ディードーと牛の皮
フェニキアの町テュロスの王女ディードー(エリッサとも呼ばれる)は、兄の王ピュグマリオンに夫を殺され、わずかな供を連れて海に逃れた。船は北アフリカの海岸に着いた。
ローマの詩人ウェルギリウスは『アエネーイス』第 1 巻 367〜368 行で、そこから先をこう語らせている。彼らは土地を買った。牛の皮 1 枚で囲めるだけの土地を。その出来事にちなんで、土地はビュルサと名付けられた。ギリシア語でビュルサは「皮」を意味する。
もう少し詳しく書いたのは、ローマ帝政期のユスティヌスである。彼がまとめたポンペイウス・トログスの歴史の抄録(第 18 巻 5 章)によれば、ディードーは牛の皮 1 枚で覆えるだけの土地を買う約束をし、それから皮をできるだけ細い紐に切らせた。紐をつないで囲んだ土地は、皮で覆える広さよりはるかに広かった。のちのカルタゴの城山ビュルサである。
カルタゴの建国は、伝承では紀元前 814 年ごろとされる。この年代は、紀元前 3 世紀ごろの歴史家ティマイオスが、第 1 回オリンピア競技の 38 年前と書いたことにもとづく。
数学の本では、この話に続きが付く。ディードーは紐を半円の形に張り、海岸線を半円の直径にして、できるだけ広い土地を囲んだ、というものである。しかし、半円や海岸を使ったと書いた古代の書物は見つかっていない。半円の話は、のちの数学者たちが付け加えた読み方である。皮の話そのものも、城山の名前をギリシア語の「皮」で説明するために生まれた話だとみる研究者がいる。
起源
周の長さで広さを見誤る例は、古代の記録に残っている。紀元前 2 世紀の歴史家ポリュビオスは『歴史』第 9 巻で、多くの人は町の大きさを周囲の長さで判断すると書き、メガロポリスは周囲 50 スタディオン、スパルタは 48 スタディオンだが、スパルタのほうが 2 倍も大きい、という例を挙げている。5 世紀の哲学者プロクロスは『ユークリッド原論第 1 巻注解』で、土地を分け合うときに、周は長いが面積の小さい土地を渡して仲間をだました者たちの話を書いている。
同じ周の図形の中で円が最も広いことを、数学として扱った最初の記録は、紀元前 2 世紀の初めごろのゼノドロスの『等周図形について』である。本そのものは失われたが、4 世紀のテオン(アレクサンドリアの人)がプトレマイオスの『アルマゲスト』への注釈に、パッポスが『数学集成』第 5 巻に、その内容を残した。ゼノドロスは次のことを示している。周の長さと辺の数が同じ多角形の中では、正多角形が最も広い。周の長さが同じ正多角形どうしなら、辺が多いほど広い。円は、同じ周のどの正多角形よりも広い。
パッポスは第 5 巻の序で、蜂の巣を取り上げた。平面を同じ形で隙間なく埋められる正多角形は、正三角形・正方形・正六角形の 3 つだけで、そのうち同じ周で最も広いのが正六角形である。蜂は「ある種の幾何学的な先見」によって、少ない蝋で多くの蜜を蓄える形を選んだ、と彼は書いた。正六角形の格子が、平面を同じ面積に区切るのに最も短い仕切りで済むことは、1999 年にトーマス・ヘイルズが証明した。
円が最も広いことの証明は、近代になっても簡単ではなかった。1838 年、スイスのヤコブ・シュタイナーは、円でない形はいつも、周を変えずに面積を増やすように作り変えられることを、いくつもの巧みな方法で示した。しかしこれは、「最も広い形がある」と仮定した議論だった。ディリクレがこの穴を指摘し、1870 年代にワイエルシュトラスが変分法の講義で厳密な証明を与えた。1902 年には、アドルフ・フルヴィッツがフーリエ級数を使う短い証明を発表した。
証明
フルヴィッツの証明を示す。長さ の滑らかな閉曲線を、平面上の点を複素数 で表して、反時計回りにたどる。曲線の長さに比例する変数 ()をとり、 をフーリエ級数 に展開する。
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は長さに比例してとったので、点の速さは一定で
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速さの 2 乗を 1 周積分すると
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なので、パーセバルの等式から左辺は 。手順 2 と合わせて
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囲まれた面積は、グリーンの定理から
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ここでもパーセバルの等式を使うと
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手順 3 から手順 5 の 倍を引くと
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整数 では なので
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等号が成り立つのは、 以外のすべての が 0 のときだけで、そのとき曲線は中心 ・半径 の円になる。
円では 、 なので となり、確かに等号になる。手順 6 の右辺は、曲線が円からどれだけ外れているかを、フーリエ級数の高い次数の成分で数えたものと読める。
ディードーの問題のように、片側がまっすぐな海岸のときは、海岸で曲線を折り返して考える。紐と、その鏡に映した紐を合わせた閉曲線は長さ で、面積は である。これに不等式を使うと 、つまり となり、最も広いのは半円である。
応用
同じ紐で囲める広さ。 長さ 400 m の紐で正方形を作ると、面積は m² になる。円にすると半径 m で、面積は m²、正方形より 27 % 広い。まっすぐな海岸を使って半円に張れば、 m² で、円のさらに 2 倍になる。
管の断面。 断面積が同じなら、周が最も短いのは円である。断面積 1 m² の管なら、円の周は m、正方形は 4 m になる。同じ周で最も広く囲めるということは、同じ広さを最も短い周で囲めるということでもある。周が短いほど材料が少なくて済み、流れが壁から受ける摩擦も小さい。水道管やガス管の断面が円なのは、内側からの圧力を壁全体で均等に受けられることに加えて、この理由もある。
しゃぼん玉。 膜の表面張力は、同じ体積を包む膜の面積をできるだけ小さくしようとする。3 次元の等周不等式によれば、体積が同じ立体の中で表面積が最も小さいのは球なので、空中のしゃぼん玉は丸くなる。
図示
シミュレーション
長さの決まった紐が、内側から押されるようにふくらみ、どんな形から始めても円で止まる。紐の点はドラッグで引っぱれる。形を崩すと の値は 1 より小さくなり、円に戻ると 1 になる。「海岸」に切り替えると、両端がまっすぐな海岸の上を滑り、紐は半円に落ち着く。
広がる学問
- 数学 等周問題は、曲線そのものを動かして最も良い形を探す変分法の出発点になった。高い次元でも、同じ体積なら球の表面積が最小であることが証明されている。同じ周で最も広い円の性質は、円の面積と球の体積の式に支えられている。
- 物理学 しゃぼん膜や液滴の形は、表面張力のエネルギーが最小になる形として決まる。無重力の宇宙船の中で水が球になるのも同じ理由である。
- 生物学 蜂の巣の六角形は、蝋を節約しながら巣を区切る形である。動物が寒いときに体を丸めるのは、体積に対して表面を小さくし、熱を逃がしにくくするためと考えられている。
- 工学 管や圧力容器の断面を円や球にするのは、同じ容量を最も少ない材料で包めることと、内側の圧力を壁全体で均等に受けられることによる。
- 政治学 アメリカでは選挙区の形がいびつすぎないかを測る目安として、 を使う「ポルスビー・ポッパー指標」(1991)が提案され、恣意的な区割りの議論に使われている。円で 1、細長く入り組んだ区ほど 0 に近い。
参考文献
- ウェルギリウス『アエネーイス』第 1 巻 365〜368 行
- ユスティヌス『ポンペイウス・トログス「フィリッポス史」抄録』第 18 巻 5 章
- ポリュビオス『歴史』第 9 巻、プロクロス『ユークリッド原論第 1 巻注解』
- Thomas L. Heath, A History of Greek Mathematics, Vol. 2 (Oxford, 1921), 206-213.
- A. Hurwitz, "Sur quelques applications géométriques des séries de Fourier", Annales scientifiques de l'École Normale Supérieure (3) 19 (1902), 357-408.
- Thomas C. Hales, "The Honeycomb Conjecture", Discrete & Computational Geometry 25 (2001), 1-22.
- Daniel D. Polsby, Robert D. Popper, "The Third Criterion: Compactness as a Procedural Safeguard Against Partisan Gerrymandering", Yale Law & Policy Review 9 (1991), 301-353.