黄金比

Golden ratio

パルテノン神殿の黄金比に、確かな記録は無い。

全体と長い部分の比が、長い部分と短い部分の比に等しくなる分け方の比。約 1.618。正五角形の中に現れ、フィボナッチ数の比の行き着く先でもある。

年代
紀元前300年ごろ
人物
エウクレイデス、ルカ・パチョーリ、レオナルド・ダ・ヴィンチ、ケプラー、マルティン・オーム、グスタフ・フェヒナー
神話・言い伝え

美しさの言い伝え

パルテノン神殿の正面は黄金比の長方形に収まる。ピラミッドも、ミロのヴィーナスも、モナ・リザの顔も、人のへその位置も、オウムガイの殻も黄金比でできている。こうした話は、本やテレビで繰り返し語られてきた。

パルテノン神殿は紀元前 447 年から紀元前 432 年にかけて建てられた。しかし、設計に黄金比を使ったと書いた古代の記録は 1 つも無い。数学者ジョージ・マーコウスキーは 1992 年の論文で、よく知られた主張を 1 つずつ確かめた。神殿の正面に長方形を重ねる図は、どこに線を引くかで比が変わり、屋根や基壇がはみ出す。ピラミッドの話は、ヘロドトスの文章を誤って読んだものだった。ニューヨークの国連本部ビルも、測ると黄金比ではなかった。

オウムガイの殻は、確かに対数らせんを描く。ただし、2005 年にクレメント・ファルボが実際の殻を測ったところ、らせんの比はおよそ 1.24 から 1.43 の間で、平均は 1.33 ほどだった。1.618 ではない。

人がこの比を好むかどうかは、実験もされた。1876 年、心理学者グスタフ・フェヒナーは 10 枚の長方形を見せて、最も好ましいものを選ばせた。347 件の答えのうち約 35 % が黄金比の長方形を選び、最も多かった。しかし、その後の追試の結果はまちまちで、選ばせ方によって答えが変わることも分かっている。

言い伝えの多くは、19 世紀より後に生まれた。1854 年、ドイツのアドルフ・ツァイジングは、黄金分割は人体と自然と芸術を貫く法則だと唱えた。「黄金」という名前そのものも新しい。確認できる最も古い例は、1835 年にマルティン・オームが出した教科書の第 2 版の注である。

古代の話として伝わるのは、ピタゴラスの学派が五芒星を仲間のしるしにしていた、という話くらいである。これも 2 世紀のルキアノスなど、ずっと後の書き手が伝えるものである。五芒星の線は、互いを黄金比に分け合う。1945 年、歴史家クルト・フォン・フリッツは、学派のヒッパソスが正五角形から「整数の比で書けない長さ」を見つけた、という仮説を立てた。魅力的な説だが、裏付ける記録は無く、定説にはなっていない。

起源

黄金比を初めて定義として書いたのは、紀元前 300 年ごろのエウクレイデスの『原論』である。第 6 巻の定義 3 は、「線分は、全体が大きい部分に対するように、大きい部分が小さい部分に対するとき、外中比に分けられたという」と述べる。命題 30 で、その分け方を定規とコンパスで作図した。同じ分け方は、第 2 巻 命題 11 で面積の言葉を使って作られ、第 4 巻では正五角形の作図に、第 13 巻では正十二面体と正二十面体の作図に使われる。『原論』にとって、この比は美の尺度ではなく、正五角形を描くための道具だった。

15 世紀の終わり、イタリアの修道士ルカ・パチョーリはこの比を「神聖比例」と呼び、本を書いた。『神聖比例論』は 1496 年から 1498 年にかけてミラノで書かれ、1509 年にヴェネツィアで印刷された。挿絵の多面体の図、約 60 枚を描いたのはレオナルド・ダ・ヴィンチである。

17 世紀初め、ケプラーは、フィボナッチ数 1, 1, 2, 3, 5, 8, 13, … の隣どうしの比がこの比に近づくことを手紙に書いた。手紙の年は 1608 年とも 1609 年ともされる。

1835 年、マルティン・オームの教科書に「黄金分割」の語が現れた。ギリシア文字 で表すようになったのは 20 世紀の初めで、1914 年に出たセオドア・クックの『生命の曲線』は、この記号をアメリカの数学者マーク・バーが使い始めたと伝えている。

証明

長さ の線分を、長い部分 と短い部分 に分ける。全体と の比が、 と の比に等しいとき、その比を とおく。

  1. 定義から

  2. 左の比を分けて書くと で、 なので

  3. 両辺に を掛けると

  4. 二次方程式の形にすると

  5. 解の公式で、正の解をとると

  6. 手順 2 を書き直すと、逆数は 1 を引くだけで得られる。

  7. 手順 2 の左辺の にある に、 を何度も入れると

  8. フィボナッチ数 の隣どうしの比が近づく先を とすると、 から となり、これは手順 2 と同じ式なので である。

は整数の比で書けないので、 も整数の比では書けない。手順 7 の連分数は 1 ばかりが並び、分数で近づくときに最も遅く近づく。この意味で、 は「最も分数から遠い数」である。

正五角形では、1 辺を 1 とすると対角線の長さは になる。2 本の対角線が交わる点は、それぞれの対角線を黄金比に分ける。対角線 について、図形の相似から が成り立ち、手順 4 と同じ式 が出る。

応用

最小値の探し方。 山が 1 つだけのグラフで、いちばん低い点を探すとする。区間の内側に、黄金比で分ける 2 点をとって値を比べ、高い側の外側を捨てる。こうすると、残った区間の中の点が次の 1 点としてそのまま使えるので、1 回計算するたびに区間の幅は 0.618 倍になる。10 回で幅は 、元の 1 % 以下に縮む。1953 年にジャック・キーファーが示した「黄金分割探索」で、いまも数値計算の基本の道具である。

数をばらまく。 データを表の番号に振り分けるハッシュ法では、キーに に近い整数 2654435769(16 進法で 9E3779B9)を掛ける方法がある。 が分数から最も遠いので、連続した番号のキーも表の全体に偏りなく散らばる。同じ数は暗号 TEA の定数にも使われている。

葉の並び方。 茎のまわりに葉や種が 1 つずつ、前から ずつ回った位置に付くと、どれだけ数が増えても重なりにくい。ヒマワリの種の並びに見られるこの角度を黄金角という。詳しくは黄金角と葉序にある。

図示

左は黄金比の長方形から正方形を切り取り続けた図。残る長方形はいつも元と同じ形で、正方形に描いた四分円をつなぐと、らせんになる。右は正五角形と五芒星。対角線と辺の比が φ になる。

シミュレーション

つまみで長方形の横と縦の比を変えると、正方形が 1 枚ずつ切り取られていく。下の数字は、各段で同じ大きさの正方形を何枚取れたかである。比が のときだけ、どの段でも 1 枚ずつで、残りの長方形の比がいつも 1.618 に戻る。「らせんに近づく」に切り替えると、正方形を 1 つ取るたびに 90° 回して拡大し、何度くり返しても同じ絵に戻ることが分かる。

広がる学問

  • 数学 どんな無理数にも、誤差が より小さい分数 が無数にある。 をそれ以上大きくできない原因が である。フィボナッチ数列の一般項も の累乗で書ける。
  • 生物学 植物の葉や種が黄金角ずつ回って付く葉序は、多くの植物に見られる。らせんの本数を数えると、21 と 34、34 と 55 のように隣り合うフィボナッチ数になることが多い。
  • 化学 1982 年にダン・シェヒトマンが見つけた準結晶は、結晶では許されないはずの 5 回対称を示し、2011 年のノーベル化学賞になった。準結晶のモデルになるペンローズの敷き詰めでは、太いひし形と細いひし形の枚数の比が に近づく。
  • 情報科学 黄金分割探索や、 を使ったハッシュ法のように、区間を偏りなく分けたり、数を均等に散らしたりする計算に使われる。
  • 建築 建築家ル・コルビュジエは、人体の寸法と黄金比とフィボナッチ数を組み合わせた寸法の体系「モデュロール」を 1940 年代に作り、同じ名前の本にまとめた。
  • 心理学 フェヒナー以来、黄金比の長方形が好まれるかどうかが何度も実験されてきた。結果は選ばせ方で変わり、はっきりした好みは確かめられていない。

参考文献

  1. エウクレイデス『原論』第 6 巻 定義 3・命題 30、第 2 巻 命題 11、第 13 巻(中村幸四郎・寺阪英孝・伊東俊太郎・池田美恵 訳『ユークリッド原論』共立出版、1971)
  2. George Markowsky, "Misconceptions about the Golden Ratio", The College Mathematics Journal 23 (1992), 2-19.
  3. Clement Falbo, "The Golden Ratio: A Contrary Viewpoint", The College Mathematics Journal 36 (2005), 123-134.
  4. Mario Livio, The Golden Ratio: The Story of Phi, the World's Most Astonishing Number (Broadway Books, 2002).
  5. Kurt von Fritz, "The Discovery of Incommensurability by Hippasus of Metapontum", Annals of Mathematics 46 (1945), 242-264.
  6. J. Kiefer, "Sequential minimax search for a maximum", Proceedings of the American Mathematical Society 4 (1953), 502-506.
  7. Luca Pacioli, De divina proportione (Venezia, 1509).

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