神が書いた記号か
ゲーテの『ファウスト』第 1 部、「夜」の場面。学問に絶望したファウストは、ノストラダムスの書を開き、大宇宙のしるしを目にして叫ぶ。
「この記号を書いたのは神だったのか。わたしの内の荒れ狂いを静め、哀れな心を喜びで満たし、不思議な力で、まわりの自然の力をあらわにするこの記号を」
1893 年、オーストリアの物理学者ルートヴィッヒ・ボルツマンは、『マクスウェルの電気と光の理論についての講義』の第 2 部を出した。その序文の冒頭に、この一節を題辞として掲げている。ボルツマンが引いたのは 4 行で、ゲーテの原文とは行の順と言葉が少し違う。
序文の続きは、こうである。第 1 部への批評のうちで最も貴重だったのは、いちばん短い、ある友人の「この本は高い」という一言だった。だから第 2 部では、イギリス人が好んで本に付ける余白の注や図版の飾りはやめた。題辞だけは残した。お金がかからないからである。そしてボルツマンは、この題辞はマクスウェルの電気と磁気の理論についての自分の考えを言い表している、と書いた。
2 年前の第 1 部の序文も、『ファウスト』の言葉を少し変えた 2 行で始まっていた。「こうしてわたしは苦い汗を流して、自分でも知らないことを教えねばならない」。電気の本当の正体について講義しようとする者ほど、この言葉が身にしみる者はいない、とボルツマンは書いている。
ボルツマンがマクスウェルの方程式を初めて見て「これを書いたのは神か」と叫んだ、という話もよく語られる。記録に残っているのは、この講義録の題辞である。
起源
1820 年、デンマークのエルステッドは、電流を流した導線のそばで方位磁針が振れることを見つけた。電気が磁気を生む。1831 年、イギリスのマイケル・ファラデーは、その逆に、磁石を動かすとコイルに電流が流れること(電磁誘導)を見つけた。ファラデーは数式を使わず、空間に張りめぐらされた「力線」の絵で電気と磁気を考えた。
スコットランドのジェームズ・クラーク・マクスウェルは、ファラデーの力線を数式に書き直すことから始めた。1861 年から 62 年の論文「物理的な力線について」では、空間を、回転する小さな渦と、その間で回る小さな車輪の機械として描いた。この模型を組み立てるうちに、電流が無くても、電場が変化するだけで磁場が生まれるという項(変位電流)を加える必要に気づいた。
この模型の中を伝わる横波の速さは、電気と磁気の実験から計算できた。ヴェーバーとコールラウシュが測った値を使うと、秒速約 31 万 km。フィゾーが測った光の速さは秒速約 31.5 万 km だった。1861 年 10 月、マクスウェルはファラデーへの手紙で、この 2 つの数がほとんど同じであることを知らせた。翌年の論文には、こう書いている。「光は、電気と磁気の現象の原因となっている同じ媒質の横波である、という結論を避けることは、ほとんどできない」。
1865 年の論文「電磁場の動力学的理論」で、マクスウェルは機械の模型を外し、方程式だけで理論を組み直した。成分ごとに書くと、20 個の変数についての 20 本の式になる。いまの 4 本のベクトルの式に整理したのは、イギリスのオリヴァー・ヘヴィサイドと、ドイツのハインリヒ・ヘルツで、1880 年代半ばから 1890 年にかけてのことである。
1887 年から 88 年にかけて、ヘルツはカールスルーエで、火花を飛ばす装置から電磁波を出し、離れた所の輪の隙間に小さな火花が飛ぶことで受け取った。波長を測り、反射・屈折・偏りが光と同じように起こることを確かめた。マクスウェルは 1879 年に亡くなっており、この実験を見ていない。
証明
4 本の式は、それぞれ次のことを言っている。1 本目、電場の線は電荷から出て電荷に入る(ガウスの法則)。2 本目、磁場の線には始まりも終わりも無い。3 本目、磁場が変化すると、そのまわりに渦を巻く電場ができる(ファラデーの電磁誘導の法則)。4 本目、電流と、電場の変化が、そのまわりに渦を巻く磁場をつくる(アンペール・マクスウェルの法則)。
4 本目の最後の項が、マクスウェルの加えた変位電流である。これが無いと、どんなベクトル場でも なので となり、コンデンサーに電荷がたまる場面で電荷の保存と矛盾する。加えた項はちょうどその矛盾を消す。
ここから、電荷も電流も無い真空で、電場が波として伝わることを導く。
-
真空では 、 なので、4 本の式は
-
3 本目の両辺の回転(rot)をとる。
-
ベクトルの恒等式と、1 本目の から、左辺は
-
右辺に 4 本目を入れると
-
これは速さ で伝わる波の方程式である。
-
真空の誘電率 F/m と透磁率 H/m を入れると
磁場 についても同じ手順で同じ波の方程式が出る。電気と磁気の机の上の実験だけで決まる 2 つの定数から、光の速さが出てくる。
応用
アンテナの長さ。 電波の波長は である。FM 放送の 80 MHz なら m で、よく使われる半波長のアンテナは約 1.9 m になる。スマホの電波は 1〜6 GHz ほどで、波長は 5〜30 cm と短く、アンテナは本体の中に収まる。
電子レンジ。 電子レンジは 2.45 GHz の電磁波を使う。波長は cm である。庫内には波の山と谷が並ぶ場所ができ、温まりにくい所が生じる。ターンテーブルが回るのは、食品をその模様の中で動かすためである。
発電機と IH 調理器。 3 本目の電磁誘導の式は、磁石とコイルを回して電気を起こす発電機の原理である。IH 調理器は、コイルに交流を流して変化する磁場をつくり、鍋の底に渦を巻く電流を起こして、鍋そのものを発熱させる。スマホのワイヤレス充電も、同じ電磁誘導で電気を送っている。
光の速さで決まる時間。 電磁波は 1 ナノ秒(10 億分の 1 秒)に約 30 cm しか進まない。GPS は衛星からの電波が届くまでの時間で距離を測るので、時計が 10 ナノ秒ずれるだけで、位置は 3 m ずれる。
図示
シミュレーション
中央の点は電荷で、線はそのまわりの電場である。電荷が止まり、すっと動いて、また止まると、電場の線に折れ目ができ、その折れ目が一定の速さで外へ広がっていく。電荷が動いたことは、遠くには光の速さでしか伝わらない。この折れ目が電磁波である。電荷をドラッグして動かすこともできる。線は、距離 の所を、時間 だけ前に電荷がいた位置から引くという簡単な近似で描いている。止まった電荷のまわりの線と、折れ目が広がる様子はこれで表せる。ただし見やすいように電荷を光速の半分ほどまで速く動かしているので、動いている間の電荷の近くの線の形は正確ではない。
広がる学問
- 物理学 マクスウェル方程式では、光の速さが 1 つの定数として現れる。これがどの観測者にも同じだとすると、速さを足し引きするニュートン力学の考え方と食い違う。この矛盾を解くために、1905 年、アインシュタインは「動いている物体の電気力学について」で特殊相対性理論をつくった。質量とエネルギーの等価性はその帰結の 1 つである。
- 工学 発電機、変圧器、モーター、アンテナ、電子回路の設計は、どれもこの方程式の上にある。電磁界の数値計算は、スマホや車の電子機器が互いに乱し合わないかを確かめるのにも使われる。
- 情報科学 無線 LAN、携帯電話、衛星通信、光ファイバーは、電磁波で情報を運ぶ。運べる情報の量は、使える周波数の幅で決まる。
- 医学 MRI は、強い磁場の中の水素の原子核に電波を当て、返ってくる電波から体の中の断面を画像にする。
- 天文学 電波望遠鏡は、目に見えない波長の電磁波で宇宙を観測する。1965 年に見つかった宇宙マイクロ波背景放射は、宇宙の始まりの名残の電磁波である。
参考文献
- J. C. Maxwell, "On Physical Lines of Force", Philosophical Magazine, Series 4, 21-23 (1861-1862).
- J. C. Maxwell, "A Dynamical Theory of the Electromagnetic Field", Philosophical Transactions of the Royal Society of London 155 (1865), 459-512.
- L. Boltzmann, Vorlesungen über Maxwells Theorie der Elektricität und des Lichtes, I. Theil (Leipzig: J. A. Barth, 1891), II. Theil (1893).
- J. W. von Goethe, Faust. Der Tragödie erster Teil (1808), 「夜」の場面.
- H. Hertz, Untersuchungen über die Ausbreitung der elektrischen Kraft (Leipzig, 1892).
- Bruce J. Hunt, The Maxwellians (Cornell University Press, 1991).