特集

ノーベル賞と公式

Nobel Prizes and formulas

受賞の理由の文に、式の名前はほとんど出てこない。

プランクから誤差逆伝播法まで、ノーベル賞につながった公式を、公式の受賞理由の文で読む。式ではなく発見や発明に贈られる賞の決まりと、数学の賞のことも。

種類
特集
公式
21 本
人物
アルベルト・アインシュタイン、スヴァンテ・アレニウス、マックス・プランク、ルイ・ド・ブロイ、ヴェルナー・ハイゼンベルク、クラウス・フォン・クリッツィング、キャリー・マリス、ジェフリー・ヒントン
場面

1922 年 12 月 10 日の紹介

1922 年 12 月 10 日、ノーベル物理学委員会の委員長スヴァンテ・アレニウスが、アルベルト・アインシュタインを紹介する言葉を述べた。贈られたのは 1921 年の物理学賞である。その年の推薦はどれも遺言の基準を満たさないと委員会が判断し、賞は 1 年持ち越されていた。

アレニウスは相対性理論から話し始めた。いま生きている物理学者で、アインシュタインほど名を広く知られた人はおそらくいない。議論の中心は相対性理論である、と。次に 1905 年のブラウン運動の理論に触れた。そのうえで 3 つ目のまとまりとして、プランクが 1900 年に始めた量子論の研究を挙げ、ノーベル賞はとくにこれに贈られたと述べて、光電効果の説明に入った。公式の受賞理由は「理論物理学への貢献、とくに光電効果の法則の発見に対して」である。

1923 年 7 月 11 日、アインシュタインはスウェーデンのイェーテボリで受賞の講演をした。題は「相対性理論の基本の考えと問題」だった。

紹介したアレニウスも、1903 年の化学賞の受賞者である。理由は電離の理論で、いま彼の名で呼ばれる反応の速さの式ではない。

ノーベル賞は、何に贈られるのか。式か、発見か、発明か。この特集は、受賞の理由の文を 1 つずつ読み、公式と賞のつながりを確かめる。理由の文はどれも、ノーベル賞の公式サイト NobelPrize.org の英語の 1 行を訳したものである。

考え方

賞の決まりを読む

アルフレッド・ノーベルは 1895 年 11 月 27 日、パリで最後の遺言に署名した。財産の利子を 5 つに分け、物理学で「最も重要な発見または発明」をした人、化学で「最も重要な発見または改良」をした人、生理学・医学で「最も重要な発見」をした人、文学、平和に贈る、と書いた。賞の対象は発見と発明であって、式ではない。

ノーベル財団の定款には、式と賞の関係に効く決まりがほかにもある。

  • 1 つの賞を分けるのは 3 人まで。亡くなった人の仕事は新たに選ばない(第 4 条)
  • 仕事は、経験か専門家の吟味によって、遺言の言う重要さをもつと確かめられたものでなければならない(第 5 条)

経済学の賞は遺言に無い。1968 年にスウェーデンの中央銀行(リクスバンク)が設けた「アルフレッド・ノーベル記念経済学スウェーデン国立銀行賞」で、最初の授与は 1969 年である。

数学の賞も遺言に無い。アーベル賞の公式の歴史によれば、1897 年に知られたノーベルの賞の計画に数学が無かったことは、ノルウェーの数学者ソフス・リーがアーベルの名の賞を作ろうとした動機の 1 つだった。アーベル賞はノルウェー政府が 2002 年に設け、最初の授与は 2003 年である。国際数学連合のフィールズ賞は 1936 年に始まり、国際数学者会議の年の 1 月 1 日の時点で 40 歳未満の人に贈られる。

量子の始まりの式

量子力学をつくった式は、ほぼすべてノーベル賞に結びついている。ただし理由の文を読むと、何に贈ったかの言い方はまちまちである。

プランクの関係式 は 1900 年に出た。1918 年の物理学賞の理由は「エネルギー量子の発見によって物理学の進歩にもたらした貢献を認めて」で、この賞も 1 年持ち越された。アインシュタインの光電効果の法則は、 を光の粒のエネルギーと読んだ式である。その法則を実験で確かめたロバート・ミリカンは、1923 年に「電気素量と光電効果についての研究」で受賞した。

ド・ブロイ波長 は 1924 年の学位論文にある。1929 年の理由は「電子の波動性の発見」で、理論の仕事が「発見」と書かれている。1927 年に結晶による電子の回折を見つけたデイヴィソンとトムソンは、1937 年に受賞した。

不確定性原理は 1927 年に出た。ハイゼンベルクの 1932 年の理由は「量子力学の創始に対して。その応用は、とりわけ水素の同素体の発見につながった」で、不確定性原理の名は無い。この賞も 1 年持ち越され、1933 年 12 月 10 日の授賞式で、その年の受賞者シュレーディンガー、ディラックと並んで紹介された。シュレーディンガー方程式とディラック方程式の 2 人の理由は「原子の理論の、新しく実り多い形の発見」である。ディラックの式が予言した陽電子を見つけたカール・アンダーソンは 1936 年に、波動関数の統計的な解釈を出したマックス・ボルンは 1954 年に受賞した。

理論の式への賞は、実験の裏づけが出たあとに来ていることが多い。ド・ブロイの受賞は電子の回折の実験の 2 年後で、ディラックの受賞は陽電子の発見の翌年である。定款の第 5 条が確かめを求めていることと合う(この 2 つを結びつけるのは推測)。

理論の式に、実験の賞

式を書いた人ではなく、式を確かめた人や、式が表す現象を見つけた人に賞が贈られた例も多い。

ブラウン運動の式は 1905 年のアインシュタインのものだが、賞は、水に浮かべた粒の数と動きを測ったジャン・ペランに 1926 年に贈られた。理由は「物質の不連続な構造についての研究、とくに沈降平衡の発見」である。

質量とエネルギーの等価性 も、アインシュタインの受賞理由には無い。1932 年に加速した陽子でリチウムの原子核を割ったコッククロフトとウォルトンが、1951 年に「人工的に加速した粒子による原子核の変換についての先駆的な仕事」で受賞した。

放射性崩壊の指数の法則は、1902 年のラザフォードとソディの仕事から出た。ラザフォードが 1908 年に受けたのは化学賞で、理由は「元素の崩壊と、放射性物質の化学についての研究」だった。炭素 14 で年代を決めるウィラード・リビーの方法は、1960 年の化学賞になった。

量子ホール効果は、実験の発見がそのまま式になった例である。1980 年の発見の 5 年後、1985 年の理由は「量子化ホール効果の発見」だった。

宇宙からの信号を待った式

宇宙を相手にする式では、賞は検出器と観測に贈られている。

ニュートリノ振動では、2002 年にデイヴィスと小柴昌俊が「宇宙からのニュートリノの検出」を含む理由で、2015 年に梶田隆章とアーサー・マクドナルドが「ニュートリノに質量があることを示す、ニュートリノ振動の発見」で受賞した。振動の考えを 1957 年に出したポンテコルボや、1962 年に混合を式にした牧二郎・中川昌美・坂田昌一は、受賞者に入っていない。

重力波のチャープ質量では、1993 年にハルスとテイラーが「新しい型のパルサーの発見」で受賞した。連星の公転の周期の縮み方が、重力波が運び去るエネルギーの分と合っていた。2017 年には、ワイス、バリッシュ、ソーンが「LIGO の検出器と重力波の観測への決定的な貢献」で受賞した。発表文によれば、LIGO には 20 を超える国の 1000 人以上の研究者が加わっている。1 つの賞は 3 人までなので、受賞者の名前は共同の仕事のごく一部である。

生命と化学の式

ホジキン・ハクスリーのモデルは 1952 年に出た。ホジキンとハクスリーは、1963 年にエクルズとともに生理学・医学賞を受けた。理由は「神経細胞の膜の末梢と中枢の部分で、興奮と抑制にかかわるイオンの仕組みについての発見」である。

PCRのキャリー・マリスは、1993 年の化学賞をマイケル・スミスと分けた。理由は「ポリメラーゼ連鎖反応(PCR)法の発明」である。遺言の化学の部分は「発見または改良」だが、理由の文は「発明」と書いた。

アレニウスの式は 1889 年に出た。アレニウスの 1903 年の化学賞の理由は「電離の理論によって化学の進歩にもたらした並外れた貢献を認めて」で、温度と反応の速さの式は入っていない。最初の化学賞(1901 年)のファントホッフの理由は「化学動力学の法則と溶液の浸透圧の法則の発見」で、アレニウスが手がかりにした 1884 年の本『化学動力学の研究』と同じ言葉を含む。

経済学の賞と、AI の賞

ブラック・ショールズ方程式は 1973 年に出た。1997 年の経済学賞は、マートンとショールズに「デリバティブ(金融派生商品)の価値を決める新しい方法」で贈られた。発表文は、2 人が 1995 年に亡くなったフィッシャー・ブラックと密に協力してこの方法を作ったと書き、「ブラック・ショールズの公式」と式の名前も挙げている。

誤差逆伝播法は 1986 年に出た。2024 年の物理学賞は、ホップフィールドとヒントンに「人工の神経回路による機械学習を可能にした、基礎となる発見と発明」で贈られた。発表文は、2 人が「物理学の道具」を使ったと書き、ホップフィールドの連想記憶の回路と、ヒントンのボルツマンマシンを中心に置く。物理学委員会の解説は、1986 年の論文のラメルハート、ヒントン、ウィリアムズはこの計算法を再発明し、より大事なこととして、隠れた層をもつ回路が学べることを示したと書く。3 人のうち受賞したのはヒントン 1 人である。

注意機構は、同じ年の化学賞の解説に出てくる。たんぱく質の構造の予測で受賞したハサビスとジャンパーについて、一般向けの解説は、チームが AlphaFold2 でトランスフォーマーと呼ばれるニューラルネットワークを使い始めたと書いている。

数学の賞

ノーベル賞の無い数学では、フィールズ賞やアーベル賞の理由の文に、定理や問題の名前がはっきり出てくる。

  • リッチフローとポアンカレ予想: 2006 年のフィールズ賞は、ペレルマンに「幾何学への貢献と、リッチフローの解析的・幾何的な構造への革命的な洞察」で贈られた。ペレルマンは受けなかった
  • 8 次元の球の詰め込み: 2022 年のフィールズ賞のヴィヤゾウスカの理由は、「E8 格子が 8 次元で同じ大きさの球の最も密な詰め方を与えることの証明」から始まる
  • フェルマーの最終定理: 2016 年のアーベル賞は、ワイルズに「半安定な楕円曲線の保型性予想を通した、フェルマーの最終定理の見事な証明」で贈られた
  • ショアのアルゴリズム: ショアは 1998 年に、情報科学の数学に贈る国際数学連合のネヴァンリンナ賞を受けた

物理学や化学の賞が「発見」や「発明」を挙げるのに対して、数学の賞は「証明」や「洞察」を挙げる。自然の中に見つけたものと、人が組み立てた論証の違いが、理由の文の言葉に出ていると読める。

シミュレーション

光電効果の法則を動かす

1921 年の理由の文にある光電効果の法則を、手で動かして確かめる。「波長を自動で変える」を切り、金属をナトリウム(仕事関数 約 2.3 eV)にすると、波長が約 540 nm より長い光では、光の強さを最大にしても電子は出ない。波長を短くすると飛び出す電子の運動エネルギー が増え、光を強くすると電子の数だけが増える。下のグラフの直線の傾きがプランク定数 で、ミリカンが実験で確かめたのはこの直線である。

ノート

理由の文から見えること

確かめたことを並べる。この特集で読んだノーベル賞の理由の文には、「発見」が最も多く出てくる。理論の仕事でも、ド・ブロイや 1933 年の理由のように、発見と書かれる。「発明」は PCR と 2024 年の物理学賞に、「方法」は 1960 年と 1993 年の化学賞と 1997 年の経済学賞に出てくる。法則の名前が入っているのは、1901 年のファントホッフの「化学動力学の法則」と、1921 年のアインシュタインの「光電効果の法則」くらいで、式の名前を挙げたものは無い。式の名前は、1997 年の発表文のように、理由の文の外に出てくる。

式や発見の年と受賞の年の差は、短いもので LIGO の 2 年(2015 年の観測、2017 年の受賞)、ド・ブロイと量子ホール効果の 5 年である。長いものでは、ブラック・ショールズの 24 年、誤差逆伝播法の論文からヒントンの受賞までの 38 年がある。賞の分野と式の分野も一致しない。物理学者のラザフォードは化学賞を、人工の神経回路の研究者のヒントンは物理学賞を受けた。

ここからは推測である。差が開くのは、定款の第 5 条が、経験か専門家の吟味で重要さが確かめられることを求めているからだと考えられる。予言する式は実験を待ち、手段として使われる式は、使われて広まるのを待つ。また、決まりのためかどうかは別にして、式を書いた人が受賞者に入っていない例は多い。ブラック、ポンテコルボ、ラメルハートとウィリアムズがそうである。賞の一覧は、式の歴史の全体ではなく、選ばれた一部を示している。

使いどころ

身の回りと、次に読む順番

受賞につながった式は、次の場面で使われている。

  • 太陽電池と LED。材料のエネルギーの差と、光子 1 個のエネルギー を比べると、太陽電池が使える光と LED が出す光の色が決まる
  • 電子顕微鏡。電子の波長 が光よりずっと短いので、細かく見える
  • 電気の抵抗の基準。量子ホール効果の段の高さ が使われている
  • 感染症の PCR 検査と、歯科などの局所麻酔。麻酔薬は神経のナトリウムの通り道をふさぎ、ホジキン・ハクスリーのモデルではナトリウムの伝導度を小さくすることにあたる

次にやることを挙げる。

  1. NobelPrize.org で各賞のページを開き、受賞の理由の文(Prize motivation)の 1 行を読む。次に一般向けの解説(Popular information)を、余裕があれば専門向けの解説(Advanced information)と受賞の講演を読む
  2. 公式の記事は、プランクの関係式、ド・ブロイ波長、シュレーディンガー方程式、ディラック方程式、不確定性原理の順に読むと、1900 年から 1933 年までの量子の式の流れがつながる
  3. 実験の側からはブラウン運動と量子ホール効果を、生命の側からはホジキン・ハクスリーのモデルとPCRを読む
  4. 毎年 10 月の発表のあとに、その年の理由の文を自分で読み、どの式につながるかを考える。この事典のノーベル賞のタグも合わせて見る

1980 年以降の式から並べ直した特集は1980 年以降に生まれた公式にある。

シュレーディンガー方程式の ∂ と の読み方は∂ と ∇ の読み方に、ハクスリーが手回しの計算機で時間を細かく刻んで式を解いた計算のしくみはオイラー法とルンゲ=クッタ法にある。

参考文献

  1. NobelPrize.org(Nobel Prize Outreach)の各賞の Summary にある受賞の理由の文。物理学賞 1918・1921・1923・1926・1929・1932・1933・1936・1937・1951・1954・1985・1993・2002・2015・2017・2024 年、化学賞 1901・1903・1908・1960・1993・2024 年、生理学・医学賞 1963 年、経済学賞 1997 年(2026 年 10 月 24 日参照)
  2. "Alfred Nobel's will"(1895 年 11 月 27 日)、"Statutes of the Nobel Foundation" 第 4 条・第 5 条、"The Sveriges Riksbank Prize in Economic Sciences in Memory of Alfred Nobel"(NobelPrize.org)
  3. S. Arrhenius, Presentation Speech, The Nobel Prize in Physics 1921(1922 年 12 月 10 日); A. Einstein, "Fundamental ideas and problems of the theory of relativity", Nobel Lecture(イェーテボリ、1923 年 7 月 11 日); H. Pleijel, Presentation Speech, The Nobel Prize in Physics 1932(1933 年 12 月 10 日)
  4. Press release: The Nobel Prize in Physics 2017・2024、The Sveriges Riksbank Prize in Economic Sciences 1997; Popular information: The Nobel Prize in Chemistry 2024; The Nobel Committee for Physics, "Scientific Background to the Nobel Prize in Physics 2024"(NobelPrize.org)
  5. 国際数学連合: Fields Medal、Fields Medals 2006・2022、Rolf Nevanlinna Prize(mathunion.org)
  6. The Abel Prize: "The History of the Abel Prize"、Laureates 2016(abelprize.no)

この読みものの公式

光のエネルギー(プランクの関係式)
物理学化学工学天文学1900年
ド・ブロイ波長
物理学化学工学生物学1924年
不確定性原理
物理学化学情報科学工学1927年
シュレーディンガー方程式
物理学化学工学情報科学1926年
ディラック方程式
物理学化学医学数学1928年
ブラウン運動
物理学化学生物学経済学1827年(観察)・1905年(理論)
質量とエネルギーの等価性
物理学天文学医学工学1905年
放射性崩壊
物理学化学考古学地球科学1900年〜1902年(ラザフォードとソディ)
量子ホール効果
物理学工学数学1980年
ニュートリノ振動
物理学天文学地球科学数学1957年(着想)・1998年(確認)
重力波のチャープ質量
物理学天文学工学数学1963年(計算)・2015年(初の観測)
ホジキン・ハクスリーのモデル
生物学医学物理学工学1952年
PCR(ポリメラーゼ連鎖反応)
生物学医学化学数学1985年
アレニウスの式
化学生物学地球科学工学1889年
ブラック・ショールズ方程式
経済学数学物理学1973年
誤差逆伝播法
数学情報科学生物学物理学1986年
トランスフォーマーの注意機構
数学情報科学言語学物理学2017年
リッチフローとポアンカレ予想
数学物理学工学1982年(リッチフロー)・2002〜03年(証明)
8 次元の球の詰め込み
数学情報科学物理学化学2016年
フェルマーの最終定理
数学情報科学哲学1630年代
ショアのアルゴリズム
数学情報科学物理学工学1994年

同じ公式が出てくる読みもの

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