書き加えられた名前
2018 年 10 月 29 日、国際天文学連合(IAU)は、会員の電子投票の結果として、「ハッブルの法則」を今後「ハッブル・ルメートルの法則」と呼ぶことを推奨すると発表した。同じ年の 8 月にウィーンで開いた総会で出された決議案を、全会員の投票にかけたものである。推奨であって、呼び方を強制するものではない。
理由は 1927 年の論文にある。ベルギーのカトリックの司祭で、ルーヴァン大学の物理学者でもあったジョルジュ・ルメートルは、一般相対性理論から、宇宙は膨張していて、銀河が遠ざかる速さは距離に比例するはずだと導いた。さらに、ヴェスト・スライファーらが測った銀河の速さと、エドウィン・ハッブルが出していた距離を組み合わせ、比例の係数を約 625 km/s/Mpc と見積もった。ハッブルの論文より 2 年早い。
ただしこの論文は、フランス語で、ブリュッセル科学協会の年報という、国の外ではあまり読まれない雑誌に載った。1931 年、アーサー・エディントンの後押しで、英国の王立天文学会の月報に英訳が載ったが、係数を見積もった部分は抜け落ちていた。誰が削ったのかは長く議論され、ハッブルの先取権を守るために誰かが削ったのではないか、という説まで出た。
2011 年、天体物理学者マリオ・リヴィオは、王立天文学会に残っていた記録の中から、ルメートルが月報の編集者に宛てた手紙を見つけた。英訳したのはルメートル自身で、当時の仮の速さのデータについての議論をいま載せ直す意味は無いと考え、自分で省いていた。
もう 1 人、名前に入っていない人がいる。ハッブルの 1929 年の論文で使われた速さの多くは、ローウェル天文台のスライファーが 1910 年代から測ってきたものだった。彼の地道な測定が無ければ、どちらの論文も書けなかった。
起源
20 世紀の初め、渦巻き状の星雲が天の川の中にあるのか外にあるのかは、まだ決まっていなかった。
1912 年、ハーバード大学天文台のヘンリエッタ・スワン・リーヴィットは、小マゼラン雲の中のケフェイド変光星を調べ、明るさが変わる周期が長い星ほど本来の明るさが明るいことを示した。周期を測れば本来の明るさが分かり、見かけの明るさと比べれば距離が分かる。宇宙の距離を測る物差しができた。
同じ 1912 年、スライファーはアンドロメダ星雲の光のスペクトルを撮り、毎秒約 300 km で近づいていることを示した。その後に測った星雲の多くは、逆に赤い側へずれていて、遠ざかっていた。1924 年から 1925 年にかけて、ハッブルはウィルソン山天文台の口径 2.5 m の望遠鏡でアンドロメダ星雲の中にケフェイド変光星を見つけ、それが天の川のはるか外にある別の銀河であることを示した。
理論の側では、1917 年にアインシュタインが、宇宙が変わらずにとどまるように、一般相対性理論の式に宇宙項を加えていた。1922 年、ソ連のアレクサンドル・フリードマンは、同じ式に膨張や収縮する解があることを示した。ルメートルは 1927 年にそれを知らずに独立に同じ種類の解を見つけ、観測と結びつけた。
1929 年、ハッブルは、遠ざかる速さが分かっていた 46 の銀河のうち、1 つずつ距離を出せた 24 について、距離と速さがほぼ比例することを示し、係数を約 500 km/s/Mpc とした。1931 年にはミルトン・ヒューメイソンとともに、毎秒 2 万 km まで同じ比例が続くことを示した。アインシュタインはこの年に宇宙項を取り下げた。彼がそれを「生涯最大の失敗」と呼んだという話はよく語られるが、主な出どころはジョージ・ガモフの回想で、アインシュタイン本人が書いたものには見つかっていない。
導出
宇宙がどこでも同じように、どの向きにも同じように膨張しているとき、比例の法則がどう出てくるかを示す。
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一様な膨張では、銀河の位置は、膨張とともに伸びる物差しの目盛り (銀河ごとに一定)と、物差しの伸びの倍率 の積で書ける。
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時間で微分して、銀河の速さを求める。
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比 はどの銀河にも共通なので、速さは距離に比例する。
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別の銀河 B から見ても同じ形になる。宇宙に特別な中心は無い。
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光の波長も物差しと同じだけ伸びる。 の時に出て の時に届いた光の赤方偏移 は
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近い銀河なら、光が届くまでの時間は で、その間に は だけ伸びる。
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赤方偏移を速さに直した で書くと、観測で確かめる形になる。
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が時間とともにどう変わるかは、一般相対性理論のフリードマン方程式が決める(平らな宇宙で、 は物質の密度、 は宇宙項)。
ルメートルはこの道筋の逆、つまり 8 の種類の式から出発して 3 の比例を予言した。ハッブルは 7 の形を、距離と赤方偏移の測定から見つけた。法則が成り立つのは近い宇宙で、遠くでは 8 による の変化が効いてくる。1998 年には、遠い超新星の観測から、膨張が速くなっていることが見つかった。
応用
宇宙の年齢の目安。 速さを距離で割った は時間の単位を持つ。 km/s/Mpc とすると、1 Mpc km なので 秒、約 140 億年になる。膨張の速さが一定だったなら、すべての銀河が 1 点に集まっていたのはこれだけ前、という目安である。宇宙背景放射から求めた宇宙の年齢、約 138 億年に近い。
赤方偏移から距離を出す。 ある銀河で、水素の出す波長 656.3 nm の光が 671.6 nm に届いたとする。 で、 km/s。 なら距離は約 100 Mpc、およそ 3 億 3000 万光年になる。大規模な銀河の地図は、この方法で何百万もの銀河の距離を出して作られている。
年齢の矛盾。 ハッブルの 500 km/s/Mpc では は約 20 億年で、当時すでに放射性崩壊で測られていた地球の岩石の年代より短かった。1952 年にウォルター・バーデがケフェイド変光星に 2 種類あることを示し、1958 年にアラン・サンデージが距離の測り違いを正すと、係数は 100 を下回り、矛盾は消えた。
ハッブル張力。 いまも係数は 1 つに決まっていない。宇宙背景放射の観測(プランク衛星)からは 、近くの変光星と超新星を使う距離のはしごからは 73 前後が出る。差は測定の誤差では説明しにくい大きさで、この記事の時点で決着していない。
図示
シミュレーション
点の 1 つ 1 つが銀河で、丸で囲んだ銀河から見た速さを矢印で表す。宇宙は少し止まってから、すっと膨らむ。右のグラフは、横が距離、縦が遠ざかる速さで、点が 1 本の直線に並ぶ。「別の銀河から見る」を押しても、直線の傾き は変わらない。「銀河の固有の動き」を入れると、近い銀河ほど直線からのばらつきが目立つ。ハッブルの 1929 年の図も、このようにばらついていた。
広がる学問
- 天文学 赤方偏移の測定で銀河の距離を出し、宇宙の大規模な構造の地図を作る。距離のはしごの各段(変光星・超新星)の較正は、いまも観測の大きな目標である。
- 物理学 膨張は一般相対性理論のフリードマン方程式で記述される。膨張が速くなっていることの発見には 2011 年のノーベル物理学賞が贈られ、その原因(暗黒エネルギー)はまだ分かっていない。
- 地球科学 1/H₀ と地球の岩石の年代の食い違いは、1930 年代から 50 年代にかけて、宇宙の年齢と地球の年齢を照らし合わせる議論を生んだ。
- 哲学 膨張をさかのぼると、宇宙に始まりがあったことになる。ルメートルは 1931 年に「原始の原子」から宇宙が始まったという考えを出した。始まりの無い定常宇宙論を唱えたフレッド・ホイルが 1949 年のラジオでこれを「ビッグバン」と呼び、それが名前として残った。
参考文献
- G. Lemaître, "Un Univers homogène de masse constante et de rayon croissant rendant compte de la vitesse radiale des nébuleuses extra-galactiques", Annales de la Société Scientifique de Bruxelles A47 (1927), 49-59.
- E. Hubble, "A relation between distance and radial velocity among extra-galactic nebulae", Proceedings of the National Academy of Sciences 15 (1929), 168-173.
- G. Lemaître, "A homogeneous universe of constant mass and increasing radius accounting for the radial velocity of extra-galactic nebulae", Monthly Notices of the Royal Astronomical Society 91 (1931), 483-490.
- M. Livio, "Lost in translation: Mystery of the missing text solved", Nature 479 (2011), 171-173.
- International Astronomical Union, "IAU members vote to recommend renaming the Hubble law as the Hubble-Lemaître law", press release iau1812, 29 October 2018.
- Planck Collaboration, "Planck 2018 results. VI. Cosmological parameters", Astronomy & Astrophysics 641 (2020), A6.
- A. G. Riess et al., "A Comprehensive Measurement of the Local Value of the Hubble Constant with 1 km/s/Mpc Uncertainty from the Hubble Space Telescope and the SH0ES Team", The Astrophysical Journal Letters 934 (2022), L7.