林檎と縞模様
1951 年 11 月、マンチェスター大学のアラン・チューリングは、ロンドンの王立協会に 1 本の論文を送った。題は「形態形成の化学的基礎」。要旨は次の一文で始まる。互いに反応し、組織の中を拡散していく「モルフォゲン」と呼ぶ化学物質の系で、形態形成の主な現象を十分に説明できる、と提案する。
チューリングは、第二次世界大戦の間、ドイツの暗号エニグマの解読に加わった数学者として知られる。戦後は計算機の設計に携わり、マンチェスター大学で、できたばかりの電子計算機を使っていた。論文にはまだらの模様の図も載っているが、論文によれば、これは手計算で数時間かけて求めたものである。結びの章でチューリングは、模様の計算に電子計算機を使う見通しを述べ、その後の研究ではマンチェスターの計算機で式を解いた。生き物の形がどうやって生まれるかは、少年のころからの関心だったと伝えられる。
論文は 1952 年 8 月に出版された。同じ年の 3 月、チューリングは男性との関係を理由に、当時のイギリスの法律で有罪とされ、刑務所に入る代わりにホルモンの投与を受け入れていた。1954 年 6 月 8 日、チューリングが自宅で、青酸による中毒で亡くなっているのが見つかった。亡くなったのは前日の 7 日とされる。41 歳だった。死因審問は自殺と結論した。ベッドのそばには、かじりかけの林檎があったが、その林檎が調べられることはなかった。
伝記作家アンドリュー・ホッジスは、チューリングが映画『白雪姫』を好み、毒の林檎の場面の歌を口ずさんでいたことを書いている。林檎に毒を入れたのだという話は、ここからよく語られるが、確かめられてはいない。パソコンの会社アップルのかじられた林檎のロゴがチューリングにちなむ、という話も広まったが、ロゴをデザインした人はこれを否定している。
チューリングは亡くなるまで、ヒマワリの種の並びにフィボナッチ数が現れる理由など、形の研究を続けていた。その原稿の多くは、没後に全集で公にされた。2009 年、イギリスの首相は政府としてチューリングへの扱いを謝罪し、2013 年には死後の恩赦が与えられた。
起源
チューリングが取り組んだのは、発生の最も古い謎の 1 つである。受精卵はほぼ丸く、どの方向にも同じように見える。そこからどうして、決まった間隔で並ぶ指や、縞や斑点が生まれるのか。完全に対称なものからは、対称なものしか出てこないように思える。
チューリングの答えは、意外なものだった。拡散は、ふつうは濃さのむらをならす。ところが 2 種類の物質が反応しながら違う速さで拡散すると、一様な状態のほうが不安定になり、ごく小さなむらが育って、決まった間隔の模様になる。論文の参考文献には、ダーシー・トムソンの『成長と形について』や、酵素の反応速度のミカエリス・メンテン式の論文が並んでいる。
論文は数学者にも生物学者にも、長く読まれなかった。1972 年、ドイツのアルフレート・ギーラーとハンス・マインハルトは、「近くで自分を増やし、遠くで抑える」という形にこの仕組みを整理し、生物の模様の計算に使った。
化学反応で模様が実際に現れることが示されたのは、論文から 38 年後の 1990 年である。フランスのボルドーで、パトリック・ドゥ・ケッペルらは、亜塩素酸・ヨウ化物・マロン酸の反応をゲルの中で起こし、動かない斑点の模様を観察した。翌 1991 年には、アメリカのスウィニーらも同じような模様を報告した。
生き物では、1995 年に近藤滋らが、タテジマキンチャクダイの仲間の縞が、体が大きくなるにつれて間に新しい縞を加えながら、ほぼ同じ間隔を保つことを示した。体の大きさによらず間隔が決まる、という反応拡散の予言と一致する。のちに、ゼブラフィッシュの縞、ネズミの指の数、毛の生える間隔などでも、この仕組みがはたらいている証拠が報告されている。
証明
模様が自分から現れる条件を、一様な状態の安定性から導く。式は空間 1 次元で書く。 を自分を増やす物質(活性因子)、 を抑える物質(抑制因子)とする。
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一様な釣り合いの状態 は、反応が釣り合う点である。
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小さなむらを、波数 の波として加える。
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式に入れて 1 次の項だけ残すと、拡散の項は を掛けることになり、育つ速さ は次の行列の固有値になる。ここで などである。
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拡散が無いとき()は安定だとする。2 行 2 列の行列では、固有値の実部がどちらも負になる条件は、跡が負で行列式が正であること。
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が大きくなると跡 はさらに負になる。だから不安定になるには、行列式が負になる がなければならない。
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は の 2 次関数で、最小になるのは のとき。最小値が負になる条件が、チューリングの条件である。
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手順 4 の と、手順 6 の を同時に満たすには、(活性因子が自分を増やす)で、抑制因子のほうが速く広がる必要がある。
育つ波数は、手順 5 の が負になる範囲に限られる。だから模様の間隔は、組織の大きさではなく、反応の速さと拡散の速さで決まる。これが「近くで増やし、遠くで抑える」の数学的な中身である。2 つの物質が同じ速さで広がるなら、どんな模様も育たない。
応用
数の例。 、、、、 とする。拡散が無ければ跡は 、行列式は で、一様な状態は安定である。手順 6 の条件は で、 になる。抑制因子が活性因子の約 6 倍より速く広がらないと、模様は現れない。 なら、育つ波数は の帯で、最も速く育つのは 、波長にして である。
乾いた土地の植生。 雨の少ない土地では、草や木が縞やまだらに並ぶことがある。水が植物のある所にしみ込みやすく、周りの水を集めるからである。1999 年にクラウスマイヤーは、植物の広がりと斜面を流れる水を組み合わせた反応拡散型の式で、この縞を説明した。
模様の予言を確かめる。 ゼブラフィッシュでは、縞の一部の色素細胞をレーザーで取り除くと、そのあと縞が組み直される形が、反応拡散の計算の予言と合うことが報告されている。式は、模様がどう壊れ、どう直るかまで予言できるので、実験の計画にも使われる。
材料をつくる。 2018 年には、海水から塩を除く膜をつくるとき、原料の 1 つが広がる速さを遅くしてチューリング型の模様を起こし、膜の表面にナノメートルの大きさの凹凸をつくって、水の通りを良くした研究が報告されている。
図示
シミュレーション
グレイ・スコットの反応拡散の式を、小さな格子の上で解いている。この式では、物質 が材料 を使って自分を増やし、材料が使い尽くされることが抑制の役をする(証明の章の , とは役が入れ替わる)。白い所が の濃い所である。種をまくと、しばらく静かなあと模様がすっと広がり、やがてゆっくり形が定まる。画面をなぞると種を足せる。材料と の広がる速さの比 を 1 に近づけると、模様は育たずに消える。
広がる学問
- 生物学 魚や哺乳類の皮膚の模様、指の数と間隔、毛や羽の生える間隔、歯の並びなど、発生の中で繰り返しの形ができる仕組みの候補として、実験と組み合わせて調べられている。
- 化学 1990 年の実験以後、ゲルの中の振動反応で、斑点・縞・迷路の模様が作られてきた。反応の速さと拡散の比で模様が変わる様子は、式の予言とよく合う。
- 工学 膜や薄い材料の表面に、決まった間隔の微細な模様を自然にできる仕組みとして使う研究が進んでいる。
- 情報科学 1991 年、コンピュータグラフィックスの国際会議で、反応拡散の式で動物の毛皮の模様を描く方法が 2 本発表された。いまも、自然な模様を作る技法の 1 つになっている。
- 数学 一様な状態が条件しだいで崩れる「分岐」の典型例である。対称なものから対称でないものが生まれる仕組みとして、偏微分方程式と力学系の研究の題材になっている。
参考文献
- A. M. Turing, "The Chemical Basis of Morphogenesis", Philosophical Transactions of the Royal Society of London B 237 (1952), 37-72.
- A. Gierer, H. Meinhardt, "A theory of biological pattern formation", Kybernetik 12 (1972), 30-39.
- V. Castets, E. Dulos, J. Boissonade, P. De Kepper, "Experimental evidence of a sustained standing Turing-type nonequilibrium chemical pattern", Physical Review Letters 64 (1990), 2953-2956.
- Shigeru Kondo, Rihito Asai, "A reaction-diffusion wave on the skin of the marine angelfish Pomacanthus", Nature 376 (1995), 765-768.
- John E. Pearson, "Complex Patterns in a Simple System", Science 261 (1993), 189-192.
- Andrew Hodges, Alan Turing: The Enigma (Burnett Books, 1983).(邦訳: アンドルー・ホッジス『エニグマ アラン・チューリング伝』土屋俊・土屋希和子 訳、勁草書房、2015)
- 近藤滋『波紋と螺旋とフィボナッチ』学研メディカル秀潤社、2013。