神話・言い伝え
ピタゴラスはこの定理を見つけたとき、喜びのあまり牛を百頭、神々に捧げた。古代から繰り返し語られてきた話である。
3 世紀ごろの伝記作家ディオゲネス・ラエルティオスは『ギリシア哲学者列伝』で、算術家アポロドロスの言葉として、ピタゴラスが「直角三角形の斜辺の上の正方形は、直角をはさむ 2 辺の上の正方形の和に等しい」と見つけたときに百頭の牛を捧げた、と書き残している。
一方で、ローマのキケロは『神々の本性について』でこの話を信じないと書いた。ピタゴラスは祭壇を血で汚すことを嫌い、デロスのアポロンにさえ生け贄を捧げなかった人だ、というのが理由である。
ピタゴラスの学派では、見つけたことは学派のものとして外に出さなかったと伝えられる。掟を破った人の話も残っている。メタポンティオンのヒッパソスは学派の秘密を漏らしたために海で死んだ、という言い伝えである。漏らした秘密が何だったかは伝える人によって違い、正十二面体の作り方とも、整数の比では表せない長さがあることとも言われる。
1 辺が 1 の正方形の対角線は、この定理から になる。この長さは、どんな整数の比でも書けない。「万物は数である」と考えた学派にとって、この定理は自分たちの世界の見方を揺るがすものでもあった。
どの話も、史実かどうかは分からない。ピタゴラス本人が書いたものは、1 行も残っていない。
起源
この関係は、ピタゴラス(紀元前 6 世紀)より 1000 年以上前から知られていた。
アメリカのイェール大学が持つ粘土板 YBC 7289(紀元前 1800〜1600 年ごろ)には、正方形と 2 本の対角線が描かれ、対角線と 1 辺の比として 60 進法で 1;24,51,10 という数が刻まれている。10 進法に直すと 1.41421296… で、 と小数第 5 位まで合っている。
コロンビア大学の粘土板プリンプトン 322(紀元前 1800 年ごろ)には、 のように、三平方の関係を満たす整数の組に関係する数が 15 行並ぶ。何のための表だったのかは、いまも研究者の間で意見が分かれている。
インドでは、祭壇の作り方を記した『バウダーヤナ・シュルバスートラ』(紀元前 800〜500 年ごろとされる)に、長方形の対角線の上の正方形は 2 辺の上の正方形を合わせたものに等しい、という規則が書かれている。中国の天文と数学の書『周髀算経』には「勾三股四弦五」(直角をはさむ辺が 3 と 4 なら斜辺は 5)の問答があり、3 世紀の趙爽は注釈に「弦図」と呼ばれる図を描いて、図形を並べ替える証明を示した。
古代エジプトの縄張り師が 3:4:5 の縄で直角を出した、という話もよく語られる。ただし、それを裏付ける直接の記録は見つかっていない。
一般の直角三角形について、図形の性質だけから証明を組み立てて書き残したのは、紀元前 300 年ごろのエウクレイデス(ユークリッド)の『原論』第 1 巻 命題 47 が最も古い。続く命題 48 では逆、つまり「2 辺の 2 乗の和が残りの辺の 2 乗に等しければ直角三角形である」も示している。
証明
並べ替えによる証明を示す。直角をはさむ 2 辺が , 、斜辺が の直角三角形を 4 つ用意し、1 辺が の正方形の 4 つの角に置く(図示の左)。
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大きな正方形の面積は 。
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4 つの三角形の面積は、合わせて 。
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真ん中に残る四角形は 4 辺がどれも 。各頂点の角は、一直線の から三角形の 2 つの鋭角(合わせて )を引いた なので、正方形である。面積は 。
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全体の面積を 2 通りに数えると
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左辺を展開して
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両辺から を引くと
同じ 4 つの三角形を並べ直すと、残る部分は と の 2 つの正方形になる(図示の右)。三角形が占める面積は変わらないので、残りの面積も等しい。式を使わずに、図だけで結論が見える。
証明の数は数百に及ぶ。1940 年に出たルーミスの『ピタゴラスの命題』は 367 通りを集めた。そのうちの 1 つは、のちに第 20 代アメリカ大統領になるジェームズ・ガーフィールドが下院議員だった 1876 年に発表した、台形を使う証明である。
応用
2 点の距離。 平面の 2 点 と の距離は、横と縦の差を直角をはさむ 2 辺とみなして
になる。空間なら の差の 2 乗を足すだけでよい。地図アプリが「直線で何 km」と出すのも、ゲームの中で敵との距離を測るのも、この式から始まる。
画面の大きさ。 テレビやスマホの「6.1 インチ」は対角線の長さである。縦横の比が 16:9 なら、横幅は対角線の 倍になる。
直角を出す。 3:4:5 の三角形は必ず直角三角形になる(命題 48)。建築の現場では、いまも巻き尺で 3 m・4 m・5 m を測って直角を確かめる。日本の大工が使う大きな直角定規「大矩(おおがね)」も、この比で作ることが多い。
ベクトルの長さ。 速度や力を矢印で表したとき、その大きさは成分の 2 乗の和の平方根である。三平方の定理は、方向を持つ量を扱うすべての計算の土台になっている。
図示
シミュレーション
丸い点をドラッグするか、つまみを動かすと、直角をはさむ 2 辺 , が変わる。どんな形でも、2 つの正方形の面積の和は、斜辺の上の正方形の面積と一致し続ける。「並べ替え」にすると、4 つの三角形が動き、残る面積が から に入れ替わる。
広がる学問
- 数学 直角でない三角形では、余弦定理 になる。 のとき で三平方の定理に戻る。指数を 3 以上にした に正の整数の解が無いことを主張するのがフェルマーの最終定理である。
- 物理学 速度・力・電場など、ベクトルの大きさは で求める。特殊相対性理論では、時間と空間をまとめた「時空の間隔」が という、符号の混じった三平方の形で書かれる。
- 情報科学 データを点とみなし、近さを 2 点の距離で測る。似た商品を探す推薦や、画像の色の違いの計算、機械学習の k 近傍法で使われる。コンピュータグラフィックスでは、光の向きを計算するたびにベクトルの長さを求める。
- 地球科学 GPS の受信機は、複数の衛星からの距離を、3 次元の三平方の定理を連立させて解き、自分の位置を求める。
- 建築 3:4:5 の三角形で直角を出す方法は、紀元前から現代の工事現場まで使われている。
参考文献
- エウクレイデス『原論』第 1 巻 命題 47・48(中村幸四郎・寺阪英孝・伊東俊太郎・池田美恵 訳『ユークリッド原論』共立出版、1971)
- ディオゲネス・ラエルティオス『ギリシア哲学者列伝』第 8 巻 12 節(加来彰俊 訳、岩波文庫)
- キケロ『神々の本性について』第 3 巻 88 節
- Eleanor Robson, "Neither Sherlock Holmes nor Babylon: A Reassessment of Plimpton 322", Historia Mathematica 28 (2001), 167-206.
- Yale Babylonian Collection, YBC 7289.
- Elisha Scott Loomis, The Pythagorean Proposition, 2nd ed. (1940; NCTM, 1968).