紙幣に刷られた曲線
1991 年 4 月、ドイツ連邦銀行は新しい 10 マルク紙幣を出した。表には、ゲッティンゲンの天文台長だったガウスの肖像と、ゲッティンゲンの古い建物と並んで、釣り鐘の形の曲線が刷られていた。正規分布のグラフである。裏には、ガウスが指揮したハノーファー王国の測量の三角網が描かれた。この紙幣は、ユーロに切り替わる 2001 年の末まで、法定の通貨として使われた。
この曲線の不思議さに打たれた人は多い。イギリスのフランシス・ゴルトンは、板に釘を三角形に並べ、上から小さな玉を落とす装置を作らせた。玉は釘に当たるたびに右か左に落ち、いちばん下の仕切りにたまる。どの玉がどこへ行くかは分からないのに、たまった玉の山は、いつも同じ釣り鐘の形になった。
ゴルトンは 1889 年の『自然的遺伝』でこの装置を説明し、こう書いた。「"誤差の頻度の法則" が表す見事な宇宙の秩序ほど、想像力に強く訴えるものを、私はほとんど知らない。ギリシア人が知っていたら、人の姿を与え、神として祀っただろう」。
フランスのポアンカレの『確率論』には、物理学者リップマンの、少し皮肉な言葉が書き留められている。「誰もがこの法則を信じている。実験をする人は数学の定理だと思い、数学者は実験で確かめられた事実だと思っているからだ」。
名前にも曲折がある。イギリスのカール・ピアソンは 1920 年に、こう振り返った。ラプラスとガウスの曲線を「正規曲線」と呼んだのは、どちらの国の名を付けるかという争いを避けるためだった。だがその名は、ほかの分布はどれも「異常」だと思わせてしまう、と。
起源
最初にこの曲線を書いたのは、ロンドンに住んだフランス生まれの数学者ド・モアブルである。1733 年 11 月の小冊子で、硬貨を何百回も投げたときの表の数の確率を、 の形の曲線で近似した。硬貨を 回投げる計算を、1 本の曲線で置き換えたのである。
ガウスがこの曲線に出会ったのは、天文学の問題である。1801 年 1 月 1 日、イタリアのパレルモでピアッツィが新しい天体ケレスを見つけた。ひと月あまり追ったところで、ケレスは太陽の光に紛れて見えなくなった。わずかな観測から軌道を決める方法を、24 歳のガウスが考え出し、位置を予報した。1801 年の大みそか、ゴータの天文台のツァッハが予報の近くにケレスを見つけ、ブレーメンのオルバースも確かめた。
ガウスは 1809 年の『天体運行論』で、その方法の根拠をまとめた。観測の誤差について「たくさんの観測の平均が、最も確からしい値になる」と仮定すると、誤差の分布はこの曲線になる。そしてこの分布のもとでは、誤差の 2 乗の和を最小にする答え(最小二乗法)が、最も確からしい答えになる。最小二乗法は 1805 年にフランスのルジャンドルが先に発表しており、ガウスが「自分は 1795 年から使っていた」と書いたことで、先取権の争いになった。
ラプラスは 1810 年に、たくさんの小さな独立な誤差を足し合わせると、もとの誤差の形によらず和がこの曲線に近づくことを示した。のちに中心極限定理と呼ばれる結果である。ベルギーのケトレーは 1840 年代、スコットランドの兵士 5738 人の胸囲の分布がこの曲線によく合うことを示し、人の体や社会の数字にも当てはめた。
証明
正規分布の形が出てくる理由を、1850 年にハーシェルが示し、1860 年にマクスウェルが気体の分子の速さに使った方法で導く。的に向かって矢を投げたときの、ずれ を考える。仮定は 2 つ。横のずれと縦のずれは互いに独立で、同じ分布 に従う。そしてずれの起こりやすさは、向きによらず、中心からの距離だけで決まる。
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2 つの仮定を 1 つの式にする。
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と置くと、手順 1 は、足し算が足し算に移るという式になる。連続な解は比例の形だけで、遠くほど起こりにくいので係数は負である。
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よって分布は次の形に決まる。
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全体の確率は である。ガウス積分から なので、
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ばらつきの大きさを分散 で表す。(手順 4 の式を で微分して得る)を使うと、
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を代入し、中心を にずらすと、正規分布の式になる。
自然の中で正規分布がよく現れる、より深い理由は中心極限定理である。独立な小さな要因をたくさん足し合わせると、和の分布は正規分布に近づく。この定理の厳密な証明は、1901 年にロシアのリアプノフが特性関数を使って与えた。長くなるので、ここでは道筋だけ示した。
応用
68・95・99.7。 平均 から の範囲に全体の 68.3 %、 に 95.4 %、 に 99.7 % が入る。この数を覚えておくと、外れた値がどのくらい珍しいかがすぐに分かる。
偏差値。 日本の模擬試験の偏差値は、得点を平均 50・標準偏差 10 に換算したものである。偏差値 50 がちょうど真ん中である。得点が正規分布に近ければ、偏差値 60 以上は上位 15.9 %、70 以上は上位 2.3 %、75 以上は上位 0.6 % になる。
測るほど正確になる。 同じものを 回測って平均をとると、ばらつきは になる。100 回測れば、1 回だけのときの 10 分の 1、1 万回なら 100 分の 1 である。ガウスが天体の位置を決めたときの考えが、いまも実験の誤差の計算の基本になっている。
工場の品質管理。 1924 年 5 月、アメリカのウェスタン・エレクトリック社の技師シューハートは、1 ページほどの覚え書きで管理図を示した。シューハートは翌年、新しくできたベル研究所に移る。管理図は、製品の寸法を作った順に点で打ち、平均から の所に線を引いたものである。線の外に出るのは 1000 個に 3 個ほどなので、それを超えたら、偶然ではなく機械の異常を疑う。
図示
曲線は平均 で最も高く、 で曲がり方が変わる(変曲点)。 を 2 倍にすると、曲線は横に 2 倍広がり、高さは半分になる。面積はいつも である。曲線はどこまで行っても にはならないが、急に小さくなる。平均から より外に出るのは、10 億回に 2 回ほどである。
シミュレーション
ゴルトンの板である。玉は釘に当たるたびに、確率 で右へ、 で左へ落ちる。玉がたまるにつれて、山は破線の正規分布の曲線に近づいていく。段の数 を増やすと山は広がり、 を変えると山の中心が へ動く。どちらの場合も、形は釣り鐘のままである。
広がる学問
- 天文学 ガウスがケレスの軌道を決めたときから、観測の誤差を正規分布で扱い、最小二乗法で軌道や星の位置を求めることが標準になった。
- 物理学 気体の分子の速度の各成分は、正規分布に従う(マクスウェル分布)。花粉の微粒子が水の中でふらつくブラウン運動の位置も、時間とともに広がる正規分布になる。
- 生物学 身長のように、多くの遺伝子と環境の小さな効果が足し合わさる形質は、正規分布に近い。ゴルトンとピアソンは、親と子の身長の関係を調べる中で、回帰と相関の考えを作った。
- 心理学 知能検査の点数は、平均 100・標準偏差 15 の正規分布になるように作られている。テストの点の換算や、2 つの集団の差が偶然かどうかの検定にも使う。
- 工学 製造のばらつきの管理や、通信の雑音の計算は、正規分布を前提にする。部品のずれが に収まるように設計の余裕を決める。
参考文献
- Abraham de Moivre, The Doctrine of Chances, 2nd ed. (London, 1738).
- C. F. Gauss, Theoria motus corporum coelestium in sectionibus conicis solem ambientium (Hamburg, 1809).
- Francis Galton, Natural Inheritance (Macmillan, 1889).
- Karl Pearson, "Notes on the History of Correlation", Biometrika 13 (1920), 25-45.
- Henri Poincaré, Calcul des probabilités, 2nd ed. (Gauthier-Villars, 1912).
- Stephen M. Stigler, The History of Statistics: The Measurement of Uncertainty before 1900 (Harvard University Press, 1986).