鍛冶屋の槌
1〜2 世紀ごろの数学者、ゲラサのニコマコスは『ハルモニア論の手引き』の第 6 章に、ピタゴラスがどうやって協和音の数の比を見つけたかを書いている。
ピタゴラスは、目には定規やコンパスがあるように、耳にも頼れる道具を作れないかと考えながら歩いていた。鍛冶屋の前を通りかかると、金床の鉄を打つ槌の音が、オクターブ、5 度、4 度の和音になって聞こえた。中に入って確かめると、音の違いは打つ人の力でも、槌の形でも、鉄の置き方でもなく、槌の重さから生まれていた。
家に帰ったピタゴラスは、壁に打った 1 本の杭から同じ弦を 4 本下げ、槌と同じ重さのおもりを吊るした。重さは 12、9、8、6。12 と 6 の弦を一緒に鳴らすとオクターブ(2:1)、12 と 8、9 と 6 は 5 度(3:2)、12 と 9、8 と 6 は 4 度(4:3)、9 と 8 は全音(9:8)になった、とニコマコスは書く。
この話は、4 世紀はじめのイアンブリコス『ピタゴラス的生き方について』や、6 世紀はじめのボエティウス『音楽教程』に受け継がれた。ボエティウスの本は中世ヨーロッパの大学で音楽の教科書として読まれ、槌の話は 1000 年以上にわたって繰り返し語られた。
ただし、話のとおりには鳴らない。槌の音の高さは重さの比では決まらない。弦におもりを吊るす実験も、16 世紀に確かめられた。ガリレオ・ガリレイの父で音楽家のヴィンチェンツォ・ガリレイは、1589 年の著作で、おもりの比を 2:1 にしてもオクターブにはならないと書いた。オクターブを出すには、おもりを 4 倍にしなければならない。音の高さは張力の平方根に比例するからである。
比の数そのものは正しかった。間違っていたのは、その比を生む仕組みの説明である。伝説が史実かどうかは分からない。ピタゴラス本人の書いたものは残っていない。
起源
弦の長さと音の高さの関係は、伝説より確かな形で記録に残っている。同じ張り方の弦で、鳴る部分の長さを 1/2 にすると 1 オクターブ上、2/3 にすると 5 度上、3/4 にすると 4 度上の音が出る。古代ギリシャでは、1 本の弦の下に動かせる駒を置いた道具「カノーン(モノコード)」で、この比を確かめた。紀元前 300 年ごろのエウクレイデスの名で伝わる『カノーンの分割』は、音程を数の比として扱い、弦のどこに駒を置けばよいかを計算している。
中国では、『管子』地員篇や紀元前 239 年ごろにまとめられた『呂氏春秋』に、管や弦の長さを 3 分の 1 だけ短くしたり長くしたりして音階を作る「三分損益法」が書かれている。2/3 と 4/3 の比を交互に使うやり方で、ピタゴラス音律と同じ考え方である。
長さのほかに、張力と弦の太さが音の高さを決めることを、数の関係として書いたのは、フランスの修道士マラン・メルセンヌである。1636 年の『普遍的調和』で、振動数は弦の長さに反比例し、張力の平方根に比例し、同じ材料なら弦の直径に反比例すると示した。いまも「メルセンヌの法則」と呼ばれる。メルセンヌは、ふつうの音が 1 秒間に何回振動しているかを、初めて数で見積もったとされる。目で数えられるほどゆっくり振動する長い弦を使い、そこから比例で求めたと伝えられる。
力学から式を導いたのは、イギリスのブルック・テイラーで、1713 年の論文で基音の振動数を計算した。1747 年にはジャン・ル・ロン・ダランベールが弦の運動を偏微分方程式(波動方程式)として書き、一般の解を示した。どんな形の振動まで正弦波の和で表せるかをめぐる、ダランベール、オイラー、ダニエル・ベルヌーイの論争は、のちのフーリエ級数につながった。
証明
張力 、線密度(1 m あたりの質量) の弦が、両端を距離 だけ離して固定されている。位置 、時刻 での弦の横のずれを とし、ずれと傾きは小さいとする。
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長さ の小さな部分を考える。両端で張力 が弦の向きに引く。傾きが小さいとき、張力の縦の成分は なので、縦の力の合計は
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この部分の質量は なので、運動方程式は
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で割り、 とおくと、波動方程式になる。
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形を保ったまま上下に振れる解 を入れると、 となるので
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左端 では で、固定の条件を満たす。右端 でも動かないためには 、つまり
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振動数は なので
が基音、 が倍音である。弦をはじくと、これらが同時に鳴る。倍音の振動数は基音のちょうど整数倍になる。19 世紀のヘルムホルツは、単純な整数比の 2 音が澄んで聞こえるのは、2 つの音の倍音の多くが重なり、うなりが少ないためだと説明した。
単位も確かめておく。 の単位は N を kg/m で割った m²/s² で、 は弦を伝わる波の速さになる。それを往復の長さ で割ると、1 秒あたりの回数になる。
応用
ギターの弦の張力。 ギターの 1 弦(高い E、329.6 Hz)は、鳴る部分の長さがおよそ 0.648 m、線密度がおよそ 0.40 g/m である。式を張力について解くと なので
になる。7 kg あまりのおもりを吊るすのと同じ力で張られている。
フレットの位置。 12 平均律では、半音ごとに振動数が 倍になる。振動数は長さに反比例するので、半音上げるには鳴る部分を 倍に短くする。弦長 648 mm なら、1 つ目のフレットは端から mm、12 番目のフレットはちょうど半分の 324 mm の所にくる。フレットの間隔が高い音ほど狭くなるのは、このためである。
調律。 糸巻きを締めて張力を強めると、音は上がる。半音上げるには、張力を 倍、つまり 12 % ほど強めればよい。
ハーモニクス。 弦のちょうど中央に指を軽く触れたままはじくと、中央が節になる振動だけが残り、基音は消えて 1 オクターブ上の が鳴る。端から 1/3 の所に触れれば 、1/4 なら である。ギターやバイオリンのハーモニクス奏法は、図示の下の振動の形を、指で選び出している。
ピアノの低音弦。 ピアノの低音の弦は、鋼の芯に銅線を巻いて重くしてある。線密度 を大きくすれば、弦を長くしなくても振動数を下げられる。
図示
シミュレーション
弦をドラッグして引き、離すと、はじいた形が基音と倍音の重ね合わせとして振動する。下の棒は、それぞれの倍音の大きさである。弦の中央をはじくと偶数番目の倍音が消え、端の近くをはじくと高い倍音が増える。長さ ・張力 ・線密度 を動かすと、基音の振動数と音名が変わる。
広がる学問
- 音楽 楽器の設計、調律、音律(ピタゴラス音律・純正律・平均律)の違いは、弦の長さと振動数の比で説明される。5 度(3:2)を 12 回重ねると で、7 オクターブの より約 1.4 % 高い。このずれ(ピタゴラス・コンマ)をどこに振り分けるかが、音律の歴史である。
- 物理学 両端を固定された弦が決まった振動数だけをとる「固有振動」は、いちばん簡単な例である。原子の中の電子のエネルギーが飛び飛びになることも、同じ考え方で説明される。
- 数学 弦の振動をめぐる 18 世紀の論争は、関数とは何か、どんな形が三角関数の和で書けるかという問いを生み、フーリエ解析につながった。
- 工学 斜張橋やつり橋のケーブルの張力は、ケーブルの振動数を測り、この式から求めることがある。
- 医学 声の高さは、声帯の長さ・張力・重さで決まる。輪状甲状筋が声帯を引き伸ばして張力を上げると、声は高くなる。
参考文献
- ニコマコス『ハルモニア論の手引き』第 6 章(Flora R. Levin, The Manual of Harmonics of Nicomachus the Pythagorean, Phanes Press, 1994)
- ボエティウス『音楽教程』第 1 巻 10〜11 章
- Vincenzo Galilei, Discorso intorno all'opere di messer Gioseffo Zarlino da Chioggia (Florence, 1589).
- Marin Mersenne, Harmonie universelle (Paris, 1636).
- Brook Taylor, "De motu nervi tensi", Philosophical Transactions 28 (1713), 26-32.
- H. Floris Cohen, Quantifying Music (Reidel, 1984).