34 年眠った論文
1865 年 2 月 8 日と 3 月 8 日、モラヴィアの町ブリュン(いまのチェコのブルノ)の自然研究協会の例会で、聖トマス修道院の修道士グレゴール・メンデルが、8 年かけたエンドウの交配の実験を報告した。論文「植物雑種の研究」は翌 1866 年、協会の紀要に載った。
反応はほとんど無かった。メンデルはミュンヘンの植物学者カール・ネーゲリに論文を送り、何年も手紙をやりとりした。ネーゲリが研究していたミヤマコウゾリナ属(ヒエラキウム)でも同じ規則が成り立つかを確かめようと、メンデルはこの植物の交配に取り組んだ。結果はエンドウのようにきれいには分かれなかった。この仲間の多くが受粉せずに種子をつくることは、のちに分かる。1868 年に修道院長になると、メンデルは院の務めに追われ、1884 年に亡くなった。
1900 年、オランダのユーゴー・ド・フリース、ドイツのカール・コレンス、オーストリアのエーリヒ・フォン・チェルマクが、それぞれ自分の交配の実験を発表し、同じ規則を 34 年前にメンデルが書いていたことに触れた。これが「メンデルの再発見」と呼ばれる出来事である。イギリスのウィリアム・ベイトソンは 1902 年、論文の英訳を収めた本でこの規則を広め、のちにこの学問に genetics(遺伝学)という名を与えた。
ダーウィンの書斎にメンデルの論文が読まれないまま置かれていた、という話もよく語られる。しかし、ダーウィンがこの論文を受け取ったことを示す記録は見つかっていない。
再発見から 36 年後、統計学者ロナルド・フィッシャーは論文「メンデルの研究は再発見されたのか」で、メンデルの数を 1 つずつ調べ直した。期待どおりの比からのずれを という量で測り、すべての実験について足し合わせると、自由度 84 に対して 41.6 にしかならなかった。偶然に任せて、これ以上ぴったり合う確率は 10 万分の 7 ほどである。フィッシャーは、ほとんどの実験のデータはメンデルの期待に近づくよう手が加えられている、と書いた。ただしメンデル本人を責めることはせず、期待される答えを知りすぎた助手がいた可能性に触れている。
この「データが良すぎる」問題は、いまも決着していない。2008 年、フランクリンらは論争の主な論文を 1 冊にまとめ、『メンデル・フィッシャー論争を終わらせる』と題した。それでも編者たちは、良すぎるという点そのものは残ると認めている。
起源
雑種をつくって子の姿を調べる研究は、メンデルより 100 年前からあった。18 世紀のケールロイターはタバコの雑種をつくり、19 世紀のゲルトナーは膨大な数の交配を記録した。メンデルは論文の冒頭でこうした先人の名を挙げたうえで、雑種の子がどんな形で、いくつずつ現れるかを、世代ごとに数で確かめた実験はまだ無い、と書いている。
メンデルは 1851 年から 2 年間、ウィーン大学で学んだ。物理はドップラー効果で知られるクリスティアン・ドップラーの研究所で学び、数学や植物学の講義も受けた。実験を組み立て、数で確かめる物理のやり方が、のちの交配の実験に生きたと見る研究者は多い。
材料にはエンドウを選んだ。種苗商から 34 品種を取り寄せて 2 年間育て、代を重ねても形が変わらない 22 品種を残した。比べた形質は 7 つである。種子の形(丸・しわ)、子葉の色(黄・緑)、種皮の色、さやの形、さやの色、花の付く位置、茎の高さ。どれも、2 つの形のどちらかがはっきり出る。
メンデルの工夫は、形質を 1 つずつ分け、子と孫の数を数え、比で考えたことにある。純系どうしをかけ合わせると、雑種の第 1 代はすべて一方の形になる。その雑種どうしから生まれる第 2 代では、隠れていた形がふたたび現れる。種子の形では丸 5474 粒としわ 1850 粒、子葉の色では黄 6022 粒と緑 2001 粒で、どちらもほぼ 3 対 1 だった。7 つの形質を合わせると 14949 対 5010、比は 2.98 対 1 である。
メンデルはこの結果を、雑種には 2 種類の因子が入っていて、花粉と卵細胞をつくるときに同じ数ずつ分かれて入る、と説明した。第 2 代は と書いた。いま使う , , の書き方は、のちの人が整えたものである。
現れる側の形質を顕性、隠れる側を潜性という。日本遺伝学会は 2017 年、それまでの「優性・劣性」をこう言い換えることを提案した。形質の優劣を表す言葉ではないからである。
証明
分離の法則は、2 つの仮定から 3:1 を導く。1 つの形質について、個体は因子(いまの言葉で遺伝子)を 2 つ持つ。配偶子(花粉・卵細胞)をつくるとき、2 つの因子は分かれ、それぞれが確率 1/2 で 1 つの配偶子に入る。 を顕性、 を潜性とする。
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純系の親 の配偶子はすべて 、 の配偶子はすべて なので、第 1 代はすべて雑種になる。
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雑種 のつくる配偶子は、2 種類が半分ずつ。
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卵と花粉の出会いは独立なので、第 2 代の遺伝子型の確率は、2 つの配偶子の確率の積の和になる。
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と はどちらも顕性の形になる。
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よって第 2 代の形の比は
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第 2 代を自家受粉させ続けると、 と は同じ型の子だけを生み、 の子は半分だけが になる。第 代目の雑種の割合を とすると、メンデルが書いたとおり
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2 つの形質が別々に分かれるなら、それぞれの 3:1 を掛け合わせて
メンデルは、この説明から出る予言も確かめた。第 2 代で顕性の形を示した個体のうち、 と は 1:2 のはずである。自家受粉させると、実際に約 3 分の 1 は分かれず、約 3 分の 2 は 3:1 に分かれた。雑種を潜性の親にかけ戻す交配(いまの検定交雑)では、予言どおり 1:1 が出た。種子の形と子葉の色を同時に追った実験では、丸黄 315・丸緑 108・しわ黄 101・しわ緑 32 粒で、9:3:3:1 の期待値 312.75・104.25・104.25・34.75 に近い。
ずれの大きさは で測る。種子の形では、期待は 7324 粒の 3/4 で 5493 粒、1/4 で 1831 粒なので
となる。自由度 1 なら、ずれは偶然の範囲に十分収まる。フィッシャーが問題にしたのは、こうした小さな値が、どの実験でも続くことだった。もう 1 つの指摘は 1:2 の確かめ方にある。茎の高さなど株の形質では、顕性の株ごとに子を 10 株育てて、分かれるかを見た。 でも 10 株すべてが顕性になる確率は あるので、見かけの比は 1:2 ではなく約 1:1.7 になるはずだった。メンデルの数は 1:2 の方に近かった。
なぜ 1/2 ずつ分かれるのか。1902〜1903 年、サットンとボヴェリは、減数分裂で対になった染色体が 1 本ずつ配偶子に分かれる動きが、メンデルの因子の振る舞いと一致することを指摘した。分離の法則は、減数分裂という細胞の仕組みそのものだった。
応用
遺伝の相談。 両親がどちらも潜性の病気の因子を 1 つずつ持つ()とき、子が発症する()確率は 1/4 である。子が 4 人なら、少なくとも 1 人が発症する確率は になる。発症していない子が因子を持つ確率は 1/2 ではなく 2/3 である。発症していない子は か で、その比が 1:2 だからである。常染色体潜性遺伝の病気の遺伝カウンセリングでは、こうした計算を積み重ねる。
血液型。 ABO 式では と がどちらも現れ、 は潜性である。遺伝子型 の親と の親からは、AB 型・A 型・B 型・O 型の子が 1/4 ずつの確率で生まれる。A 型と B 型の親から O 型の子が生まれることは、分離の法則からそのまま出てくる。
品種改良。 欲しい形質が潜性なら、第 2 代でその形を示した個体はかならず で、以後は形が変わらない。顕性の形質を固定したいときは、検定交雑で と を見分ける。イネやコムギの交配による育種は、この考え方の上に組み立てられている。
図示
シミュレーション
親から配偶子を 1 つずつ引き、受精させて種子をまく。中が空の粒が黄、塗った粒が緑で、波打つ輪郭はしわの種子である。ます目の点が、いま引いた組み合わせである。数えた粒が増えるほど、黄色の割合は 3/4 のまわりの斜線の帯の中へ細く収まっていく。「AaBb × AaBb」に切り替えると、子葉の色と種子の形を同時に追い、9:3:3:1 が現れる。
広がる学問
- 生物学 分離の法則は、減数分裂で対になった染色体が分かれることの帰結である。親子でなく集団の中で因子の割合を数えると、ハーディー・ワインベルクの法則になる。
- 医学 常染色体の潜性・顕性の遺伝病で、次の子が発症する確率や保因者である確率を求める。保因者の確率 2/3 は、「発症していない」という情報で確率を改めるベイズの定理の例でもある。
- 農学 作物や家畜の交配による育種の土台である。欲しい形質の組み合わせが第 2 代にどの割合で出るかを分離の比から見積もり、何株育てればよいかを決める。潜性の形質を 2 つそろえた株は、16 株に 1 株しか出ない。
- 数学 第 2 代の比は の展開で、二項定理の最も小さな場合である。観測と期待のずれを測る 検定は、カール・ピアソンが 1900 年に発表した。メンデルの再発見と同じ年である。粒の数が多いとき、割合のばらつきは正規分布で近似できる。
参考文献
- Gregor Mendel, "Versuche über Pflanzen-Hybriden", Verhandlungen des naturforschenden Vereines in Brünn 4 (1866), 3-47.(邦訳: メンデル『雑種植物の研究』岩槻邦男・須原準平 訳、岩波文庫、1999)
- R. A. Fisher, "Has Mendel's work been rediscovered?", Annals of Science 1 (1936), 115-137.
- Allan Franklin, A. W. F. Edwards, Daniel J. Fairbanks, Daniel L. Hartl, Teddy Seidenfeld, Ending the Mendel-Fisher Controversy (University of Pittsburgh Press, 2008).
- William Bateson, Mendel's Principles of Heredity: A Defence (Cambridge University Press, 1902).
- Ana M. Pires, João A. Branco, "A Statistical Model to Explain the Mendel-Fisher Controversy", Statistical Science 25 (2010), 545-565.
- Karl Pearson, "On the criterion that a given system of deviations from the probable in the case of a correlated system of variables is such that it can be reasonably supposed to have arisen from random sampling", Philosophical Magazine 50 (1900), 157-175.