題目を変えた講演
1998 年 6 月 4 日から 9 日まで、岐阜県の高山で、第 18 回ニュートリノ物理学・天体物理学国際会議(ニュートリノ '98)が開かれた。スーパーカミオカンデの梶田隆章の講演は、「スーパーカミオカンデとカミオカンデによる大気ニュートリノの観測結果」という題で知らされていた。
会場にいた物理学者の村山斉は、のちにこう書いている。梶田は最初のスライドを示しながら「これから行う講演の題目を変更します」と宣言した。新しい題は「ミューニュートリノ振動の証拠」だった。講演の最後に村山が立ち上がると、聴衆の半分ほどが続いて立ち、拍手を贈った。物理学の会議では、ふつう起こらないことだったという。
示されたのは 535 日分のデータだった。宇宙線が大気にぶつかると、ミューニュートリノと電子ニュートリノがおよそ 2 対 1 でできる。エネルギーの高いミューニュートリノのうち、地球の裏側の大気で生まれ、地球を通り抜けて下から来たものは、上から来たものの半分ほどしかなかった。電子ニュートリノには上下の差が無かった。ミューニュートリノの上下の差は標準偏差の 6 倍を超え、偶然の揺らぎでは説明できなかった。論文の原稿は 7 月 3 日に公開され、8 月 24 日に『フィジカル・レビュー・レターズ』に載った。
この発見は、別のものを探す装置から始まった。1983 年 7 月、岐阜県神岡の茂住の鉱山の地下 1000 m で、3000 t の水をためたカミオカンデが動き出した。小柴昌俊が率いる装置の目的は陽子の崩壊を見つけることで、大気でできるニュートリノはその邪魔をする雑音だった。
梶田は陽子の崩壊の研究で博士論文を出すとすぐ、解析のプログラムの改良に取りかかった。博士号を取ったのは 1986 年 3 月である。光の輪が電子によるものかミューオンによるものかを見分ける部分を試すと、ミューニュートリノの事象が予想よりずっと少なかった。梶田は自分が大きな誤りをしたと考え、事象を目で確かめたが、見分けは正しかった。その年の終わりから 1 年かけて滝田正人と誤りを探しても、見つからない。1988 年の論文は、ミュー型の事象が予想の 59 ± 7 % しかなく、検出器の効果やニュートリノの量の不確かさでは説明できないと報告した。
同じ検出器は 1987 年 2 月 23 日、大マゼラン雲の超新星 1987A から来たニュートリノを、13 秒の間に 11 個とらえた。論文の 2 人目の著者は梶田である。小柴は 2002 年、宇宙からのニュートリノの検出でノーベル物理学賞を受けた(その発表は、超新星のニュートリノを 12 個としている)。1996 年 4 月には、5 万 t の水を光電子増倍管 1 万 1146 本で見張るスーパーカミオカンデが動き出していた。
太陽から半分しか届かない
1930 年 12 月、ヴォルフガング・パウリは、ベータ崩壊でエネルギーが保存されないように見える謎を解くため、電気を帯びず、物質とほとんど関わらない軽い粒子を仮定する手紙を書いた(放射性崩壊)。名前をニュートリノとしたのはエンリコ・フェルミである。フレデリック・ライネスとクライド・カワンは原子炉のそばでこの粒子をとらえ、1956 年 6 月にパウリへ電報で知らせた。
1957 年、ブルーノ・ポンテコルボは、K 中間子とその反粒子が行き来する現象にならい、ミューオンと電子が結びついたメソニウムとその反粒子が入れ替わる可能性を論じた。論文の終わりでは、ある条件のもとでニュートリノと反ニュートリノも真空で入れ替わりうると書いた。いまの、種類が変わる振動とは別のものである。翌年の論文は、その効果は実験室では見えないかもしれないが、天文学の規模では起こるはずだと結んでいる。
1962 年、アメリカのブルックヘブン国立研究所の実験で、ミューオンと組になるニュートリノは電子と組になるものとは別の種類だと分かった。同じ年、名古屋大学の牧二郎・中川昌美・坂田昌一は、電子ニュートリノとミューニュートリノを、質量の決まった 2 つのニュートリノを角度 で回して混ぜたものとして書いた。振動そのものは論じていないが、ミューニュートリノが電子ニュートリノに移り変わる時間を見積もっている。
1967 年 6 月に投稿した論文で、ポンテコルボは電子ニュートリノとミューニュートリノの振動を論じた。振動の長さはエネルギーに比例し、質量の差が大きいほど短い。太陽で生まれた電子ニュートリノが途中で振動すれば、地球でとらえられる量は全体の半分になると書いた。
翌 1968 年、アメリカのホームステーク金鉱でレイモンド・デイヴィスが最初の結果を出した。太陽から来る電子ニュートリノは予想より少なかった。この太陽ニュートリノ問題は 30 年以上続き、予想の 3 分の 2 までが足りなかった。1969 年にはウラジーミル・グリボフとポンテコルボが、混ざり方の角度を入れて、真空で電子ニュートリノが残る確率を計算した。いまの混合の行列は、4 人の名をとってポンテコルボ・牧・中川・坂田(PMNS)行列と呼ばれる。
1998 年のスーパーカミオカンデに続き、2001 年と 2002 年には、カナダのサドベリー・ニュートリノ観測所(SNO)が太陽の謎を解いた。地下 2 km の 1000 t の重水で、電子ニュートリノだけの量と、3 種類を合わせた量を別々に測ると、電子ニュートリノは予想の 3 分の 1 だったが、合わせた量は予想どおりだった。2015 年 10 月 6 日、梶田とアーサー・マクドナルドに、ノーベル物理学賞が贈られると発表された。理由は「ニュートリノに質量があることを示す、ニュートリノ振動の発見」である。
2 つの波のずれから
ミューとタウの 2 種類だけが混ざるとして、確率の式を導く。 の自然単位を使う。
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種類の決まった状態は、質量の決まった 2 つの状態 ・ を角度 で回して重ね合わせたものである。
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質量の決まった状態は、それぞれの運動量 の波として進む(波長は 。ド・ブロイ波長)。同じエネルギー で生まれたとし、共通の時間の因子 を除くと、距離 のあとの状態は(シュレーディンガー方程式)
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これがタウニュートリノとして見つかる振幅は、 との内積である。
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確率は振幅の絶対値の 2 乗である。(オイラーの公式)と を使う。
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質量 の粒子では である(質量とエネルギーの等価性)。ニュートリノでは なので、 を使う。
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差をとると が消え、質量の 2 乗の差 だけが残る。
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4 に入れると、ミューがタウに変わる確率になる。
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単位を戻すと、位相は である。 eV·m を使い、 を eV²、 を km、 を GeV で測ると、係数は になる。
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種類は 2 つしかないので、ミューのまま残る確率は
なら、確率はいつも 0 である。2 つの質量が等しければ(とくに両方とも 0 なら)種類は変わらない。振動が見えれば、少なくとも 1 つのニュートリノは質量を持つ。
2 では 2 つの状態のエネルギーを等しいとした。運動量を等しいとしても同じ式になる。3 種類では、3 × 3 の行列で混ざる式に広がる。地球の中の電子は、W ボソンを交換する反応(荷電カレント)を電子ニュートリノとだけ起こし、その進み方を変える。Z ボソンを交換する反応(中性カレント)は 3 種類に同じだけ効き、どの種類の位相もそろってずらすだけなので、確率には現れない。そのためミューとタウは物質の中でも同じように進み、2 つの間の振動には真空の式がそのまま使える。1998 年の論文も、物質の効果はミューと電子の振動の計算にだけ入れている。
式の形は、実験で 1 つずつ確かめられた。2004 年、スーパーカミオカンデは をよく決められる事象だけを選び、ミューのまま残る割合が 500 km/GeV のあたりで谷になることを示した。2013 年には、変わった先のタウニュートリノの反応が、標準偏差の 3.8 倍の確かさで見つかった。
上と下で計算する
PDG 2026 の、正常質量階層の場合の値 eV²・ を、・ として使う。 である。エネルギーは 1 GeV とする。
真上から。 km では、位相は rad である。 は 0.0022 で、タウに変わる確率は 0.002 にすぎない。99.8 % がミューのまま届く。
真下から。 km では、位相は 40.3 rad になる。 は 0.29 で、ミューのまま残るのは 71 % である。ところが真下の 12757 km にすると、残るのは 6 % に下がる。位相を 進めるには、エネルギーが 8 % 違えば足りる。大気ニュートリノのエネルギーは広くばらつくので はならされて 1/2 になり、残るのは である。
1998 年の数と比べる。 論文の上下の非対称は である。 は下から上へ向かう事象、 は上から下へ向かう事象の数で、下から来た数と上から来た数の比は になる。高山の講演のスライドにも、この比は 0.54 と書かれていた。論文は、 が大きいところのミューニュートリノは何度も振動し、平均でおよそ半分に減ったと考えられると書いている。
最初の谷と T2K。 位相が になると、ミューはほとんどタウに変わる。そこは km/GeV である。茨城県東海村の J-PARC から 295 km 先のスーパーカミオカンデへミューニュートリノを送る T2K 実験では、最もよく変わるエネルギーは GeV になる。T2K のビームは 600 MeV を中心にそろえてある。
質量の下限。 式から分かるのは 2 乗の差だけである。それでも重い方の質量は eV より軽くはなれない。電子の質量 511 keV のおよそ 1000 万分の 1 である。一方、三重水素のベータ崩壊からは、電子ニュートリノの質量は 0.45 eV より小さい(90 % の信頼度)ことが分かっている。
図示
大気から検出器へ
地球の図では、大気で生まれたミューニュートリノがスーパーカミオカンデへ飛ぶ。粒の円の塗った部分がミューのままの割合で、飛んでいる間はグラフの中が空いた丸が同じ値をたどる。グラフをたたいて距離 を選び、エネルギー や を変えると波の細かさが変わる( なら、どこまで飛んでも種類は変わらない)。「エネルギーのばらつき」を入れると遠くの確率は 1/2 にならされ、下から ÷ 上から の比が 1998 年の観測に近い 0.5 ほどになる。
広がる学問
- 物理学 素粒子の標準模型では、ニュートリノの質量は 0 である。2015 年のノーベル賞の解説は、振動の発見を、標準模型が完全な理論ではないことをはっきり示した最初の結果としている。質量がこれほど小さい理由の候補に、1977 年から 1979 年に提案されたシーソー機構がある。
- 天文学 太陽の中心の核融合や超新星の爆発で出るニュートリノは、光が出てこない場所の様子を伝える。宇宙のニュートリノの質量を合わせると、見えている星をすべて合わせた質量と同じくらいと見積もられている。
- 地球科学 2005 年、神岡の KamLAND は、地球の中のウラン 238 とトリウム 232 の崩壊で出る反ニュートリノの検出を報告した。地球の内部で放射性崩壊が生む熱を確かめる手がかりになる。
- 数学 2 種類の混合は平面の回転の行列で書ける。3 種類では 3 × 3 のユニタリー行列になり、PDG は混ざり方の角度 3 つ(・・)と位相 の値を載せている。
- 工学 岐阜県飛騨市の地下 600 m では、直径 69 m・高さ 94 m の空洞(岩盤の中の人工の空洞として世界最大級)に、スーパーカミオカンデの約 8 倍の有効体積を持つハイパーカミオカンデを建設しており、2028 年の観測開始を目指している(東京大学 2025 年 8 月 5 日の発表)。
参考文献
- B. Pontecorvo, "Mesonium and Antimesonium", Soviet Physics JETP 6 (1958), 429(1957 年 5 月受付); "Inverse Beta Processes and Nonconservation of Lepton Charge", 同 7 (1958), 172; "Neutrino Experiments and the Problem of Conservation of Leptonic Charge", 同 26 (1968), 984(Zh. Eksp. Teor. Fiz. 53 (1967), 1717).
- Z. Maki, M. Nakagawa, S. Sakata, "Remarks on the Unified Model of Elementary Particles", Progress of Theoretical Physics 28 (1962), 870-880.
- K. S. Hirata et al., "Experimental Study of the Atmospheric Neutrino Flux", Physics Letters B 205 (1988), 416; K. Hirata et al., "Observation of a Neutrino Burst from the Supernova SN 1987A", Physical Review Letters 58 (1987), 1490.
- Y. Fukuda et al. (Super-Kamiokande), "Evidence for Oscillation of Atmospheric Neutrinos", Physical Review Letters 81 (1998), 1562-1567; Y. Ashie et al., 同 93 (2004), 101801; K. Abe et al., 同 110 (2013), 181802.
- T. Kajita, "Discovery of Atmospheric Neutrino Oscillations", Nobel Lecture (2015); 2015 年と 2002 年のノーベル物理学賞の発表と解説(NobelPrize.org)
- 村山斉「発見」『IPMU NEWS』15 (2011), 27; 東京大学「ハイパーカミオカンデ計画:超巨大空洞の掘削を完了」(2025 年 8 月 5 日); 東京大学宇宙線研究所「2015 年ノーベル物理学賞受賞」
- F. Takahashi et al. (Particle Data Group), International Journal of Modern Physics A 41 (2026), 2630011; S. Bilenky, "Neutrino oscillations: From a historical perspective to the present status", Nuclear Physics B 908 (2016), 2-13.