寺院の床の式
1995 年 11 月 13 日、ロンドンのウェストミンスター寺院の身廊の床に、ポール・ディラックの記念の石が置かれた。場所はアイザック・ニュートンの記念碑のそばである。ディラックはケンブリッジ大学で 1932 年から 1969 年まで、かつてニュートンが就いたルーカス教授職にあった。
寺院の記録によれば、石には「P.A.M. DIRAC O.M. PHYSICIST」の文字と、生まれた年 1902、亡くなった年 1984 が刻まれ、その間に電子のふるまいを表すディラック方程式が入っている。石を切ったのは、キンダースリー工房の文字彫刻家リダ・カルドーゾである。除幕は王立協会の会長マイケル・アティヤが行い、式ではスティーヴン・ホーキングが話をした。
刻まれた式は という短い形である。単位を にとり、和の記号を省いた、いまの物理学者がよく使う書き方だ。物理学者リチャード・ダリッツは 2002 年の CERN Courier の記事で、元の形では石に収まらなかったこと、そしてディラック本人ならこの書き方は使わなかったことを書いている。
ディラックは口数の少なさで知られた。本人がのちの講演で語ったところでは、1927 年 10 月のソルヴェイ会議の休み時間に、ニールス・ボーアに何をしているのかと聞かれ、電子の相対論的な量子論を作ろうとしていると答えた。ボーアは、その問題はクラインがもう解いた、と言った。ディラックは納得していないと説明しかけたが、講演が始まって話は途切れた。ただしディラックは別の聞き取りでは、この会話をコペンハーゲンでのこととしており、細部は確かでない。ディラックがクラインの式に満足しなかったのは、時間について 2 階の式で、確率にあたる量が負になることがあったからである。その年の暮れ、ディラックは別の式を見つけた。
1963 年、ディラックは『サイエンティフィック・アメリカン』に、方程式が実験に合うことよりも、方程式に美しさがあることのほうが大切だ、と書いた。石に刻まれた式は、その考えでたどり着いた式でもある。
起源
1926 年のシュレーディンガー方程式は、光よりずっと遅い粒子のための式だった。相対性理論に合わせた最初の候補は、エネルギーと運動量の関係 をそのまま量子力学に置き換えた式で、1926 年にオスカル・クライン、ヴァルター・ゴルドンらが書いた。時間で 2 回微分する式なので、確率にあたる量が負になりうる。さらに電子のスピンが出てこない。スピンは 1925 年にウーレンベックとハウトスミットが提案し、1927 年にパウリが 2 成分の波動関数として手で入れていた。
ディラックは、量子力学の形を保つには時間について 1 階の式が要り、相対性理論で時間と空間を同じに扱うには、空間についても 1 階でなければならない、と考えた。1927 年の終わりにケンブリッジで式を見つけ、論文「電子の量子論」は 1928 年 1 月 2 日に王立協会に届いた。式からは、電子のスピンが 1/2 であることと、電子の磁石の強さを決める g 因子が 2 であることが、何も足さずに出てきた。水素のスペクトルの細かい分かれ方(微細構造)も、ゾンマーフェルトの式と一致した。
残った問題は、エネルギーが負の解だった。1930 年、ディラックは、負のエネルギーの状態はすべて電子で埋まっていて(ディラックの海)、そこに空いた穴が正の電荷の粒子に見える、と考えた。最初は穴を陽子とみなした。しかしオッペンハイマーやワイルの指摘から、穴の質量は電子と同じでなければならないことが分かった。1931 年の論文で、ディラックは電子と同じ質量で正の電荷を持つ未知の粒子「反電子」を予言した。
1932 年、カリフォルニア工科大学のカール・アンダーソンは、宇宙線を写した霧箱の写真に、電子と同じだけ曲がるのに曲がる向きが逆の飛跡を見つけた。陽電子である。ディラックは 1933 年にシュレーディンガーとともに、アンダーソンは 1936 年に、ノーベル物理学賞を受けた。
導出
ディラックの組み立て方をたどる。量子力学では、エネルギーと運動量を微分に置き換える(、)。
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相対性理論のエネルギーと運動量の関係から始める。
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1 をそのまま置き換えると、時間で 2 回微分する式(クライン・ゴルドン方程式)になる。
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ディラックは を運動量の 1 次式で書こうとした。係数 は、まだ何か分からないもの。
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3 を 2 乗する。係数どうしの掛ける順番は入れ替えられないものとして展開する。
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4 が 1 と同じになる条件は、どれも 2 乗すると 1 で、2 つを入れ替えると符号が変わることである。
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ふつうの数ではこの条件を満たせない。行列なら満たせる。条件から各行列の固有値は が同じ数ずつになり、大きさは偶数に限られる。2 行 2 列ではこの性質を持つものが 3 つ(パウリ行列 )までしか取れないので、最小は 4 行 4 列である。
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3 に置き換えを入れると、4 成分の に対する、時間について 1 階の式になる。これがディラック方程式である。
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両辺を で割って左から を掛け、、、 と書くと、記事の顔の形になる。
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平面波を入れると、エネルギーは 2 つの符号を持つ。負の側が、ディラックの海と陽電子の出発点になった。
4 つの成分のうち 2 つはスピンの上向きと下向き、残り 2 つは負のエネルギーの側に対応する。スピンは仮定として入れたのではなく、行列が 4 行 4 列になったことから出てきた。
実験との照合は 3 つの段階で進んだ。g 因子 2 と水素の微細構造は、発表の直後から既にあった測定と合った。陽電子は 1932 年に見つかった。1947 年には水素の 2 つの準位のわずかなずれ(ラムシフト)が、続いて電子の g 因子が 2 より 0.1 % ほど大きいことが測られた。これはディラック方程式に、光との相互作用を量子論で足した量子電磁力学で説明され、電子の g 因子は今では 2.002 319 304… まで、理論と実験が合っている。
応用
PET 検査。 陽電子を出す薬(フッ素 18 で印をつけたブドウ糖)を体に入れる。出た陽電子は近くの電子とすぐに出会って消え、反対向きに飛ぶ 2 本のガンマ線になる。1 本のエネルギーは電子の静止エネルギーで、 J、つまり 511 keV である。体を囲む輪の検出器は、511 keV の光子が 2 本同時に届いた組を拾い、2 つの検出器を結ぶ線の上で消滅が起きたと決める。がんの組織は糖を多く取り込むので、線が集まる場所として写る。フッ素 18 の半減期は約 110 分で、検査の日に病院の近くで作って運ぶ。
金の色。 重い原子では、内側の電子が光の速さに近い速さで動き、相対性理論の効果が大きくなる。ディラック方程式で計算すると、金の 6s 軌道は縮んでエネルギーが下がり、5d 軌道との間隔が狭まる。電子がこの間を移るとき青い光を吸うので、金は黄色く見える。相対論を入れない計算では、金は銀のように白っぽくなる。水銀が常温で液体であることにも、同じ効果が大きく関わっている。
グラフェン。 炭素の原子 1 層でできたシート(グラフェン)の中の電子は、質量 0 のディラック方程式と同じ形の式に従う。速さは光速の約 300 分の 1(およそ m/s)で、2005 年にマンチェスター大学のノボセロフとガイムらが、その性質を測定で示した。2 人は 2010 年にノーベル物理学賞を受けている。
図示
上の曲線は 、下は符号を変えた曲線である。光で電子と陽電子の対を作るには、少なくとも MeV のエネルギーが要る。
シミュレーション
縦の波線は光で、長さがエネルギー を表す。上下の曲線をつなげる長さがあれば、下の海の電子が上へ移り、穴(陽電子)が残る。つまみで質量を小さくするとすき間が狭まり、0 にするとグラフェンのような円錐の形になる。「シュレーディンガーの近似」を出すと、運動量が小さいところでは の放物線と重なることが分かる。
広がる学問
- 物理学 電子・クォーク・ミュー粒子など、スピン 1/2 の素粒子はすべてこの式の仲間に従う。電子の静止エネルギー 511 keV は質量とエネルギーの等価性の具体例である。電子の運動が遅い極限ではシュレーディンガー方程式にスピンを足した形に戻る。
- 化学 金・水銀・鉛のような重い元素の性質を計算する相対論的量子化学では、ディラック方程式を出発点にする。
- 医学 PET 検査は、陽電子と電子の対消滅で出る 2 本のガンマ線を使う。脳の働きの研究やがんの診断に使われている。
- 数学 5 の条件を満たす数の体系は、1878 年にウィリアム・クリフォードが考えた代数(クリフォード代数)の一例である。ディラックの式の微分の部分(ディラック作用素)は、1963 年のアティヤ・シンガーの指数定理の中心にあり、図形の形と方程式の解の数を結びつけた。
参考文献
- P. A. M. Dirac, "The Quantum Theory of the Electron", Proceedings of the Royal Society of London A 117 (1928), 610-624.
- P. A. M. Dirac, "Quantised Singularities in the Electromagnetic Field", Proceedings of the Royal Society of London A 133 (1931), 60-72.
- C. D. Anderson, "The Positive Electron", Physical Review 43 (1933), 491-494.
- P. A. M. Dirac, "The Evolution of the Physicist's Picture of Nature", Scientific American 208(5) (1963), 45-53.
- Helge Kragh, Dirac: A Scientific Biography, Cambridge University Press, 1990.
- Graham Farmelo, The Strangest Man: The Hidden Life of Paul Dirac, Quantum Genius, Faber and Faber, 2009(邦訳『量子の海、ディラックの深淵』吉田三知世 訳, 早川書房, 2010).
- Westminster Abbey, "Paul Dirac"(寺院の記念の記録). R. H. Dalitz, "Paul Dirac: a genius in the history of physics", CERN Courier, 2002.