ハーディー・ワインベルクの法則

Hardy-Weinberg principle

クリケット仲間に頼まれ、純粋数学者が書いた短い手紙。

でたらめに相手を選ぶ大きな集団では、遺伝子型の割合は 1 代で p²:2pq:q² になり、以後変わらない。進化を測るときの基準の線。

年代
1908年
人物
G. H. ハーディー、ヴィルヘルム・ワインベルク、レジナルド・パネット、ユドニー・ユール、ウィリアム・キャッスル、カート・シュテルン
逸話

クリケット仲間の問い

1908 年 2 月 28 日、ケンブリッジの遺伝学者レジナルド・パネットは、ロンドンの王立医学協会で、メンデルの遺伝と病気について講演した。続く討論で、統計学者ユドニー・ユールがこう指摘した。人の短指症(指の骨が短くなる形質)が顕性の遺伝子で決まるなら、時がたつうちに、短指の人と普通の人は 3 対 1 になると考えられる。しかし実際はそうなっていない。パネットはこれを「なぜ国中が少しずつ短指になっていかないのか」という問いとして受け取り、その場では決め手となる答えを示せなかった。

パネットは 1950 年の回想「遺伝学の初めのころ」で、ケンブリッジに戻るとすぐ数学者 G. H. ハーディーを訪ねた、と書いている。2 人はよく一緒にクリケットをし、大学の入学試験にギリシア語を残す運動でも、そろって世話役を務めた仲だった。数学の問題として尋ねると、ハーディーはごく簡単だと答え、ほどなく答えの式を手渡したという。カレッジの夕食の席で尋ねた、という話もよく語られるが、それを示す記録は無い。

答えは 1908 年 7 月 10 日、アメリカの学術誌『サイエンス』に、編集者への短い手紙として載った。書き出しはこうである。専門の知識を持たない事柄の議論に口をはさむのは気が進まない。私の述べようとするごく単純な点は、生物学者にはよく知られているものと思っていた。そして、顕性の形質が集団全体に広がっていく傾向を持つとか、潜性の形質が消えていくとかいう考えには、まったく根拠が無い、と言い切った。

ハーディーは純粋数学の人だった。1940 年の『ある数学者の生涯と弁明』には、自分は「役に立つ」ことを何もしたことがない、と書いている。その名が、どの生物学の教科書にも載ることになった。この手紙が英国の『ネイチャー』でなくアメリカの『サイエンス』に出たのは、こんな簡単な結果に関わったことを数学の同僚に知られたくなかったからだ、という話もよく語られる。しかしパネットは 1950 年、シュテルンに宛てた手紙で、当時の『ネイチャー』はメンデル派にひどく敵対的で、メンデルの説に染まったものは何も載せなかったからだ、と説明している。

同じ年の 1 月 13 日、ドイツのシュトゥットガルトでは、開業医ヴィルヘルム・ワインベルクが地元の自然研究協会で講演し、人の遺伝を調べる方法として、同じ関係を導いていた。英語圏では長く「ハーディーの法則」とだけ呼ばれた。1943 年に遺伝学者カート・シュテルンが『サイエンス』でワインベルクの仕事を紹介し、2 人の名を並べて呼ぶようになった。

起源

1900 年にメンデルの規則が再発見されると、イギリスでは激しい論争が起きた。親子の身長のような連続した形質の相関を統計で調べる生物測定学派と、メンデルの規則を支持する学派の争いである。ユールの問いは、この争いの中で出てきた。

問いの芯は、2 つの比の取り違えにある。メンデルの分離の法則の 3:1 は、雑種 どうしをかけ合わせたときの子の比である。集団全体の中の顕性と潜性の比は、それとは関係なく、因子 と が集団の中にどれだけあるかで決まる。

ユール自身も 1902 年に、 と が半分ずつの集団では、任意交配で が保たれることを書いていた。カール・ピアソンも 1904 年に同じことを示している。2 人とも、メンデルの理論では と が半分ずつだと思い込んでいたらしい。アメリカのウィリアム・キャッスルは 1903 年、選択をやめると顕性の割合がそれ以上変わらないことを数の例で示したが、一般の規則としては書いていない。ハーディーとワインベルクは、 の割合がいくつであっても成り立つ一般の形を書いた。

ワインベルクはこの関係を、人の遺伝を調べる道具として使った。人では実験の交配ができない。集団の中の割合が釣り合いの形からどれだけずれるかを見れば、形質が遺伝するかどうか、どんな仕方で遺伝するかを推し量れる。ワインベルクは双子の統計の研究でも知られる。

この釣り合いには、もう 1 つ大事な性質がある。何かの理由で割合が崩れても、集団はもとの割合には戻らない。そのときの のまま、新しい釣り合いに 1 代で移るだけである。ばねのように引き戻す力ははたらかない。だから、割合を動かす力が少しでもあれば、その影響は世代を重ねて積み重なっていく。

証明

前提を置く。集団は十分に大きい。相手はでたらめに選ぶ(任意交配)。選択・突然変異・移入は無い。世代は重ならない。

  1. 親の世代の遺伝子型の割合を ()とする。 は因子 を 2 つ、 は 1 つ持つので、集団の中の と の割合は

  2. 配偶子は親の 2 つの因子のうち 1 つを受け取る。任意交配では、配偶子どうしがでたらめに出会うのと同じになり、1 つの配偶子が を持つ確率は

  3. 卵と精子(花粉)は独立に選ばれるので、子の遺伝子型の割合は

  4. 3 つを足すと 1 になり、漏れが無いことが確かめられる。

  5. 子の世代の の割合を計算すると

  6. が変わらないので、孫の世代も同じ になる。釣り合いには 1 代で達し、以後変わらない。釣り合いの条件を親の割合で書くと、ハーディーの手紙と同じ形の

観察でも確かめられている。イギリスの遺伝学者 E. B. フォードは著書『生態遺伝学』に、ヒトリガの仲間のガ(Callimorpha dominula)の羽の斑紋の型を数えた結果を載せている。1612 匹のうち が 1469、 が 138、 が 5 だった。ここから で、釣り合いから期待される数は 1467.4・141.2・3.4 になる。ずれは で、自由度 1 の 5% の境目 3.84 より小さい。人の血液型でも、多くの集団で釣り合いに近い割合が観察されてきた。

逆に、釣り合いから外れていれば、前提のどれかが崩れている。いとこ婚の多い集団では が少なく、 と が多くなる。ある型の子が生き残りにくければ、その型が期待より少なくなる。

応用

保因者の数。 潜性の遺伝病の子が 1 万人に 1 人の割合で生まれる集団では、 から 。保因者 の割合は で、約 50 人に 1 人になる。発症する人の約 200 倍である。潜性の因子の大部分は、症状の出ない保因者の中にある。発症した人が子を持たなければ病気は消える、という優生学の時代の考えが数の上でも成り立たないことを、この計算は示している。

X 染色体の上の型。 男性は X 染色体を 1 本しか持たないので、男性の中で型が現れる割合が、そのまま になる。女性で同じ型が現れるのは 2 本とも のときで、割合は である。生まれつきの赤と緑の色覚の型は、日本では男性の約 5%、女性の約 0.2% とされる。 なら で、近い値になる。

DNA 鑑定。 犯罪の捜査や親子の鑑定では、DNA のいくつもの場所の型を調べる。それぞれの型が集団の中でどれだけ出るかを や で見積もり、掛け合わせて、別人が偶然一致する確率を出す。使う場所が釣り合いに近いことを、前もって確かめておく。

データの点検。 何十万か所もの遺伝子の型を読む研究では、釣り合いから大きく外れた場所を、読み取りの誤りの疑いとして除く。

図示

左: 配偶子の A の割合 p と a の割合 q を縦横に取った正方形。面積が p²・2pq・q² に分かれる。右: 三角形の中の点が集団の遺伝子型の割合を表す(デ・フィネッティの図)。曲線が釣り合いの点の集まりで、ヘテロ接合が 0 の点も多すぎる点も、p を保ったまま 1 代で曲線に乗る。

シミュレーション

三角形の中の点が、いまの集団である。丸の並びは 240 個体の集団で、塗りつぶしが 、半分の塗りが 、白が である。少し止まったあと、点はまっすぐ上か下へすっと動き、1 代で曲線に乗る。点をドラッグすると、はじめの割合を変えられる。集団を小さくすると、点は曲線に沿ってふらつき(遺伝的浮動)、 の生き残りにくさ を上げると、曲線から少しずれたまま右へ進んでいく。

広がる学問

  • 生物学 進化とは、集団の中の因子の割合が変わることである。この法則は「何も起きなければ割合は変わらない」という基準の線を与え、自然選択・遺伝的浮動・突然変異・移動の強さを、そこからのずれとして測る。血縁者がどれだけ因子を共有するかの計算はハミルトンの規則の土台になる。
  • 医学 病気の頻度から保因者の頻度を見積もり、遺伝カウンセリングや新生児の検査の計画に使う。大規模な遺伝子の研究では、データの品質の検査に使う。
  • 数学 因子が 種類あれば の展開になり、二項定理が多項定理に広がる。釣り合いの点は 1 点でなく曲線の上に並び、押された分だけずれたままになる。1 点に引き寄せられるロジスティック方程式の釣り合いとは対照的な、中立な釣り合いの例である。

参考文献

  1. G. H. Hardy, "Mendelian Proportions in a Mixed Population", Science 28 (1908), 49-50.
  2. Wilhelm Weinberg, "Über den Nachweis der Vererbung beim Menschen", Jahreshefte des Vereins für vaterländische Naturkunde in Württemberg 64 (1908), 369-382.
  3. Curt Stern, "The Hardy-Weinberg Law", Science 97 (1943), 137-138.
  4. R. C. Punnett, "Early Days of Genetics", Heredity 4 (1950), 1-10.
  5. A. W. F. Edwards, "G. H. Hardy (1908) and Hardy-Weinberg Equilibrium", Genetics 179 (2008), 1143-1150.
  6. E. B. Ford, Ecological Genetics, 3rd ed. (Chapman and Hall, 1971).
  7. G. H. ハーディ『ある数学者の生涯と弁明』柳生孝昭 訳、シュプリンガー・フェアラーク東京、1994。

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