ヨハネス・ケプラーの肖像(JKepler・出典: Wikimedia Commons・August Köhler [1]・Public domain)
JKepler
出典: Wikimedia Commons・August Köhler [1]・Public domain

ヨハネス・ケプラー

Johannes Kepler

ティコの観測から、惑星の運動の 3 つの法則を見つけた

生没年
1571–1630
地域
ヴュルテンベルク、グラーツ、プラハ、リンツ

生涯

1571 年 12 月 27 日、ドイツ南西部のヴァイル・デア・シュタットで生まれた。1587 年にテュービンゲン大学に入り、1591 年に修士となった。天文学をミヒャエル・メストリンに学んだ。牧師になるつもりで神学を学んでいたが、1594 年、オーストリアのグラーツにあるプロテスタントの学校に、数学の教師として招かれた。そこで書いた『宇宙の神秘』を、1596 年に出版した。

1600 年、プラハでティコ・ブラーエのもとで働き始めた。翌 1601 年にティコが亡くなると、皇帝ルドルフ 2 世の数学官の職を継ぎ、ティコの観測の記録を使えるようになった。火星の記録を調べ続け、1609 年の『新天文学』で、惑星の運動の第一法則と第二法則を発表した。

1612 年からはリンツで州の数学官を務め、1619 年に『世界の調和』を出して第三法則を示した。ティコの観測をもとにした惑星の運行表『ルドルフ表』は、1627 年にウルムで出版された。1628 年からはヴァレンシュタインに仕えた。1630 年 11 月 15 日、旅の途中のレーゲンスブルクで没した。よく知られた 1610 年の年記がある肖像画は、別人を描いた後の時代の作とみる研究がある。

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