アローザのクリスマス
1925 年の終わり、エルヴィン・シュレーディンガーはチューリッヒ大学の教授で、38 歳だった。チューリッヒでは、大学とスイス連邦工科大学(ETH)が合同で物理のコロキウムを開いていた。取りまとめていたのは ETH のピーター・デバイである。
当時学生だったフェリックス・ブロッホは、50 年後の 1976 年に、そのときのことを『フィジックス・トゥデイ』に書いている。デバイはシュレーディンガーに、ルイ・ド・ブロイの学位論文を紹介してほしいと頼んだ。電子のような粒子にも波が伴う、という論文である。説明が終わると、デバイは何気なく、この話し方はずいぶん子どもっぽいと言った。波を本気で扱うなら、波動方程式が要る、と。
数週間後、シュレーディンガーは次のコロキウムを「同僚のデバイが、波動方程式を持つべきだと言った。それを見つけた」という言葉で始めた、とブロッホは書く。ただしブロッホ自身、聞いた言葉をそのまま再現することはできないと断っている。コロキウムの日付も書いていない。
その間の 1925 年のクリスマスの休みに、シュレーディンガーはスイスの山の保養地アローザへ行き、ヴィラ・ヘルヴィヒに泊まった。以前に結核の療養で過ごした土地である。妻のアニーはチューリッヒに残った。12 月 27 日にアローザから雑誌『アナーレン・デア・フィジーク』の編集者ヴィルヘルム・ヴィーンに出した手紙には、新しい原子の理論と格闘していること、固有振動数が水素のエネルギーの段になるような振動する系を示せそうだ、ということが書かれている。
誰かが一緒だったと考えられているが、それが誰かは分かっていない。1989 年に伝記(邦訳『シュレーディンガー その生涯と思想』)を書いたウォルター・ムーアも、相手を突き止められなかった。ムーアは同じ本で、友人の数学者ヘルマン・ワイルの言葉として、シュレーディンガーは人生の遅い時期の恋の爆発のさなかに大きな仕事をした、と紹介している。山の宿の恋の話は、この 1 行と状況から広まったものである。
記録で確かめられるのは日付のほうである。最初の論文「固有値問題としての量子化」は、1926 年 1 月 27 日に雑誌に届いた。同じ題の論文はその年のうちに 4 本になり、波動力学ができあがった。
起源
20 世紀の初め、原子の中の電子は謎だった。1913 年にニールス・ボーアは、水素原子の電子は決まったエネルギーの段にしかいられない、と仮定した。この仮定で水素の出す光の波長は説明できたが、なぜ段が飛び飛びなのかは説明できなかった。
1924 年、ルイ・ド・ブロイは学位論文で、運動量 の粒子には波長 の波が伴う、と考えた。アインシュタインは 1925 年の気体の統計の論文でこの考えに触れた。シュレーディンガーは 1926 年 4 月のアインシュタインへの手紙で、あの論文がド・ブロイの考えの大切さに気づかせてくれなければ、自分はこの仕事を始めなかった、と書いている。同じ 1925 年には、ヴェルナー・ハイゼンベルクが行列を使う別の形の量子力学を発表していた。
シュレーディンガーは最初、相対性理論に合う形の波動方程式を試したと伝えられる。水素に当てはめると、スペクトル線の細かい分かれ方(微細構造)が実験と合わなかった。電子のスピンがまだ知られていなかったためである。彼はこの形を脇に置き、電子の速さが光よりずっと遅い場合の式で論文を書いた。相対論の形は、のちにクライン・ゴルドン方程式と呼ばれる。
1926 年の 4 本の論文は、第 1 報で水素のエネルギーの段を、境界の条件を満たす解が飛び飛びにしか無いことから導いた。第 2 報で振動子と回転する分子、第 3 報で電場の中の水素を扱い、第 4 報で時間を含む式を書いた。同じ年、ハイゼンベルクの行列力学と数学的に同じ中身であることも示している。
波動関数 が何を表すのかは、シュレーディンガー自身にもはっきりしなかった。1926 年、マックス・ボルンは粒子の衝突の論文の校正の段階で注を足し、 の絶対値の 2 乗が、粒子がそこに見つかる確率を表すと述べた。シュレーディンガーはこの確率の解釈を最後まで好まなかった。1933 年、シュレーディンガーはポール・ディラックとともにノーベル物理学賞を受けた。ボルンの受賞は 1954 年である。
式の組み立てと確かめ
シュレーディンガー方程式は、もっと基本的な法則から証明される式ではない。量子力学の出発点に置く仮定である。ここでは、自由な粒子の波から式の形を決め、箱の中の粒子で答えを確かめる。 とする。
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自由に飛ぶ粒子に、向きのそろった波(平面波)が伴うとする。
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ド・ブロイの関係と光のエネルギーの関係を、波数 と角振動数 で書く。
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時間で 1 回微分すると、エネルギーが掛かる。
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位置で 2 回微分すると、運動量の 2 乗が掛かる。
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古典力学では、エネルギーは運動エネルギーと位置エネルギーの和 である。3 と 4 をこの関係に当てはめる。
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が時間によらないとき、 とおくと、時間を含まない式になる。第 1 報の式はこの形である。
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幅 の箱の中()で、壁で とする。6 の解のうち条件を満たすのは ()だけである。
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よってエネルギーは飛び飛びの値しかとれない。ボーアが仮定で置いた段が、波の境界の条件から出てくる。
手順 5 は、2 つの関係を当てはめただけである。正しいかどうかは実験が決める。水素原子に を入れて解くと が出る。ボーアの式と同じ値で、水素の光のバルマー系列の波長を再現する。この式に従うかぎり、 を空間全体で足した値は時間がたっても変わらない。確率の合計は 1 のまま保たれる。
1927 年には、クリントン・デイヴィソンとレスター・ジャーマーが、ニッケルの結晶に当てた電子が波のように回折することを確かめた。1989 年には日立製作所の外村彰らが、電子線を 2 つの道に分ける装置に電子を 1 個ずつ通し、点が少しずつ集まって干渉の縞になる様子を記録した。1 個の電子の行き先は偶然で決まり、たくさん集めると の形が現れる。
応用
箱の中の電子とナノ粒子。 手順 8 の式に、電子の質量 kg と nm を入れると、 J、つまり約 0.38 eV になる。 はその 4 倍の約 1.50 eV で、差の約 1.13 eV は、波長およそ 1100 nm の赤外線の光子 1 個のエネルギーにあたる。箱を小さくすると、段の間隔は で広がり、出る光は青い側へずれる。数 nm の半導体の粒(量子ドット)の色が大きさで変わるのはこのためである。実際の粒では 3 次元の形や結晶の中の電子の振る舞いが効くが、小さいほど青くなる向きはこの式のとおりになる。量子ドットはディスプレイの発色に使われ、その発見と合成には 2023 年のノーベル化学賞が贈られた。
トンネル効果。 壁の高さ が粒子のエネルギー より高くても、壁の中で波は ()のように減りながら続き、反対側へ少しだけ抜ける。差が 4 eV の壁なら、電子の はおよそ である。壁が 0.1 nm 厚くなると、抜ける確率は 倍、およそ 8 分の 1 になる。1981 年に IBM チューリッヒ研究所のゲルト・ビーニッヒとハインリッヒ・ローラーが作った走査型トンネル顕微鏡は、針と表面の間を流れるトンネル電流のこの鋭さを使い、原子 1 個の凹凸を見分ける。フラッシュメモリーも、薄い絶縁膜を通り抜ける電子で書き込みと消去をしている。
化学の計算。 分子の形、結合の強さ、反応の起こりやすさは、原子核と電子のシュレーディンガー方程式を近似で解いて求める。新しい薬や電池の材料は、作る前に計算機で候補を絞り込むことが多い。
図示
壁で必ず 0 になるという条件が、波の数を半波長の整数倍に限る。弦の振動で音の高さが飛び飛びになるのと同じ仕組みが、エネルギーの段を生む。
シミュレーション
波束(波のかたまり)が左から壁に当たる。太い線は粒子の見つかる確率 、細い線は波の実部である。つまみでエネルギー 、壁の高さ 、壁の幅 を変えると、 でも一部が壁を抜けることが分かる。壁が厚いほど、また高いほど、抜ける量は急に減る。
広がる学問
- 物理学 原子・分子・固体の性質は、この式の解として説明される。電子のスピンと相対性理論を取り込んだ形がディラック方程式である。位置と運動量を同時に決められない不確定性原理も、波動関数の広がりとして読める。
- 化学 原子の軌道の形(s・p・d)は、水素原子の解の形そのものである。分子の結合や反応を計算する量子化学では、ウォルター・コーンとジョン・ポープルの方法が 1998 年のノーベル化学賞を受けた。
- 工学 半導体のバンド構造、トランジスタの漏れ電流、量子ドットやレーザーの設計は、結晶の中でこの式を解くことから始まる。
- 情報科学 量子コンピュータの量子ビットは、この式に従って時間とともに変わる。量子ゲートを作ることは、時間発展を表すユニタリ行列を設計することにあたる。
- 数学 右辺は、関数に働く作用素(ハミルトニアン)として読める。ジョン・フォン・ノイマンは 1932 年の『量子力学の数学的基礎』で、これをヒルベルト空間の自己共役作用素として整理した。作用素のスペクトルの理論は、量子力学とともに育った。
参考文献
- E. Schrödinger, "Quantisierung als Eigenwertproblem (Erste Mitteilung)", Annalen der Physik 79 (1926), 361-376.
- E. Schrödinger, "Quantisierung als Eigenwertproblem (Vierte Mitteilung)", Annalen der Physik 81 (1926), 109-139.
- M. Born, "Zur Quantenmechanik der Stoßvorgänge", Zeitschrift für Physik 37 (1926), 863-867.
- F. Bloch, "Heisenberg and the early days of quantum mechanics", Physics Today 29(12) (1976), 23-27.
- Walter J. Moore, Schrödinger: Life and Thought, Cambridge University Press, 1989.
- A. Tonomura, J. Endo, T. Matsuda, T. Kawasaki, H. Ezawa, "Demonstration of single-electron buildup of an interference pattern", American Journal of Physics 57 (1989), 117-120.