ド・ブロイ波長

de Broglie wavelength

「大きなヴェールの端を持ち上げた」とアインシュタインは書いた。

運動量 p の粒子には、波長 h/p の波が伴う。電子が結晶で回折することで確かめられ、電子顕微鏡や結晶の構造の解析、量子力学の出発点になった。

年代
1924年
人物
ルイ・ド・ブロイ、ポール・ランジュバン、アルベルト・アインシュタイン、クリントン・デイヴィソン、レスター・ジャーマー、ジョージ・パジェット・トムソン、菊池正士、エルンスト・ルスカ
逸話

大きなヴェールの端

1924 年 11 月 25 日、パリ大学理学部で、32 歳のルイ・ド・ブロイが学位論文の審査を受けた。題は『量子論の研究』。光が波と粒子の両方の性質を持つように、電子のような物質の粒子にも波が伴う、という論文である。

ド・ブロイは公爵家の次男で、大学では初め歴史学を学び、1910 年に学位を取った。物理に転じて 1913 年に理学の学位を取ると兵役に就き、第一次世界大戦の間はエッフェル塔の無線の部隊にいた。戦後は兄モーリスの研究室で X 線の実験に触れながら、量子の理論を考えた。

審査員は 4 人。物理学者のジャン・ペランとポール・ランジュバン、数学者のエリー・カルタン、鉱物学者のシャルル・モーガンである。報告書を書いたランジュバンは、冒頭でこの論文を、光の波動の理論と量子の理論という、これまで少なくとも見かけの上では矛盾してきた 2 つの理論を総合する重要な努力だと評した。ただし、電子に伴う周期的な現象の正体はまだはっきりしないと認めた。光の粒子は光速より遅く進むのに、伴う波は光速より速く進む、という難しさも書き添えた。結びは、考えの独創性と深さが、博士論文として受け入れることを十分に正当化する、である。

モーガンはのちに、審査のとき、物質の粒子に伴う波が本当にあるとは信じていなかったと認めている。ペランの息子フランシスは、父が審査の場で、その波を実験で確かめられるかを尋ねたと伝えている。

この審査には、よく語られる話がある。審査員たちは判断に迷い、ランジュバンが論文をアインシュタインに送って意見を求め、その返事に後押しされて学位が認められた、というものである。ド・ブロイ自身も、アインシュタインの支えで審査を受けられたと書いたとされる。

残っている手紙は、これと日付が合わない。アインシュタインがランジュバンに「ド・ブロイの仕事は私に大きな印象を与えた。彼は大きなヴェールの端を持ち上げた」と書いた手紙は 1924 年 12 月 16 日付で、審査の 3 週間後である。それより前の 2 人の手紙に、この論文の話は見つかっていない。科学史家の小島智恵子は、手紙の調子は内容を知ったばかりの人のものだという伝記作家ジョルジュ・ロシャックの指摘を紹介し、審査でのアインシュタインの役割は見直す必要があると書いている。

同じ手紙には、自分の新しい研究がド・ブロイの結果を支えるようだ、ともある。翌 1925 年の気体の論文でこの考えを引いたことが、シュレーディンガーの目をド・ブロイに向けさせた(シュレーディンガー方程式)。

1929 年、ド・ブロイは「電子の波動性の発見」によってノーベル物理学賞を受けた。選考委員長のカール・オセーンは授賞式でこう語った。あなたは知られた事実の支えなしに、物質には粒子の性質だけでなく波の性質もあると主張した。実験は後から来て、その正しさを確かめた。

起源

光の粒から物質の波へ

光が粒子としても振る舞うことは、20 世紀の初めに少しずつ認められていった。1905 年、アインシュタインは、光はエネルギー の粒子として振る舞うと考えた(光のエネルギー)。1923 年 5 月には、アメリカのアーサー・コンプトンが、X 線が電子に当たって散らばると波長が伸びることを、X 線の光子が電子とぶつかり、はね飛ばした電子の分だけエネルギーを失うとして説明した。

ド・ブロイは、この二重性を物質の側に広げた。手がかりは原子の中の電子だった。1913 年のボーアの理論では、電子は飛び飛びの軌道にしかいられない。ド・ブロイは 1929 年のノーベル賞講演で、整数が出てくる物理の現象は、それまで干渉と固有振動だけだった、だから電子にも周期性を持たせるべきだと考えた、と振り返っている(弦の振動と音の高さ)。

1923 年の 9 月から 10 月に、ド・ブロイは科学アカデミーの『コント・ランデュ』に 3 本の短いノートを出した。9 月 10 日の「波と量子」は、ペランの紹介で載った。静止した質量 の粒子が、内部に振動数 の周期的な現象を持ち、 を満たすと仮定する。粒子が速さ で動くと、相対性理論から、この振動と位相のそろった波は光より速い で進む。ド・ブロイは、この波が閉じた軌道を一周して電子に追いつくときに位相がそろう条件を求め、ボーアとゾンマーフェルトの量子条件と一致することを示した。

9 月 24 日の「光の量子、回折と干渉」には、こう書かれている。電子の流れが十分に小さな穴を通れば、回折の現象を示すだろう。私たちの考えの実験による確かめは、おそらくこの方向に求めることになる。

1923 年のノートには、 の形の式はまだ出てこない。小島によれば、この式が初めて現れるのは翌年の学位論文の最後の章で、気体の分子に伴う波の波長として と書かれた。

証明

光の式から電子の波長へ

光子の関係から出発し、それを電子に当てはめ、原子の中の電子の条件を導く。

  1. 振動数 の光の粒(光子)1 個のエネルギーは

  2. 相対性理論では、質量 0 の粒子のエネルギーと運動量は で結ばれる(質量とエネルギーの等価性)。

  3. 光の速さは振動数と波長の積 なので

  4. 波長について解き、この関係が質量を持つ粒子にも成り立つと仮定する。これがド・ブロイの考えである。

  5. 光よりずっと遅い電子では である。電圧 で加速すると なので

  6. J·s、電子の質量 kg、電荷 C を入れると

  7. 原子の中で半径 の円を回る電子に波が伴うなら、一周して元の形につながる波だけが残る。円周が波長の整数倍になる条件は

  8. を入れると、ボーアが 1913 年に仮定として置いた条件になる。 である。

水素の最も低い軌道では、半径は 0.0529 nm、電子の速さは秒速 2190 km である。円周は 0.332 nm で、この速さの電子の波長 も 0.332 nm になり、ちょうど 1 波長が収まる。

ド・ブロイ自身の筋は、光から始めるこの筋とは違った。1929 年の講演によれば、粒子の内部の振動 と相対性理論から、波の位相の速さ を求め、そこから を導いた。質量を 0 に近づけると、光子の 、 に戻る。

5 の式は、電子が光よりずっと遅いときの近似である。速い電子では を使う。電子の は 511 keV なので、100 V では差は 0.005 % にすぎないが、10 kV で 0.5 %、100 kV で 4.6 % 短くなる。

6 から、100 V の電子の波長は 0.123 nm で、結晶の中の原子の間隔と同じくらいになる。電子を結晶に当てれば、X 線と同じように回折するはずである。

ニッケルの結晶で。 ニューヨークの電話会社の研究所(のちのベル電話研究所)のクリントン・デイヴィソンは、1919 年から、金属に電子を当ててはね返る電子を調べていた。原子の中の様子を探るためである。共同研究者レスター・ジャーマーのノートによれば、1925 年 2 月 5 日、液体空気の瓶が割れて実験の管が壊れ、ニッケルの的がひどく酸化した。酸化を取るために長く熱すると、細かい結晶の集まりだった的は 10 ほどの大きな結晶に変わり、はね返る電子の分布に鋭い山が現れた。2 人は 1 つの結晶から切り出した的に切り替えた。

1926 年の夏、デイヴィソンはオックスフォードの学会で、マックス・ボルンが、デイヴィソンたちの 1923 年の測定を電子の波の証拠として引くのを聞いた。帰国してからは波を探す実験に絞った。1927 年 1 月 6 日のノートには「電子の束の最初の出現」とある。続く測定では、54 V の電子で、入射の向きから 50° の向きに強い束が出た。表面の原子の列の間隔 nm に、隣の列からの波が強め合う条件 を当てはめると、0.167 nm の波長から が出る(図示)。結果は 1927 年 4 月に『ネイチャー』、12 月に『フィジカル・レビュー』に載った。

薄い膜を通して。 同じころ、スコットランドのアバディーン大学のジョージ・パジェット・トムソンは、学生のリードと、1 万 3000 V ほどの速い電子をセルロイドの薄い膜に通した。写真の乾板には、中心の点を囲む輪が写った。のちに金属の膜でも輪を撮り、磁石で曲げると輪ごと動くことから、輪を作ったのが電子であることも確かめた。

雲母で。 東京の理化学研究所の菊池正士は、西川正治の勧めで、薄い雲母の板に電子を通して回折の像を撮り、1928 年 6 月に報告した。厚めの雲母では、白と黒の線が交わる模様が現れた。菊池は、結晶の中で電子が何度も散らばるためではないかと書いた。この線はのちに菊池線と呼ばれる。ド・ブロイは 1929 年の講演で、追試をした 1 人として日本の菊池の名を挙げている。

1937 年のノーベル物理学賞は、デイヴィソンとトムソンに贈られた。トムソンの父 J. J. トムソンは、気体の中を電気が伝わる研究で 1906 年に同じ賞を受け、電子の発見者として知られる。父が粒子として見つけた電子が、子の実験では波として振る舞った、という取り合わせはよく語られる。トムソンは講演で、電子の歴史に父の名を挙げることを、当然の誇りとして許してほしいと述べた。

応用

電子顕微鏡。 光の顕微鏡で見分けられる細かさは光の波長で限られ、およそ 0.2 µm が限度である。1931 年 4 月、ベルリン工科大学のエルンスト・ルスカは、マックス・クノルの研究班で、磁場のレンズ 2 段で電子の像を拡大できることを示した。倍率は 14.4 倍だった。ルスカは 1986 年のノーベル賞講演で、技術者の自分たちは物質波を知らなかったと書いている。1931 年の夏に初めて聞いたときは、電子顕微鏡も波長で分解能が限られると知ってひどく落胆した。だがド・ブロイの式で計算すると、電子の波長は光より 5 桁ほど短く、すぐに安心したという。1933 年の終わりには 1 万 2000 倍の像を撮っている。

いまの透過電子顕微鏡は、100〜300 kV で電子を加速する。200 kV なら、相対論の補正を入れて波長は 2.51 pm(0.00251 nm)で、緑の光(550 nm)の約 22 万分の 1 である。実際に見分けられる細かさは、主にレンズのゆがみで決まる。

野球のボール。 0.145 kg のボールが時速 144 km(秒速 40 m)で飛ぶと、運動量は 5.8 kg·m/s で、波長は m である。原子核の大きさ(約 m)より、さらに 19 桁小さい。日常の物で波が見えないのは、 が小さく、運動量が大きいからである。

中性子回折。 原子炉の中性子を室温の物質で減速すると、秒速 2200 m ほど(運動エネルギー 25 meV)になる。質量 kg から波長は 0.18 nm で、結晶の原子の間隔と同じくらいである。中性子は電荷を持たないので物質の奥まで入り、X 線では見えにくい水素の位置や、原子の磁石の向きを調べられる。この方法を開いたクリフォード・シャルは、1994 年のノーベル物理学賞を受けた。

図示

円の軌道を回る電子の波。左は円周がちょうど 4 波長で、一周した波が元の形につながる。右は 4.3 波長で、一周するとずれてしまい、打ち消し合って残らない。
デイヴィソンとジャーマーの実験の考え方。真上から当てた電子の波を、表面の原子の列が散らす。隣の列からの道のりの差 d sin φ が 1 波長に等しい向きで、波が強め合って電子の束が出る。
いろいろな波長を対数の目盛りで並べたもの。100 V の電子や室温の中性子の波長は、結晶の原子の間隔と同じくらいで、目に見える光より 3 桁短い。
シミュレーション

結晶に当てた電子の波

ニッケルの結晶の表面に真上から電子の波を当てると、原子 1 個ずつから広がる波(細い線)が重なり、隣の列との道のりの差が 1 波長になる向きに平らな波面(太い線)ができて、電子の束が出る。電圧を上げると波長 が縮み、束は真上に寄り、いまの装置の蛍光板に映る点の輪も内側へ縮む。32.5 V より低いと、波長が列の間隔 0.215 nm より長くなり、斜めの束は出ない。

広がる学問

  • 物理学 ド・ブロイの波が時間とともにどう変わるかを決める式がシュレーディンガー方程式である。波であることから、位置と運動量を同時に決めきれない不確定性原理が出てくる。1999 年には、炭素原子 60 個からなる分子 C60 でも干渉の縞が見られた。
  • 化学 電子は物質の表面の数層の原子としか関わらないので、電子線の回折は表面の原子の並びや薄い膜、さびのでき方を調べるのに使われてきた。
  • 工学 透過電子顕微鏡と走査電子顕微鏡は、半導体の回路や金属の組織の検査に欠かせない。金属の結晶の向きを地図にする方法(EBSD)は、菊池線の模様を読み取っている。
  • 生物学 試料を急いで凍らせて電子顕微鏡で撮るクライオ電子顕微鏡法は、水の中にあるたんぱく質の形を、原子に近い細かさで決める。開発したジャック・デュボシェ、ヨアヒム・フランク、リチャード・ヘンダーソンは、2017 年のノーベル化学賞を受けた。

参考文献

  1. L. de Broglie, "Ondes et quanta", Comptes rendus de l'Académie des Sciences 177 (1923), 507-510; "Quanta de lumière, diffraction et interférences", 同 548-550.
  2. L. de Broglie, "Recherches sur la théorie des quanta", Annales de Physique (10) 3 (1925), 22-128.(1924 年の学位論文)
  3. C. Davisson, L. H. Germer, "The Scattering of Electrons by a Single Crystal of Nickel", Nature 119 (1927), 558-560; "Diffraction of Electrons by a Crystal of Nickel", Physical Review 30 (1927), 705. G. P. Thomson, A. Reid, "Diffraction of Cathode Rays by a Thin Film", Nature 119 (1927), 890.
  4. S. Kikuchi, "Diffraction of Cathode Rays by Mica", "Further Study on the Diffraction of Cathode Rays by Mica", Proceedings of the Imperial Academy 4 (1928), 271-274, 275-278.
  5. Nobel Lectures: L. de Broglie, "The Wave Nature of the Electron" (1929); C. J. Davisson, "The Discovery of Electron Waves" (1937); G. P. Thomson, "Electronic Waves" (1938); E. Ruska, "The Development of the Electron Microscope and of Electron Microscopy" (1986). 授賞式の祝辞(C. W. Oseen 1929・H. Pleijel 1937)とともに NobelPrize.org
  6. R. K. Gehrenbeck, "Electron diffraction: fifty years ago", Physics Today 31(1) (1978), 34-41.
  7. C. Kojima, "Que pensait vraiment Langevin de la thèse de Louis de Broglie ?", Annales de la Fondation Louis de Broglie 26 (2001), 241-247; 小島智恵子「日本における『物質波理論』の受容」『総合文化研究』27(1) (2021), 1-24

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