ブイに見えるニュー
光のエネルギーの式 の右端の文字は、何と読むのだろうか。ブイに見えるが、ギリシャ文字のニュー で、光の振動数を表す。運動量の式 の右端にあるのが、ラテン文字のブイ で、こちらは速さである。
取り違えると、式の意味が変わってしまう。 を「イー イコール エイチ ブイ」と読むと、光のエネルギーが速さに比例するように聞こえる。単位で確かめれば、すぐに分かる。プランク定数 の単位は J·s、振動数の単位は 1/s なので、 の単位はエネルギーの J になる。速さの m/s を掛けたのでは J·m になり、エネルギーにならない。
似た組はほかにもある。流体のナビエ・ストークス方程式は、左辺の先頭にロー (密度)、右辺にピー (圧力)を置く。同じ が、ド・ブロイ波長の では運動量を表す。
数式に出てくるギリシャ文字は 24 字ある。何と読むのか。どんな量に使われることが多いのか。形の似た文字は、どこで見分けるのか。ここでは と 、正規分布の式を手がかりに、この 3 つの問いに答える。
24 字の名前と、読みの揺れ
読みのかっこの中は、辞書や大学の資料に並んで載っている別の読みである。右の欄は、このサイトの公式での主な使われ方を示す。
| 大文字 | 小文字 | 読み | 英語 | このサイトの公式では |
|---|---|---|---|---|
| アルファ | alpha | 角(加法定理)、黄金角 | ||
| ベータ | beta | 角、うつす速さ(SIR モデル) | ||
| ガンマ | gamma | 回復する速さ、ガンマ関数 | ||
| デルタ | delta | 変化量やばらつき (不確定性原理) | ||
| イプシロン(エプシロン) | epsilon | 真空の誘電率 | ||
| ゼータ | zeta | ゼータ関数(バーゼル問題) | ||
| イータ(エータ) | eta | 粘性係数、学習率 | ||
| シータ(テータ) | theta | 角(オイラーの公式) | ||
| イオタ | iota | まだ出てこない | ||
| カッパ | kappa | 曲率、係数 | ||
| ラムダ | lambda | 波長、崩壊定数、宇宙項 | ||
| ミュー | mu | 平均、粘性係数、線密度 | ||
| ニュー | nu | 振動数 | ||
| グザイ(クサイ、クシー) | xi | まだ出てこない | ||
| オミクロン | omicron | まだ出てこない | ||
| パイ | pi | 円周率、素数の個数 | ||
| ロー | rho | 密度 | ||
| シグマ | sigma | 標準偏差 、和 | ||
| タウ | tau | 満期までの残り時間、タウ・ニュートリノ | ||
| ウプシロン(ユプシロン) | upsilon | まだ出てこない | ||
| ファイ(フィー) | phi | 黄金比、角、磁束 | ||
| カイ(キー) | chi | ずれの大きさ (メンデルの法則) | ||
| プサイ(プシー) | psi | 波動関数 | ||
| オメガ | omega | 角振動数、抵抗の単位 |
日本語の読みは 1 通りに決まっていない。 は、鹿児島大学の研究室が公開している一覧ではグザイ、旺文社『化学事典』の凡例では「ぐさい」で、日英辞書のデータ JMdict にはクサイ・クシー・グザイの 3 つが並ぶ。JMdict には、 のシータとテータ、 のカイとキーなどの組も載っている。鹿児島大学の一覧も、 を使う関数を「シータ関数(テータ関数)」と 2 通りに書く。授業や職場で使われている読みがあれば、それに合わせると話が通じやすい。
見分けにくい 6 組
図は、このサイトの数式を組む KaTeX の書体で描いた。いちばん紛らわしい と は、丸の左側が違う。 は丸からそのまましっぽが下りる。 は丸の左に縦線があり、その上端が小さく曲がり、下端に横棒が付く。ただし Unicode の文字表が断っているとおり、字形は書体によってかなり違う。教科書や論文の書体では、まずベースラインと x ハイトから上下へはみ出すかどうかを見るとよい。
鹿児島大学の一覧は、小文字の ・・ と、Α と A、Ρ と P のようにラテン文字と同じ形の大文字を、英文字と紛らわしいため、あまり使われないとしている。同じ形の大文字は 13 字あり、KaTeX で \Rho と書くと、ラテン文字の P(U+0050)がそのまま出る。2026 年 10 月の時点で、このサイトの公式の記事には ・・・ の 4 字が出てこない。
ニューからラムダへ、読みながら導く
2 つの式は、声に出して読みながら 1 行ずつつなげられる。かぎかっこの中は読み方の一例である。日本語では分数を分母から読み、英語では h nu over c のように分子から読む。
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光子 1 個のエネルギーは、振動数 に比例する。「イー イコール エイチ ニュー」。
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質量 0 の粒子では、相対性理論の から、運動量はエネルギーを光の速さ で割ったものになる。「ピー イコール シー ぶんの エイチ ニュー」。
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光の速さは、振動数と波長の積である。「シー イコール ニュー ラムダ」。
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3 を 2 に入れると が消える。「ピー イコール ラムダ ぶんの エイチ」。
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波長について解き、電子のように質量を持つ粒子にも成り立つと考えたのがド・ブロイである。「ラムダ イコール ピー ぶんの エイチ」。
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光よりずっと遅い粒子では、運動量は質量と速さの積になる。ここで初めてラテン文字の が出てくる。「ラムダ イコール エム ブイ ぶんの エイチ」。
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単位で確かめる。 はエネルギー、 は長さになる。
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数で確かめる。波長 550 nm の緑の光は Hz で、光子 1 個のエネルギーは約 2.25 eV になる。
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水素原子のいちばん低い軌道を秒速 2190 km で回る電子(ボーアの模型)の波長は 0.332 nm で、ド・ブロイ波長の記事の値と一致する。
正規分布の式の各部分
μ と σ、母集団と標本
正規分布の式は次の形をしている。
読むと「エフ エックス イコール、シグマ ルート 2 パイ ぶんの 1、イー の マイナス 2 シグマ 2 乗 ぶんの エックス マイナス ミュー の 2 乗 乗」になる。最後の「乗」は、 を何乗するかの区切りである。
各部分の働きは、値を入れると分かる。 では指数が 0 になり、曲線はいちばん高い に達する。だから は山の頂の位置である。 が から だけ離れると、指数は になり、高さは 倍に下がる。 が山の幅を決めるのは、このためである。テストの点数が 、 の正規分布に従うなら、50 点での高さは約 0.0399、60 点ではその 0.607 倍の約 0.0242 になる。 を 2 倍にすると幅は 2 倍、高さは半分になり、曲線の下の面積は 1 のまま変わらない。 と平方根は、この面積をちょうど 1 にするために入っている。もとをたどるとガウス積分 である。
統計の式では、ギリシャ文字とラテン文字の使い分けにも意味がある。母集団の平均 や標準偏差 は、ふつう直接は測れない。標本から計算する平均は (エックス バー)、標準偏差は と書き、 と の推定値として扱う。ミラーの資料によれば、母数と推定値の書き分け方には、ギリシャ文字とラテン文字を組にする方法と、ギリシャ文字にハット(^)を付ける方法がある。 の推定値を と書く例は、1908 年のスチューデント(ゴセット)の論文にさかのぼる。
24 字の表で確かめる
左(スマホでは上)の表のマスを押すと、大文字と小文字、日本語と英語の読み、このサイトの公式でその文字が出てくる式が出る。形の似たラテン文字がある文字では、塗りのギリシャ文字と二重線のラテン文字が左右から動いて重なり、はみ出した所が見分ける手がかりになる。「大文字」に切り替えると、この書体では Ρ と P のように完全に重なる組が多い。「次の似た組」を押すと、 と 、 と 、 と などを順に見比べられる。
1 つの文字に、いくつもの量
表の右の欄のとおり、同じ文字が分野ごとに別の量を表す。 は円の面積では円周率だが、素数定理の は 以下の素数の個数、マルコフ連鎖の は長い目で見て状態 にいる割合(定常分布)である。 は正規分布では平均、ナビエ・ストークス方程式では粘性係数、弦の振動では 1 m あたりの質量(線密度)を表す。 も、量子ホール効果の では、電子で満ちている準位の数になる。どの量かは、式の前後にある定義の文と単位から判断する。
形が 2 つある文字もある。 と 、 と 、 と 、 と は、Unicode では別の文字として登録されている。Unicode の文字表は、数式の中ではループのある形()が好ましく、縦線が貫く形()と区別できると注記している。KaTeX では \varphi と書くと前者、\phi と書くと後者が出る。単位のマイクロにも、ギリシャ文字の μ(U+03BC)とは別に MICRO SIGN(U+00B5)という文字がある。
π が円周率になるまで
古代のギリシャでは、文字が数字も兼ねていた。Unicode の文字表も、小文字の に「200 という数の値を表す記号としても使われる」と注記している。カジョリの『数学記号の歴史』第 2 巻によれば、アレクサンドリアのパッポスは、小文字が数を表すのに使われていたので、一般の数を表すときには大文字を使った。
1795 年、J・G・プランデルは著書『代数学』でこう述べた。ギリシャ文字を代数の計算に使う書き方は近ごろの数学者に広く受け入れられていて、それ自体は計算の妨げにならない。ただ、ギリシャ語のぎこちなさは文字の形にも表れ、式に「ある種の神秘的な見かけ」を与える(カジョリ 393 節)。ギリシャ文字の式を前にして身構える感じは、230 年前にもう言葉になっていた。
円周率の も、初めから決まっていたわけではない。17 世紀のウィリアム・オートレッドは、『数学の鍵(Clavis Mathematicae)』の 1647 年以降の版で、円周と直径の比を と 2 文字で書いた。カジョリは、 が周(periphery)、 が直径(diameter)を表していたとみている。比そのものを の 1 字で表したのは、1706 年のウィリアム・ジョーンズである。『Synopsis Palmariorum Matheseos』の 263 ページで、直径と円周の比を 1 対 3.14159… とし、その数を とした。カジョリの言葉では、前置きもなく、ありふれた一文の中に現れた。
オイラーは 1734 年の論文では を使っていたが、1736 年の『力学』では 1 : を直径と円周の比とした。広まるきっかけとして大きかったのは、1748 年の『無限解析入門』で を 3.1415… に使ったことである。それでも、1751 年に を使ったゼグナーが、1767 年にはオートレッドの書き方に戻っている(カジョリ 395〜398 節)。
統計の文字は、もっと新しい。ミラーの資料によれば、 を標準偏差の記号にしたのは、カール・ピアソンの 1894 年の論文「進化の数学的理論への寄与」が最初で、80 ページに「 を標準偏差(standard-deviation)と呼ぶ」とある。平均の はさらに遅く、同じ資料によれば、ロナルド・フィッシャーは 1912 年から平均を と書いていて、 に替えたのは 1935 年の論文と、1936 年に出た教科書の第 6 版からである。その 1935 年の論文を開くと、母集団の平均を 、標本から計算する量を と と書き分けている。黄金比の も 20 世紀の初めのもので、1914 年のセオドア・クック『生命の曲線』の序文は、 のらせんを「ペイディアスのらせん」と呼ぶ(黄金比の記事)。
知らない文字に出会ったら
ギリシャ文字は、教科書の外でも単位や仕様書に出てくる。長さの μm(マイクロメートル)、電気抵抗の Ω(オーム)、光学部品の λ/4 板(4 分の 1 波長板)、品質管理の ±3σ(平均から標準偏差の 3 倍まで)などである。読みを知っていれば、図面や仕様書を読み合わせるときに取り違えにくい。
初めての文字に出会ったら、次の順に進むとよい。
- 表か 24 字のマスで読みを確かめる。読みが決まれば、質問も検索もしやすい。
- 文字を定義している文を探し、単位を書き添える。 なら「: 振動数、1/s」とメモしておくと、 と取り違えても単位で気づける。
- 手で書くときは、違いをはっきり出す。 は下をとがらせ、 は丸くする。 は縦線をまっすぐ下ろす。
- パソコンでは LaTeX や KaTeX の命令(\nu、\rho、\varphi)で打つ。μ(U+03BC)とマイクロ(U+00B5)のように見た目が同じで別の文字もあるので、文書を検索するときは両方を試す。
練習として、次の 3 つを声に出して読み、値を計算してみる。
- 振り子の周期の は「ティー イコール 2 パイ ルート ジー ぶんの エル」。 m、 m/s² なら s になる。同じ記事の (オメガ)は約 3.13 rad/s である。
- 黄金比の は「ファイ イコール 2 ぶんの 1 プラス ルート 5」で、約 1.618。
- 円の面積の は「エー イコール パイ アール 2 乗」。半径 3 cm なら約 28.3 cm² になる。
和と積分の記号はΣ と ∫ の読み方、偏微分とナブラは∂ と ∇ の読み方で読める。
参考文献
- Florian Cajori, A History of Mathematical Notations, Vol. II (Open Court, 1929), 388・393・395-398 節(Internet Archive の historyofmathema027671mbp).
- Jeff Miller, "Earliest Uses of Symbols for Constants", "Earliest Uses of Symbols in Probability and Statistics"(MacTutor History of Mathematics, セント・アンドルーズ大学).
- K. Pearson, "Contributions to the Mathematical Theory of Evolution", Philosophical Transactions of the Royal Society of London A 185 (1894), 71-110, 80 ページ(2 のミラーの資料の引用による).
- R. A. Fisher, "The Fiducial Argument in Statistical Inference", Annals of Eugenics 6 (1935), 391-398(アデレード大学 R. A. Fisher Digital Archive).
- T. A. Cook, The Curves of Life (London, 1914), 序文(Internet Archive の cu31924028937179).
- The Unicode Consortium, "Greek and Coptic, Range: 0370-03FF", The Unicode Standard, Version 18.0 の文字表.
- 鹿児島大学 渡邉研究室「ギリシャ文字」(PDF).
- 旺文社『化学事典』凡例「Ⅱ 見出し語の配列」(ジャパンナレッジ).
- JMdict(Electronic Dictionary Research and Development Group・CC BY-SA 4.0)の ξ・θ・χ などの項.