。ボルツマンのエントロピーの式で読める結果で、実験はこれから。
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香港城市大学(CityUHK)物理学科のオスカー・ダールステン准教授らのチームが、エントロピー(乱雑さ)を受け手に移さずにエネルギーだけを渡す「決定論的なエネルギー収穫」を起こせる源の範囲を、理論で広げた。鍵は、量子の混合状態を純粋状態の混ぜ合わせとして書く方法が 1 通りでないことである。論文は 2026 年 7 月 27 日にアメリカ物理学会の論文誌 Physical Review Letters(137 巻 050201)に載り、大学は 10 月 20 日に発表した。
共著者は香港城市大学の Zihan Wang 氏と、グラスゴー大学と香港城市大学に籍を置く Fei Meng 氏である。
背景
振動や電波のような身の回りの源から取り出すエネルギーは、ゆらぎを伴う。一方、電池の充電や電子機器の動作には、予測できる電圧のような決まった入力が要る。ふつうは整流器で直流にするが、論文によれば、電圧の低い場面では損失が大きく、その一部は原理的に避けられない。避けられない分まで無くせるとすると、整流器は熱のゆらぎだけから直流の電圧を作れてしまい、熱力学の第二法則に反するからである。
別の道として、量子系を間に置く方法がある。熱平衡でない一部の源に使える方法である。受け手(収穫器)を、エネルギーの低い状態 から高い状態 へ、決められた源のどれが来ても同じ時刻に必ず移す。論文はこれを決定論的なエネルギー収穫(DEH)と呼ぶ。Meng 氏とダールステン氏らは 2025 年の Physical Review A の論文で、源を古典的な波として扱う近似のもとでこの仕組みを調べていた。残っていた問いは、どんな源ならこれができるか、である。ダールステン氏は大学の発表で、初めはそうした手順が不可能かもしれないと示すつもりだったと述べている。ところが研究を進めると、求めていた収穫を起こせる量子の方法に行き着いたという。
分かったこと
量子論では、同じ混合状態が、いくつもの純粋状態の混ぜ方で書ける。混合状態の分解が 1 通りでないのである。一方、収穫器がどうなるかは、源の状態を表す密度行列 だけで決まる。そこで論文は次のことを示した。いくつかの源が、同じ時刻にどれも収穫を起こすとする。すると、それらの混合も、同じ混合状態の別の分解に出てくる純粋状態も、収穫を起こす。元の純粋状態のどんな重ね合わせも同じである。
具体例は、1 個の 2 準位系と、光の 1 つのモードがやりとりするジェインズ・カミングス模型である。光の振動数が 2 準位のエネルギーの差にちょうど合う(共鳴する)とき、光子が 個ある状態から、収穫器が光子を 1 個吸って上の状態に移る確率は、時刻 で次のようになる。 は結合の強さである。
この模型では、2 準位系の励起の数と光子の数の合計が変わらない。そのため は とだけ行き来し、この 2 つの状態についてシュレーディンガー方程式を解くと上の式が出る。 では となり、 が奇数の で 1、偶数の で 0 になる。それ以外の では 0 と 1 の間で、たとえば では約 0.63 である。光子が 0 個なら、どの時刻でも 0 である。
光子数 1 と 9 の状態を半分ずつ混ぜた源 では、どちらの場合も確率が 1 なので、収穫器は確実に上がる。同じ は を半分ずつ混ぜたものとも書ける。だから や だけでも、さらに のどんな重ね合わせでも、収穫は起こる。レーザー光のようなコヒーレント状態は、あらゆる光子数を含むので、収穫は近似的なものにとどまる。
公式とのつながり
この結果はボルツマンのエントロピーで読める。
は、同じ確からしさで起こりうるミクロな状態(並び方)の数である。収穫器は から始まり、終わりには確実に にいる。どちらも状態が 1 つに決まっているので 、 である。エネルギーは 2 準位のエネルギーの差 だけ増えるが、エントロピーは 0 のままである。一方、半分ずつ混ぜた源 は、 と のどちらか分からない状態で、、 の乱雑さを持つ。それでも収穫器には乱雑さが移らない。「エネルギーは渡すが、エントロピーは渡さない」とはこのことである。論文には書かれていないが、当サイトで式を追って確かめると、源は光子を 1 個失い、終わりには と が半分ずつの状態になる。乱雑さは源に残っている。
確率がそろっていないときは、ギブズの形を使う。
シャノンの情報エントロピーと、定数と対数の底を除けば同じ形である。シャノンの式で数えると、この源の乱雑さは、表と裏が半々の硬貨と同じ 1 ビットにあたる。量子では に密度行列の固有値を入れ、フォン・ノイマンのエントロピーと呼ぶ。 の固有値は と である。固有値は密度行列だけで決まるので、 で分けても で分けても、エントロピーは同じ である。分け方が違っても、どんな測定でも区別できず、収穫の結果も同じになる。論文の議論は、分け方が区別できないこの性質を土台にしている。
熱力学とも食い違わない。論文は、熱平衡の状態(ギブズ状態)の光を源にすると、ジェインズ・カミングス模型とそれに近い 2 つの模型で、厳密な収穫が起こらないことも示した。熱平衡の光には、光子 0 個の状態のように収穫を起こさない状態が必ず混ざる。そのため、どの時刻でも収穫器を確実には上げられない。論文はこれを熱力学の第二法則と矛盾しない結果としている。大学の発表の題は「物理の限界を打ち破る」とうたうが、論文が示したのは第二法則を破ることではない。熱平衡でない特定の源で、受け手にエントロピーを移さずにエネルギーを渡せること、そしてそうした源の集まりを広げる方法である。
これから
結果は理論と数値計算によるもので、実験ではまだ確かめられていない。論文は、2 準位系をリュードベリ原子で作る共振器量子電磁力学や、超伝導回路を使う回路量子電磁力学の実験で、原理を確かめられる見込みがあるとしている。源の状態が少しずれても、終わりの収穫器の状態のずれは、初めの源のずれより大きくならないことも示した。大学は、交流を直流に変える整流器の損失を減らす道として、IoT 機器やウェアラブル機器、スマートシティのセンサー、6G の機器への応用を見込んでいる。これは大学の見通しであり、論文が示したのは理論の枠組みと模型での計算である。
出典
- 香港城市大学「CityUHK researchers shatter physical limitations and reveal a quantum pathway to entropy-free energy transfer」(2026年10月20日)
- Z. Wang, F. Meng, O. Dahlsten「Nonunique Decompositions of Mixed States and Deterministic Energy Transfers」Physical Review Letters 137, 050201(2026年7月27日)
- グラスゴー大学 Enlighten(同じ論文の受理稿)