午前 2 時のグルノーブル
1980 年 2 月 4 日の夜、フランスのグルノーブルにある、マックス・プランク固体研究所の強磁場研究所で、36 歳のクラウス・フォン・クリッツィングがシリコンのトランジスタを測っていた。西ドイツのヴュルツブルク大学の研究者で、前の年からこの研究所に来ていた。
調べていたのは、トランジスタの中の電子をどうすれば動きやすくできるか、どんな散乱が電子の動きを妨げるか、という問いである。試料は、シーメンスのゲルハルト・ドルダと、ケンブリッジ大学のマイケル・ペッパーが用意した、ホール効果を測るための特別な MOSFET(金属・酸化膜・半導体の電界効果トランジスタ)だった。シリコンと酸化膜の境目の、厚さ数 nm の層に集められた電子は、面に沿ってしか動けない。液体ヘリウムで冷やし、面に垂直に 19.8 T の磁場をかけ、ゲートの電圧を変えながら、電流の向きの電圧と、横の向きの電圧(ホール電圧)を記録計に描かせていく。
ホール電圧を電流で割ったホール抵抗は、ゲートの電圧を上げて電子を増やすと下がっていく。ところどころで、それが平らな段になった。段のところでは、電流の向きの抵抗が 0 に落ちた。段そのものは、それまでの測定にも写っていた。この夜に問題になったのは、段の高さである。
本人はのちに、量子ホール効果の誕生の時刻はとても正確に決められると書き、2 月 4 日から 5 日にかけての夜、午前 2 時ごろを挙げている。4.2.1980 と日付を書いたノートには、準位が 1 つちょうど満ちたときのホール電圧の式 が初めて書きつけられた。ホール抵抗は、プランク定数 と電気素量 だけで決まり、試料の形にも電子の数にもよらない、という式である。その下には、 が 25813 Ω になることと、記録計の入力の抵抗 1 MΩ が並列に入るぶんを入れると 25163 Ω に見えるはずだという計算が並ぶ。記録計に描かれた段は、この簡単な計算どおりの高さにあった。
同じページには、5 日に西ドイツの国の計量研究所 PTB へかけた電話のメモもある。形にも材料にもよらない抵抗が計量に役立つことは、すぐに分かったという。
論文は 1980 年 5 月 30 日に『フィジカル・レビュー・レターズ』に届いた。初めの題は「基礎定数にもとづく抵抗の標準の実現」だった。査読者は、いま求められているのはもっと正確な抵抗器ではなく、 のもっと正確な値だ、と指摘した。 は、微細構造定数 の逆数に決まった数を掛けたものだからである(応用)。題は「量子化ホール抵抗にもとづく、微細構造定数の高精度の新しい決め方」に改められ、8 月 11 日に載った。
5 年後の 1985 年 10 月 16 日、スウェーデン王立科学アカデミーは、ノーベル物理学賞を「量子化ホール効果の発見」によってフォン・クリッツィング 1 人に贈ると発表した。授賞式の紹介の言葉は、この発見を、だれも面白いことが起こるとは思っていなかった分野で、だれにも予想できなかったことが見つかった例として語っている。
曲がる電流と 2 次元の電子
1879 年、アメリカのジョンズ・ホプキンス大学の大学院生エドウィン・ホールは、ガラスの板に貼った薄い金箔に電流を流し、面に垂直に磁場をかけた。すると、電流にも磁場にも直角な向きに、わずかな電圧が生じた。磁場が、動く電荷を横へ押すためである。この電圧から、物の中で電気を運ぶ粒の数と、その電荷の正負が分かる。ホール効果は、半導体を調べる標準の方法になった。
100 年後に問われたのは、電子が平面の中でしか動けないときの姿である。1966 年、IBM のファウラーらは、シリコンの表面にゲートの電圧で集めた電子が、2 次元の電子の気体として振る舞うことを示した。強い磁場の中では、面に沿った電子の円運動も量子化され、エネルギーはとびとびの値をとる。レフ・ランダウが 1930 年に理論を立てたので、ランダウ準位と呼ばれる。
日本では、この系のホール効果が早くから調べられていた。1975 年、東京大学の安藤恒也らは、2 次元の電子のホール伝導度をいくつかの近似で計算した。安藤は 1983 年の解説で、その大事な結論の 1 つを、電子の詰まる上端(フェルミ準位)が準位と準位のすき間にあるとき、ホール伝導度が の整数倍になることだったと書いている。同じ解説によれば、学習院大学の川路紳治らが 1975 年に、シリコンの反転層の実験でこれを確かめた。ノーベル賞の発表によれば、1975 年から 1981 年に日本の多くの研究者が、特別な点で安藤の計算どおりの値を得ていたが、その正確さは詰めなかった。
フォン・クリッツィング自身が 1978 年に共同研究者のエングラートと発表したデータにも、平らな段がはっきり写っていた。ノーベル賞の発表は、量子ホール効果はこのとき見つかっていてもおかしくなかったと書いている。1980 年までのデータは、電流を運ばない電子(局在した電子)があれば、そのぶん段の値は からずれる、という考えで読まれていた。2 月の夜に分かったのは、段の値が、局在した電子の量によらないことだった。
分数の段は、1981 年 10 月 7 日に見つかった。マサチューセッツ工科大学のフランシス・ビッター磁石研究所で、ベル研究所のダニエル・ツイとホルスト・シュテルマーらが、もっと乱れの少ないガリウムヒ素の試料を測り、、つまりホール抵抗が の 3 倍になる段をとらえた。1983 年、ロバート・ラフリンは、強い磁場の中の電子が集まって新しい種類の量子の液体になり、電荷 の準粒子が現れることを示した。3 人は 1998 年のノーベル物理学賞を受けた。
古典のホール効果から h/e² へ
まず古典のホール効果を求め、そこに量子力学の 2 つの事実を入れる。円運動のエネルギーがとびとびになることと、1 つの準位に入れる電子の数が磁場に比例することである。電子は面の中だけを動き、 は 1 m² あたりの電子の数、試料の幅を とする(図示)。
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面に垂直な磁場 の中を速さ で動く電子には、横向きにローレンツ力 がはたらく。電子が縁にたまってできる横の電場 が、この力とつり合う(マクスウェル方程式)。
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幅 の両側の電圧(ホール電圧)は
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電流は、1 秒に流れる電荷である。幅 の帯の中を、1 m² あたり 個の電子が速さ で進む。
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2 を 3 で割ると、速さと幅が消える。古典のホール抵抗は に比例する直線になる。
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量子力学では、磁場の中の円運動のエネルギーはとびとびの値(ランダウ準位)になる。 は結晶の中の電子の有効質量である。
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ベクトルポテンシャルを の向きにとってシュレーディンガー方程式を解くと、1 つの準位の中の状態は、 の向きの波数 と、円運動の中心の位置 で区別できる。 の向きの長さ の試料では は おきの値をとるので、中心の間隔は
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幅 に入る中心の数を面積 で割ると、1 つの準位に入れる電子の数は、1 m² あたり 試料を貫く磁束を磁束量子 で割った数を、面積で割ったものに等しい。有効質量にも材料にもよらない。スピンの向きで分かれた準位は、別々に数える。
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下から 個の準位がちょうど満ちているとき、電子の数は
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8 を 4 に入れると が消え、自然の定数だけが残る。
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J·s、 C を入れる(光のエネルギー)。
4 で幅 が消えた。2 次元では、ホール抵抗は試料の大きさによらず、電圧計と電流計で測った値が、そのまま抵抗率になる。準位がちょうど満ちていれば、次の準位までエネルギーのすき間があるので、電子は散乱されず、電流の向きの抵抗率 は 0 になる。このとき伝導度も で、抵抗も伝導度も 0 という、ふつうの金属には無いことが起こる。
この計算では、 がちょうど整数になる 1 つの磁場でしか にならない。4 の直線と 1 点で交わるだけである。実際には、段は広い磁場の範囲で平らになる。理由は試料の中の乱れにある。不純物のために準位は幅を持ち、その両端の状態は、ポテンシャルの山や谷のまわりを回るだけで試料を横切れない(局在)。電流を運べるのは、準位の中心の近くの広がった状態だけである。磁場を変えて、フェルミ準位が局在した状態の中を動く間は、電子の入った広がった状態の数は変わらず、 も変わらない(図示)。
なぜ段の値がこれほど正確なのかの完全な説明は、トポロジーの理論が受け持つ。1981 年、ラフリンは、2 次元の電子の帯を輪にして、その穴に通す磁束を変える思考実験を考えた。電磁気の式の対称性(ゲージ不変性)から、磁束を だけ増やすと電子の従う式は元に戻り、その間に輪の一方の縁から他方へ整数個の電子が運ばれる。ここからホール伝導度が の整数倍になる。1982 年、ワシントン大学のサウレスら 4 人は、ホール伝導度を電子の波動関数で表す式を導き、その値が整数になることを示した。この整数は、のちに数学の第 1 チャーン数と結びつけられた。形を連続的に変えても変わらない量なので、乱れや電子どうしの力が少し加わっても動かない。サウレスは 2016 年のノーベル物理学賞を受けた。上の 1〜10 は、乱れも電子どうしの力も無い電子についての筋である。
応用
抵抗の基準。 日本の電子技術総合研究所を含む各国の計量研究所が測り直し、値は 25812.802〜25812.814 Ω に収まった。1988 年、国際度量衡委員会は、 Ω をフォン・クリッツィング定数の約束の値とし、1990 年 1 月 1 日から、量子ホール効果で抵抗を測るすべての研究所がこの値を使うよう勧告した。この値で作る抵抗の基準の、SI のオームに対する不確かさは 1000 万分の 2 と見積もられた。2019 年 5 月 20 日の SI の改定で と が定義の値になると、約束の値は廃止され、 そのものが誤差の無い数になった。
との差は 1 億分の 1.78 で、1988 年の見積もりの内側にある。10 kΩ の標準抵抗器なら、0.18 mΩ だけ値が付け替わったことになる。巻き線の標準抵抗器は年とともに値がずれる。PTB の測定では、量子ホール素子と比べた標準抵抗器の値が時間とともにずれていき、そのずれはどの量子ホール素子で測っても同じだった。ずれていたのは抵抗器の方である。
微細構造定数。 電子と光の結びつきの強さを表す微細構造定数は、 と書ける。 Ω を使うと になる。1980 年の論文の題が微細構造定数を掲げたのは、このためである。
どれだけ強い磁場が要るか。 ガリウムヒ素の試料で、電子が 1 m² あたり 個(1 cm² あたり 個)あるとする。10 T では 1 つの準位に 個入る。 になる磁場は T で、ホール抵抗は Ω になる。ランダウ準位の間隔 は、有効質量 のガリウムヒ素では 10 T で 16.5 meV である。液体ヘリウムの 4.2 K の熱のエネルギー meV の約 46 倍あり、電子は熱で次の準位へ上がれない。電子が軽いガリウムヒ素では、4 T ほどでも段がはっきり見える。
図示
磁場を上げていく
磁場 を上げると、上のグラフのホール抵抗 は、古典の直線(破線)に沿いながら平らな段を作り、段の高さは の整数分の 1 になる。段の上では、下のグラフの縦の抵抗 が 0 に落ちる。右(スマホでは下)の棚は、準位 1 段に入れる電子の数 を長さで、電子を斜線で表す。磁場を上げるほど 1 段が長くなり、使う段の数 が減る。電子の濃度 を変えると段の位置は動くが高さは変わらず、局在した状態の割合を減らすと段は狭くなる(段の間の形は、準位ごとに伝導度が半円を描く簡単な模型による。実際の試料では、広がった状態は準位の数 % しかない)。
広がる学問
- 物理学 量子ホール効果は、物質の状態をトポロジーで分ける考え方の出発点になった。2016 年のノーベル物理学賞の解説は、これを「トポロジカルな量子液体の最初の発見」と呼んでいる。1988 年、ダンカン・ハルデインは磁場が無くても同じ量子化が起こりうる模型を示した。2013 年には、クロムを加えた (Bi,Sb)₂Te₃ の薄膜で、磁場をかけずにホール抵抗が の段になることが観測された。
- 数学 サウレスらの式の整数は、波動関数から作る曲率(ベリー曲率)を運動量の空間で積分し、 で割ったもので、ファイバー束の数学で知られる第 1 チャーン数にあたる。曲面の曲がり方を全体で積分すると穴の数で決まる整数になる、というガウス・ボネの定理と同じ形の結果である。オイラーの多面体定理の と同じく、形を連続的に変えても変わらない。
- 工学 各国の計量研究所は、量子ホール素子を抵抗の基準に使い、標準抵抗器を校正している。電圧を と周波数の積で表せるジョセフソン効果と組み合わせると、電気の仕事率を で表せる。キッブル天秤(ワット天秤)でこれを力学の仕事率と比べると、 の決まった値からキログラムを実現できる。
参考文献
- K. v. Klitzing, G. Dorda, M. Pepper, "New Method for High-Accuracy Determination of the Fine-Structure Constant Based on Quantized Hall Resistance", Physical Review Letters 45 (1980), 494-497.
- K. von Klitzing, "The Quantized Hall Effect", Nobel Lecture (1985); Reviews of Modern Physics 58 (1986), 519. NobelPrize.org の 1985 年の発表文と授賞式の紹介の言葉
- K. von Klitzing, Séminaire Poincaré 2 (2004), 1-16; T. Chakraborty, K. von Klitzing, arXiv:1102.5250 (2011).
- T. Ando, Y. Matsumoto, Y. Uemura, J. Phys. Soc. Jpn. 39 (1975), 279; S. Kawaji, T. Igarashi, J. Wakabayashi, Prog. Theor. Phys. Suppl. 57 (1975), 176; T. Ando,『物性研究』40 (1983), 90.
- E. H. Hall, American Journal of Mathematics 2 (1879), 287; A. B. Fowler et al., Phys. Rev. Lett. 16 (1966), 901.
- R. B. Laughlin, Phys. Rev. B 23 (1981), 5632; D. J. Thouless et al., Phys. Rev. Lett. 49 (1982), 405; D. C. Tsui, H. L. Störmer, A. C. Gossard, Phys. Rev. Lett. 48 (1982), 1559; R. B. Laughlin, Phys. Rev. Lett. 50 (1983), 1395; H. L. Störmer, Nobel Lecture (1998); スウェーデン王立科学アカデミー、2016 年のノーベル物理学賞の解説
- CIPM Recommendation 2 (1988); CGPM Resolution 1 (2018)(BIPM)