粘土板と知恵の館
大英博物館が持つ粘土板 BM 13901 は、紀元前 1800 年ごろの古バビロニア時代に書かれた。表と裏に、正方形をめぐる 24 の問題が楔形文字で並ぶ。最初の問題はこう始まる。正方形の面積と辺を足すと 0;45 になった。0;45 は 60 進法で 、つまり である。
書き手は答えまでの手順を、命令の形で一つずつ書いている。1 を取る。半分にして 0;30。0;30 と 0;30 を掛けて 0;15。これを 0;45 に足して 1。1 は 1 の正方形である。そこから 0;30 を引くと、0;30 が辺である。今の記号に直すと、 を と解いている。
数学史家イェンス・ホイロップは、この手順を図形の切り貼りとして読み直した。正方形の 1 辺に幅 1 の帯を付けた形を考え、帯を縦に半分に切って片方を下へ回す。すると角が 1 つ欠けた正方形になる。欠けた角の面積 0;15 を足せば、1 辺がちょうど 1 の正方形が埋まる。式を変形したのではなく、粘土の上で図形を動かしていた、という読み方である。
それから 2600 年ほど後の 820 年ごろ、同じ考え方がバグダードで 1 冊の本になった。アッバース朝のカリフ、マアムーンが学者を集めた「知恵の館」で働いたフワーリズミーの『ジャブルとムカーバラの計算の要約の書』である。序文には、遺産の分割、売買、土地の測量、運河の掘削など、人々が日々必要とする計算のために書いたとある。
本の中でいちばん有名な問題は「平方と 10 根が 39 ディルハムに等しい」、すなわち である。フワーリズミーは、正方形の横に細長い長方形を付け、それを半分に分けて正方形の 2 辺に回し、角に 1 辺 5 の正方形を足す図で答え 3 を示した。粘土板と同じ切り貼りである。
この本は 1145 年、イングランドのロバート・オブ・チェスターがスペインのセゴビアでラテン語に訳した。書名の「ジャブル」は algebra(代数)という言葉になった。著者の名は、別の著作であるインド数字の計算の書のラテン語訳で Algoritmi と書かれ、algorithm(アルゴリズム)の語源になった。
起源
二次方程式を解く手順は、文字の式より何千年も早く生まれた。
古バビロニアの粘土板には、面積と辺の長さを組み合わせた問題が数多く残る。答えはいつも、半分にする、2 乗する、足す、平方根をとる、引く、という同じ順番で出されている。今の公式の と にあたる操作が、すでにそろっていた。
紀元前 300 年ごろのエウクレイデス『原論』第 2 巻の命題 5・6 は、長方形と正方形の面積の関係を図形の言葉で述べたもので、二次方程式の解き方を図で裏付ける内容になっている。ただしギリシアの数学は長さと面積で考えたので、答えは作図できる線分であって、数ではなかった。
628 年、インドのブラーマグプタは天文書『ブラーマ・スプタ・シッダーンタ』で、解き方を文章の規則にした。定数に平方の係数の 4 倍を掛け、中の項の係数の 2 乗を足す。その平方根から中の項の係数を引き、平方の係数の 2 倍で割ると値になる。 に対して と書いたのと同じで、今の公式とほぼ一致する。ブラーマグプタは負の数とゼロの計算規則も同じ本に書いた。
フワーリズミーは負の数を使わなかった。そのため方程式を「平方が根に等しい」「平方と根が数に等しい」など 6 つの型に分け、型ごとに解き方を示した。係数がすべて正になるように項を移すことを「ジャブル(元に戻す)」、両辺の同じものを消すことを「ムカーバラ(釣り合わせる)」と呼んだ。
係数にも文字を使い、1 つの式で全部の場合を書けるようになったのは、16 世紀末にフランソワ・ヴィエトが『解析術序論』(1591)で既知の量を文字で表してからである。1637 年のデカルト『幾何学』は の解を と書き、作図で示した。負の数や虚数の解まで同じ式で扱うのが当たり前になったのは、さらに後のことである。
証明
として、 を解く。方針は、左辺の一部を「何かの 2 乗」にまとめること(平方完成)である。
-
両辺を で割る。
-
定数の項を右辺に移す。
-
両辺に を足す。図でいえば、欠けた角の正方形を埋める手順である。
-
左辺は 2 乗の形にまとまり、右辺は通分できる。
-
両辺の平方根をとる。2 乗して同じ値になる数は正と負の 2 つある。
-
を右辺に移す。
根号の中の を判別式という。 なら異なる 2 つの実数の解、 なら重なった 1 つの解、 なら実数の解は無く、共役な 2 つの複素数の解になる。
2 つの解を足すと 、掛けると になる。これは を展開した係数と一致しており、得られた式が確かに元の方程式の解であることの検算にもなる。
応用
投げ上げたボールが落ちるまで。 高さ 1.5 m の手から、真上に秒速 20 m でボールを投げる。重力加速度を 9.8 m/s² とすると、 秒後の高さは である。 を解くと
で、4.16 秒後に地面に着く。もう一方の解は負で、物理的には使わない。放物線の頂点 秒で高さは最大の約 21.9 m になる。頂点を求めることは、最大や最小を探す最適化のいちばん小さな例である。
黄金比。 線分を、全体と長い部分の比が長い部分と短い部分の比に等しくなるように分けると、比 は を満たす。公式から が出る。これが黄金比である。
計算機の桁落ち。 の小さい方の解は、ほぼ である。ところが公式のまま倍精度の浮動小数点数で計算すると、ほとんど等しい 2 数 と の引き算になり、結果は と 25% もずれる。解の積が であることを使い、大きい方の解 から と求めれば、正しく が出る。数値計算の教科書は、解の公式をこの形に直して使うよう教えている。
図示
面積 の図形に を足すと、1 辺が の正方形になる。証明の手順 3 は、この角を埋める操作を式で書いたものである。
シミュレーション
つまみで , , を変えると放物線が動き、 軸と交わる点が 2 つの解になる。黒い点をドラッグすると頂点が動き、 と が変わる。頂点が 軸を越えると判別式の符号が変わり、解が 2 つから 0 に入れ替わる。「平方完成」にすると、長方形を半分に切って回す切り貼りの手順が動く。
広がる学問
- 数学 判別式が負のときに現れる は、16 世紀に三次方程式の解の公式を通して避けられないものになり、複素数の理論が始まった。5 次以上の方程式には、係数の四則と根号だけで書ける一般の解の公式が無いことが、19 世紀にアーベルとガロアによって示された。
- 物理学 一定の加速度の運動は時間の二次式で書けるので、いつ・どこで着くかを求めるたびに二次方程式を解く。光学では、物体とスクリーンの間隔を決めてレンズの置き場所を探すと二次方程式になり、2 つの解が像を結ぶ 2 つの位置にあたる。
- 情報科学 3 次元のコンピュータグラフィックスでは、光線 が球に当たる点を、 の二次方程式 を解いて求める。判別式の符号で、当たるか外れるかが決まる。桁落ちを避ける解き方は、浮動小数点の計算の基本である。
- 工学 ばねと減衰器の振動や電気回路は、特性方程式 を持つ。判別式の符号が、揺れながら止まるか、揺れずに戻るかを分ける。制御の設計は、この解の位置を選ぶ作業でもある。
参考文献
- Jens Høyrup, Lengths, Widths, Surfaces: A Portrait of Old Babylonian Algebra and Its Kin (Springer, 2002).
- Frederic Rosen (ed. and trans.), The Algebra of Mohammed ben Musa (London, 1831).
- H. T. Colebrooke (trans.), Algebra, with Arithmetic and Mensuration, from the Sanscrit of Brahmegupta and Bháscara (London, 1817).
- René Descartes, La Géométrie (Leiden, 1637).
- David Goldberg, "What Every Computer Scientist Should Know About Floating-Point Arithmetic", ACM Computing Surveys 23 (1991), 5-48.
- Victor J. Katz, A History of Mathematics: An Introduction, 3rd ed. (Addison-Wesley, 2009).