SIR モデル

SIR model (Kermack-McKendrick model)

爆発で視力を失った化学者と、インド帰りの軍医が書いた式。

人をかかりうる人・感染している人・回復した人に分け、その数の動きを書いた式。流行が広がる境目、山の高さ、最後にかかる人の割合が分かる。

年代
1927年
人物
ウィリアム・カーマック、アンダーソン・マッケンドリック、ロナルド・ロス、ウィリアム・ハマー、ダニエル・ベルヌーイ
逸話

暗闇の化学者とボンベイのペスト

1924 年、エディンバラの王立内科医協会の研究所で、26 歳の化学者ウィリアム・カーマックは、実験中のアルカリの爆発で両目の視力を失った。カーマックは研究をやめなかった。実験はできなくなったので、理論の仕事に移った。同僚や学生が学術誌の論文を読み上げ、カーマックは並はずれた記憶力でそれを議論した。1968 年に退いたあとも、ほとんど毎日机に向かい、1970 年に大学の机で亡くなった。

研究所の所長はアンダーソン・マッケンドリックだった。マッケンドリックはインド医務局の軍医として 1920 年までインドで研究を続け、最後の 6 年はカサウリのパスツール研究所の所長を務めた。本業は医学だったが、1913 年にはアバディーン大学で数学を学び、病気の広がり方を数式で考えていた。

1927 年、2 人は「流行の数学的理論への寄与」をロンドンの王立協会の紀要に発表した。式を確かめる材料に選んだのは、1905 年から 1906 年にかけてインドのボンベイ(いまのムンバイ)で流行したペストの、週ごとの死者の数だった。2 人は死者の数の山を、式の近似解から出る という曲線に重ね、よく合うことを示した。

ただし、ペストはネズミとノミを通してうつる病気で、人から人へうつる単純な式がそのまま当てはまる流行ではない。2 人自身もこの点に触れている。2012 年、ニコラ・バカエルは、ボンベイのペストが 1897 年から毎年同じ季節にくり返していたことを示し、1906 年の流行が収まったのは、かかりうる人が減ったからより、季節のせいとみる方が自然だと論じた。

それでも、この論文は感染症の考え方を変えた。流行は、みんながかかったから終わるのではない。かかりうる人が、ある境目より少なくなったところで、まだかかっていない人を大勢残したまま終わる。この「しきい値」の考えが、のちの予防接種の計画の土台になった。

起源

病気の広がりを数で考えた最初の例は、1760 年にダニエル・ベルヌーイがパリの科学アカデミーで読んだ天然痘の論文とされる。ベルヌーイは、人痘を植えて天然痘を予防すれば、平均の寿命が約 3 年延びると見積もり、予防の利益を数で示そうとした。

19 世紀から 20 世紀の初めにかけて、病気の広がりを表す式が少しずつ形になる。1906 年、イギリスの医師ウィリアム・ハマーは、はしかの流行を調べ、新しい感染の数が、かかりうる人の数と感染している人の数の積に比例すると考えた。化学反応の速さが、反応する物質の濃度の積に比例するのと同じ考え方である。1902 年にマラリアの研究でノーベル賞を受けたロナルド・ロスは、蚊の数がある値より少なければマラリアは広がらない、という境目を式から導いていた。

カーマックとマッケンドリックの 1927 年の論文は、これらをまとめ、感染してからの日数によって、うつしやすさや回復のしやすさが変わる一般の形で書かれている。いま「SIR モデル」と呼ばれるのは、その中で、うつす速さ と回復する速さ を一定にした最も簡単な場合である。2 人は 1932 年と 1933 年にも続きの論文を出し、生まれてくる人などでかかりうる人が補われ、病気が土地に居つく場合を扱った。

(susceptible)はかかりうる人、(infectious)は感染してうつす力のある人、(removed)は回復して免疫を持った人と、亡くなった人を合わせた数である。 は全体の人数である。

証明

式から、流行の境目・山の位置・最終的な規模を導く。 のように割合で書く。

  1. 3 つの式を足すと右辺が消え、全体の人数は変わらない。

  2. 感染している人の式を書き直すと

  3. 1 人の感染者が、まわりが全員かかりうる人のときに、回復までにうつす人数を基本再生産数という。うつす速さ と、感染している平均の期間 の積である。

  4. 手順 2 から、感染者が増えるのは のときだけである。流行が始まる境目と、感染者が最も多くなる時点は、どちらも

  5. かかりうる人の式を回復した人の式で割ると、時間が消える。

  6. 流行が終わると なので 。はじめに全員がかかりうる(、)なら、最終的にかかる割合 は次の式を満たす。

  7. はじめから割合 の人が免疫を持っていれば、 になる。 なら流行は始まらない。

手順 6 の式は、 について解けない形をしているが、数値ではすぐに解ける。 なら 、 なら である。 でも約 1 割の人はかからずに残る。手順 7 が集団免疫の目安で、全員が免疫を持たなくても流行は止められる。

実際の流行は、人の動き・年齢・季節・行動の変化で、この式より複雑になる。それでも、境目が にあること、山がそこで来ることは、多くの流行の解析の出発点として確かめられてきた。

応用

山を低くする。 1 週間うつす力が続く病気( /日)で のとき、感染している人の割合の山は 、つまり人口の約 23% に達する。人との接触を減らして実効の を 1.5 に下げると、山は約 6%、最終的にかかる割合は 89% から 58% に下がる。病院の数には限りがあるので、山の高さが下がることは大きな意味を持つ。

予防接種の目標。 はしかの は 12〜18 ほどとされる。 に入れると、流行を防ぐには人口の 92〜95% ほどが免疫を持つ必要がある。はしかで 95% 以上の接種率が目標にされるのは、この計算による。2 回の接種が勧められるのは、1 回では免疫がつかない人を減らすためである。

実効再生産数を見る。 流行の途中では、 に、かかりうる人の割合と対策の効き目を掛けた「実効再生産数」を、日々の感染者の数から推定する。1 を上回っていれば流行は広がり、下回っていれば縮んでいる。手順 2 の式そのものの読み方である。

流行の中の判断。 2020 年、新型コロナウイルスの流行の初めには、日本でも、人と人との接触を 8 割減らすという目安が、この種の数理モデルの計算をもとに示された。

図示

上: 人は S(かかりうる人)から I(感染している人)へ、I から R(回復した人)へと移る。下: R₀ = 2.5 のときの割合の変化。S が 1/R₀ の線を横切る時点で、I が山になる。S は 0 にならず、約 1 割が残る。

シミュレーション

点の 1 つ 1 つが人である。白い丸がかかりうる人、塗った丸が感染している人、小さな点が回復した人、四角が接種した人。静かな出だしのあと、流行はすっと広がり、S の線が 1/R₀ の破線を横切ったところで山を越える。接種の割合を より上げると、流行は始まらない。

広がる学問

  • 医学 感染症の流行の予測、予防接種の目標、病床の準備の計画に使われる。年齢・地域・接触の型を足した多くのモデルの土台になっている。
  • 生物学 野生の動物の病気や、植物の病気の広がり、病原体と宿主の進化の研究で使われる。食う側と食われる側の出会いを積で書く点はロトカ・ヴォルテラ方程式と同じ考え方である。
  • 社会学 1964 年、デイリーとケンドールは、うわさが人から人へ伝わる様子を同じ形の式で表した。新しい考えや流行の広がりの研究に使われる。
  • 情報科学 コンピュータウイルスの広がりや、SNS で情報が拡散する様子の解析に使われる。人のつながりを網の目(グラフ)で表すと、境目は網の目の形で決まる。

参考文献

  1. W. O. Kermack, A. G. McKendrick, "A Contribution to the Mathematical Theory of Epidemics", Proceedings of the Royal Society of London A 115 (1927), 700-721.
  2. Ronald Ross, The Prevention of Malaria, 2nd ed. (John Murray, 1911).
  3. Daniel Bernoulli, "Essai d'une nouvelle analyse de la mortalité causée par la petite vérole et des avantages de l'inoculation pour la prévenir", Histoire de l'Académie Royale des Sciences (1760, 1766 刊).
  4. Nicolas Bacaër, "The model of Kermack and McKendrick for the plague epidemic in Bombay and the type reproduction number with seasonality", Journal of Mathematical Biology 64 (2012), 403-422.
  5. D. J. Daley, D. G. Kendall, "Epidemics and Rumours", Nature 204 (1964), 1118.
  6. Roy M. Anderson, Robert M. May, Infectious Diseases of Humans: Dynamics and Control (Oxford University Press, 1991).
  7. 稲葉寿 編著『感染症の数理モデル』培風館、2008。

姉妹サイト

株式会社Game が運営するメディアです。