兎の腹毛の先に
兎の腹の毛を顕微鏡で見ると、ところどころに小さなこぶがある。零下 20〜30 度の部屋にこの毛を 1 本吊るし、下から温かい水蒸気を送ると、こぶの 1 点だけに氷の粒がつき、そこから六花の雪が育つ。中谷宇吉郎は、北海道帝国大学の常時低温研究室で、この方法で人工の雪の結晶を作った。北海道大学の解説によると、最初の成功は 1936 年 3 月である。14 日に助手の関戸弥太郎が防寒服の襟の兎の毛で結晶を作り、その 2 日前には、同じ研究室の佐藤礒之介が羅紗の毛で作っていたという。
中谷は 1938 年の『雪』に、水温を加減して、天然と同じ六花も角板も角柱も作り分けられるようになったと記した。本の終わり近くには「雪の結晶は、天から送られた手紙であるということが出来る」という一文がある。手紙の文句は結晶の形と模様という暗号で書かれ、その暗号を読みとくのが人工雪の研究だという。
手紙の文字は、なぜいつも 6 つの向きに書かれているのか。なぜ角から枝が出るのか。先と先が 1 mm 以上離れた 6 本の枝は、どうして同じ形にそろうのか。ここでは、水蒸気の拡散と、分子が氷に付くときの付きにくさの 2 つを手がかりに、この順に答える。
水の分子が決める 6 つの向き
雪の結晶は、雨粒が凍ったものではない。空気中の水蒸気が、液体の水を通らずに直接氷になって育つ。ふつうの氷(氷 Ih)は六方晶で、酸素の原子をたどると、しわの寄った六角形の網が層になって重なっている。邪魔されずに育てば六角柱になり、上下の 2 面を底面、まわりの 6 面を柱面という。10〜100 µm ほどの小さな雪の結晶は、実際にこの形のことが多い。
平らな面ができるのは、分子の付きやすさが場所によって違うからである。カリフォルニア工科大学の物理学者ケネス・リブレクトの説明では、水の分子は、空いた結合手が多いでこぼこした所にはよく付き、滑らかな所には付きにくい。でこぼこはすぐに埋まり、滑らかな面だけが残る。6 つの柱面が 60° ずつ向きを変えて並ぶのは、分子の網が六角形だからである。
この付きやすさは、凝結係数 という 1 つの数で表す。ぶつかった分子がすぐに氷に取りこまれるなら で、平らな面が見えている結晶では、その面の は 1 より小さい。
角は湿った空気に突き出す
水蒸気の分子は、空気の分子と何度もぶつかりながら、でたらめな向きに進む。ブラウン運動の粒と同じ酔歩で、広がりは時間の平方根でしか増えない。リブレクトの総説によると、1 気圧の空気中で、水蒸気の拡散係数は約 m²/s である。分子は 1 秒でおよそ 1.1 cm 広がり、大きさ 1 mm ほどの結晶のまわりなら、濃さのむらは 0.05 秒ほどでならされる。枝の先は 1 秒に数 µm しか伸びないので、拡散から見れば結晶はほとんど止まっている。
結晶が水蒸気を取りこむと、まわりの水蒸気は薄くなり、遠くから拡散で補われる。六角板の角は辺の中ほどより外へ突き出しているので、少し多く水蒸気が届く。多く届けば少し速く育ち、さらに突き出して、さらに多く届く。リブレクトは、この正のフィードバックが枝を生むと説明している。この不安定性は拡散律速の成長ではどこにでも現れ、マリンズ・セケルカ不安定性と呼ばれる。1964 年にウィリアム・マリンズとロバート・セケルカが、合金の凝固で平らな境目が崩れる条件を調べた論文にちなむ名前である。
中谷も、速く育つ結晶ほど枝分かれすることを測っていた。『雪』では、人工雪の平均の生長速度が、羊歯状で 1 時間に 4.6 mm(1 秒に約 1.3 µm)、扇形と角板で 0.66 mm と、約 7 倍違う。
それでも、小さな結晶はすぐには枝を出さない。拡散方程式を解くと、柱面のすぐ上の過飽和度(水蒸気が飽和をどれだけ超えているか)は、面の端で高く、中ほどで低い。それでも面が平らなまま育つのは、中ほどがごくわずかにくぼんで分子の段差が増え、 が上がるからである。少ない水蒸気でも、端と同じ速さで育つ。結晶が大きくなり、この埋め合わせが限界に来ると、角から枝が出る。
拡散と付着を式で書く
を水蒸気の分子の数密度、 を平らな氷の上で釣り合う数密度とし、過飽和度を と書く。式はリブレクトの総説(2005 年)による。
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結晶のまわりの水蒸気は、拡散方程式にしたがう。 は拡散係数である。
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1 つの分子が 秒でずれる距離の 2 乗の平均は、空間では次の形になる。
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結晶の大きさを 、面の進む速さを とすると、ペクレ数 は雪ではおよそ 以下と小さい。濃さはすぐに釣り合うので、1 は時間を含まないラプラス方程式で置き換えられる。
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面は、届く分子の流れの分だけ進む。 は氷の中の分子の数密度、 は面に垂直な向きである。突き出た角では が大きい。
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面に付く速さは、面のすぐ上の過飽和度 と凝結係数 で決まる。 は温度で決まる速さで、平らな面では になる。
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曲がった面の上では、釣り合う濃さが少し上がる(ギブス・トムソン効果)。ここでの は面の曲率半径、 は氷の表面張力で 0.109 J/m²、 nm である。
4 と 5 は、同じ面の速さ を、届く側と付く側から書いたものである。面のすぐ上の は、両方を同時に満たすように決まる。リブレクトは、過飽和度が低い、結晶が小さい、まわりの空気の圧力が低い、のどれかであれば付着が支配して面のある結晶になり、これらが大きくなると拡散が支配して枝分かれが起きる、とまとめている。
6 の大きさを見積もる。−15 °C で育つ樹枝の先の曲率半径は、約 1.2 µm と見積もられている。 なので、枝の先で釣り合う濃さは、平らな面より 0.17% 高いだけである。
球にはならない雪
表面張力だけで形が決まるなら、氷は丸くなろうとする。等周不等式によれば、平面で周の長さ の図形が囲む面積 は を満たし、等号は円のときだけ成り立つ。3 次元では、表面積 と体積 について次が成り立ち、等号は球のときだけである。
表面のエネルギーは表面積に比例するので、同じ量の氷なら、球に近いほどエネルギーが低い。リブレクトは、氷の表面エネルギーは向きによる差が小さいと見込まれるので、釣り合いの形はほとんど球になるはずだとしている。ただし、はっきり観察されたことはないという。
雪の結晶は、この形からどれだけ離れているか。角から角まで 2 mm、厚さ 0.1 mm の六角板で計算する(直径と厚さの比 20 は、リブレクトの計算例と同じ)。体積は約 0.26 mm³、表面積は約 5.8 mm² で、同じ体積の球の表面積約 2.0 mm² の約 2.9 倍になる。 は、球なら 1、この板では約 25 である。板を薄くすると値はすぐに大きくなり、厚さ 0.02 mm なら約 490 になる。枝の多い樹枝なら、さらに大きい。
それでも丸くならないのは、時間が足りないからである。リブレクトは、融点の近くで、回転楕円体の結晶が球に戻るまでの時間をおよそ 秒と見積もった。半径 1 mm なら 秒、およそ 23 日である。リブレクトの実験室では、結晶が 16 分で角から角まで 2 mm に育った。形が整うより先に、次の層が積もっていく。
よく語られる「拡散が先を伸ばし、表面張力が丸める」という綱引きも、雪では見直しがいる。リブレクトによると、水蒸気から育つ雪の樹枝では、先の速さと太さを決めるのは主に 5 の式の付着、つまり分子が氷に取りこまれる速さの限りで、表面張力の効果はふつう無視できるほど小さい。融液から固まる樹枝とは逆である。等周不等式は、雪が釣り合いの形からどれほど遠い「成長の形」なのかを測るものさしとして読むのがよい。
1 マスずつの規則
2005 年、ラファイエット大学の数学者クリフォード・ライターは、六角形に敷いたマスに実数を 1 つずつ入れる模型を発表した。値 はそのマスの水の量で、1 以上なら氷とみなす。ライターは、物理の考えをもとに規則を作ったが、物理の式に合わせることは目指していないと断っている。変える数は、まわりの水蒸気の量 と、氷とそのとなりのマスに毎段足す量 の 2 つで、気温と水温を変えて調べた中谷にならったという。
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氷のマスと、となりに氷があるマスを「受け入れるマス」と呼ぶ。動ける水の量 は、受け入れるマスでは 0 とする。
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受け入れるマスは、となりから届いた水をすべてとどめ、面の外からも を受け取る。
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ほかのマスの水は、半分を自分に残し、12 分の 1 ずつをとなりの 6 マスに配る。水の合計は変わらない。
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六角格子のラプラシアンは次のように近似できる。3 は、拡散方程式 を で 1 段進めた形にあたる。
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中心から決まった距離より外のマスは、いつも にしておく。最初は、中心の 1 マスだけを氷 にする。
ライターは 400 × 400 ほどのマスで と を変え、現れる形を 1 枚の図に並べた。 が大きいと角板や扇形や幅の広い星形、 と がともに小さいと樹枝になる。2 の は角にも辺の中ほどにも同じだけ足されるので、差がつくのは拡散で届く分だけである。 がそれよりずっと大きければ全体がそろって育って角板が残り、小さければ角が先に伸びて枝になる。
六角の格子で育てる
半径 62 マスの円の中で、中心の 1 粒の氷からライターの規則で結晶を育てる。塗りつぶしたマスが氷、網点の濃さが動ける水の量で、右(スマホでは下)のグラフは、中心から 0°(角・枝の先へ)と 30°(辺の中ほど・枝の間へ)の線に沿った水の量である。 と を変えると樹枝・星形・扇形・角板と形が変わり、育つ途中で動かすと、6 本の枝がその時点から同時に形を変える(「角板から樹枝へ」は、半径 22 マスで を 0.32 から 0.0001 に下げる)。「右ほど湿る」にすると、6 本の枝の長さがそろわなくなる。
6 本の枝は連絡し合わない
6 本の枝のあいだに、育ちをそろえる仕組みはあるのか。リブレクトの答えは「何もない」である。6 本はそれぞれ別々に育つ。ただ、雲の中を落ちていく結晶は、温度と湿度が刻々と変わる空気を通り、6 本の枝はその変化を同じときに同じだけ受ける。だから、何も伝え合わなくても同じように形を変える。リブレクトはこれを、雨の日に誰もが相談せずに傘を持って出かけることに例えている。
リブレクトは実験室で、小さな種の結晶を 2 つ並べ、同じように変わる条件で育てた。16 分後、角から角まで 2.0 mm になった 2 つは、ほぼ同じ形をしていた。同じページには、6 本の枝がそれぞれ違う条件を受ければ違う形に育つ、ともある。きれいな六花はめったになく、リブレクトは写真を 1 枚撮るまでに、集めた板の上の何千もの結晶に目を通すという。
シミュレーションでも同じことが起きる。、 では、1270 段で 6 本とも 60 マスに届く。「右ほど湿る」では、端に届いたときの長さが、右から左回りに 60・49・37・33・37・49 マスになり、湿った側の枝ほど長い。「角板から樹枝へ」では、角板の 6 つの角から同時に枝が出る。6 本の枝には、結晶が通ってきた空気の記録が、どれにも同じように書きこまれる。
ホタルとメトロノームはなぜそろうのかの蔵本モデルでは、振動子が互いに引き合ってそろった。雪の枝は、何も伝え合わずに、同じ外の変化を受けてそろう。
雪華図説から中谷ダイヤグラムまで
雪の結晶を科学の目で見た最初の人は、ヨハネス・ケプラーとされる。1611 年の小冊子『六角形の雪について』で、雪の対称性がどこから来るのかを論じた。
日本では 1832 年、下総古河藩主の土井利位が『雪華図説』を著した。中谷によると、17 枚の小冊子に 86 個の雪の結晶が描かれている。写真の時代には、アメリカのウィルソン・ベントレーが数十年かけて撮りためた数千枚を 1931 年に本にまとめ、同じ雪は 2 つとないという考えを広めた。
リブレクトによると、ベントレーの写真に並ぶ形の多さが、中谷を実験室での研究に向かわせた。中谷は 1931 年度の冬から雪の研究に取り組んだ。1936 年の初めに常時低温研究室ができ、人工雪が作れるようになると、部屋の温度と水温と装置を変えて約 700 種の結晶を作り、顕微鏡写真に撮った。
中谷は、温度と過飽和度ごとにできる結晶の形を 1 枚の図にまとめた。中谷ダイヤグラムと呼ばれる図である。リブレクトのまとめでは、気温が下がるにつれて、零下 2 度あたりで板、零下 5 度あたりで柱、零下 15 度あたりで再び板、零下 30 度より下では主に柱と入れ替わる。過飽和度が高いほど、形は複雑になる。
なぜ温度で板と柱が入れ替わるのか。リブレクトは 2005 年の総説で、発見から 75 年たっても定性的にさえ説明できていない謎と呼んだ。2019 年には、表面拡散と表面融解(表面がわずかに融けた層)についての仮定を入れた模型で、図の大まかな特徴を説明できるとする論文を出している。
チューリングの模様との違い
拡散はふつう、濃さのむらをならす。それなのに雪では、拡散が枝を生む。拡散から模様が生まれる例として名高いのはチューリングパターンだが、2 つは仕組みが違う。
チューリングの模様には、反応しながら違う速さで広がる 2 種類の物質がいる。一様な状態そのものが不安定になり、反応の速さと拡散の速さで決まる間隔の斑点や縞が、平らな場所のどこにでも現れる。間隔は組織の大きさによらない。
雪の枝に要る物質は水蒸気 1 種類で、反応もない。ラプラス方程式にしたがう濃さの場はなめらかで安定で、不安定なのは、水蒸気を取りこみながら進む氷の境目のほうである。突き出た所ほど多く受け取るという、境目の形と拡散の組み合わせが枝を伸ばす。また雪では、一度凍ったマスはもう動かない。シミュレーションで を途中で変えても、それまでの角板や枝は残り、外側にだけ新しい形が積み重なる。
雪の日に袖を見る
雪が降ってきたら、黒っぽい袖や布で受けて、ルーペでのぞく。リブレクトによると、袖の上の結晶でも、向きを変えると平らな面が鏡のように光る。大きな板や六花を探すなら、気温が零下 15 度に近い日がよい。零下 5 度あたりの日には、細い柱や針の形の結晶が降る。
見つけた結晶は、中谷の言う手紙として読める。中谷は『雪』で、角板の角から樹枝が出た結晶を、上空の水蒸気の少ない層で角板ができ、地表に近い水蒸気の多い層で枝がついたものと読んだ。柱の両端に板がついた結晶なら、零下 6 度あたりで太い柱として育ち、そのあと風で寒い所へ運ばれて両端に薄い板が育った、とリブレクトは説明している。
読んだあとに試せることを並べる。
- シミュレーションで のまま log₁₀γ を −4 から 0.5 ずつ上げ、枝が消えて角板になるところを探す。log₁₀γ = −0.5()の角板では、「1 段に届く水」は角が 0.098、辺の中ほどが 0.064 と約 1.5 倍違うが、 を足すと 0.41 と 0.38 で、差は 1 割ほどに縮まる。
- 「角板から樹枝へ」を押し、6 本の枝がそろって伸びることを確かめる。次に「右ほど湿る」を選んで「種から育て直す」を押し、長さがずれることを見る。
- ブラウン運動の記事で と、空間では になることを読み、 m²/s の水蒸気が 1 分に何 cm 広がるかを計算する(約 8.5 cm)。
- 等周不等式の記事を読み、角氷のような立方体の を計算して()、雪の板の約 25 と比べる。
- 拡散が模様を作るもう 1 つの仕組みはチューリングパターンに、小さなむらが育って形になる別の例は事故も工事もないのに、渋滞はなぜ起きるのかにある。
参考文献
- K. G. Libbrecht, "The physics of snow crystals", Reports on Progress in Physics 68 (2005), 855-895. doi:10.1088/0034-4885/68/4/R03
- C. A. Reiter, "A local cellular model for snow crystal growth", Chaos, Solitons & Fractals 23 (2005), 1111-1119. doi:10.1016/j.chaos.2004.06.071(著者のサイトのプレプリントで規則と図を確認)
- 中谷宇吉郎『雪』(岩波新書、1938 年。岩波文庫、1994 年。青空文庫)
- U. Nakaya, Snow Crystals: Natural and Artificial (Harvard University Press, 1954).
- 北海道大学 CoSTEP「#3 天からの手紙、中谷からの手紙」いいね!Hokudai(2017 年 2 月)
- K. G. Libbrecht, SnowCrystals.com の解説(Snowflake Science・Branching・Faceting・Identical-Twin Snowflakes・The Snow Crystal Morphology Diagram・Myths and Nonsense)
- W. W. Mullins, R. F. Sekerka, "Stability of a planar interface during solidification of a dilute binary alloy", Journal of Applied Physics 35 (1964), 444-451.
- K. G. Libbrecht, "A Quantitative Physical Model of the Snow Crystal Morphology Diagram", arXiv:1910.09067 (2019).