黒板の式
19 世紀のグラスゴー大学で、ウィリアム・トムソン、のちのケルヴィン卿は、半世紀にわたって物理を教えた。
講義の途中で「数学者」という言葉を口にしたとき、彼は話を止めて学生に尋ねた。「数学者とは何か、知っているか」。そして黒板に歩み寄り、
と書いた。指で式を示して振り返り、「数学者とは、これが、君たちにとっての 2 × 2 = 4 と同じくらい当たり前に見える人のことだ。リウヴィルは数学者だった」と言った。この場面は、シルヴァヌス・トンプソンが 1910 年に出したケルヴィンの伝記に書かれている。
リウヴィルはフランスの数学者で、1830 年代に「どんな関数の不定積分が、初等関数で書けるか」を判定する理論を作った人である。 は、まさに不定積分が初等関数で書けない関数の代表である。微分すると になる式は、どこにも無い。それでも、 から までの面積だけは、 というきれいな値になる。
ケルヴィン自身も、この積分を使った。1862 年、彼は地球が熱い球から冷えてきたと考え、地下の温度が深さとともに上がる割合から、地球の年齢を計算した。熱がしみ出していく様子は、 を積分した関数(誤差関数)で表される。答えは 2000 万年から 4 億年、最もありそうな値は約 1 億年だった。のちに放射能による熱や地球内部の対流が見つかり、いまでは約 46 億年とされている。式は正しく、前提が足りなかった。
起源
この積分は、ガウスより前から知られていた。名前の付いた人が最初の発見者ではない例の 1 つである。
最初に近づいたのは、ロンドンに住んだフランス生まれの数学者ド・モアブルである。1733 年 11 月に配った小冊子で、硬貨を 回投げて表の数がちょうど真ん中から だけずれる確率が、およそ に比例して減ることを示した。比例の定数には が現れ、友人のスターリングの結果を借りて決めた。
オイラーは 1729〜30 年、階乗を分数に広げる研究の中で、 を得ていた。置き換えをすると、これはガウス積分と同じ値になる。
積分の値をはっきり計算して示したのは、ラプラスの 1774 年の論文「事象から原因の確からしさを求めることについて」が最初とされる。観測の結果から原因を推し量る計算(のちのベイズの定理の考え方)の中で、この積分が必要になった。
ガウスは 1809 年の『天体運行論』で、観測の誤差がこの形の曲線に従うと考えて最小二乗法の根拠にした。このとき積分の値はラプラスによるものとして引いている。のちに正規分布が「ガウス分布」と呼ばれるようになり、積分にもガウスの名が付いた。
下の証明で使う、2 乗して極座標に移る方法は、フランスのポアソンにさかのぼるとされる。
証明
求める値を と置く。 を直接求める代わりに、 を求める。
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同じ積分を 2 つ掛け、2 つ目の変数を と書く。
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2 つの指数を 1 つの指数にすると、平面全体での 2 重積分になる。
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極座標 、 に移る。面積の要素は になる。
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が掛かったおかげで、内側の積分は不定積分が書ける。 を微分すると になる。
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外側の積分は によらないので、 を掛けるだけである。
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なので である。
手順 2 の「平面全体」は、正確には、1 辺 の正方形の上の積分で とすることである。この正方形は、半径 の円を含み、半径 の円に含まれる。円の上の積分は手順 4 と同じ計算で になり、 で両側とも に近づく。はさまれた正方形の値も に近づく。
1 次元では書けなかった不定積分が、2 次元にして円の対称性を使うと書けるようになる。 が現れるのは、この円のためである。
応用
正規分布の係数。 正規分布の式の前に付く は、全体の確率を にするための数で、この積分から来ている。 と置き換えると になるからである。
面積はほとんど真ん中にある。 から までの面積は で、全体 の 84 %。 から までで 99.5 %、 から までで 99.998 % になる。端へ行くほど、 は指数の 2 乗で急に小さくなる。
階乗の近似。 スターリングの公式 の は、ガウス積分の値である。 を積分で書くと、被積分関数が大きな で釣り鐘形に近づくからである。 に対し、公式は で、ずれは 0.83 % にとどまる。
熱と匂いの広がり。 1 点に置いた熱やインクは、時間がたつと の形に広がる。広がっても全体の量は変わらない。そのことを確かめる計算が、ガウス積分である。広がりの幅は時間の平方根に比例するので、4 倍の時間がたっても、幅は 2 倍にしかならない。
誤差関数。 から までの面積を で割った値は誤差関数 と呼ばれ、表計算ソフトや関数電卓で値を求められる。 である。
高い次元の球の体積。 ガウス積分を 個掛けると になる。同じ量を、半径ごとの薄い殻に分けて数え直すと、 次元の球の体積が出る。半径 1 の 4 次元の球の体積は である。次元を上げていくと、この体積は 5 次元の を境に減りはじめ、やがて に近づく。
図示
左の面積を 2 乗すると、右の山の体積になる。山は回転対称なので、細い輪に切ると、半径 の輪の体積は「周の長さ × 幅 × 高さ 」になる。この が、1 次元では解けなかった積分を解ける形に変える。
シミュレーション
左は 2 次元の山 を真上から見た図で、塗りの詰まった所ほど高い。半径 の円(実線)と 1 辺 の正方形(破線)の中の体積が、右のグラフに描かれる。左の図をドラッグすると が変わる。 を大きくすると、円も正方形も同じ値 に近づく。正方形の値の平方根が、1 次元の面積 である。
広がる学問
- 物理学 気体の分子の速度の各成分の分布(マクスウェル分布)や、量子力学の調和振動子のいちばん低いエネルギーの状態は、 の形をしている。確率の合計を にする係数を決めるたびに、この積分が要る。
- 化学 量子化学の計算では、電子の軌道をガウス関数の和で近似することが多い。ガウス関数どうしの積はまたガウス関数になり、積分が式で書けるので、計算機で速く解ける。
- 情報科学 画像をぼかす「ガウスぼかし」は、画素を の重みで平均する。重みの合計を にして明るさを変えないために、この積分の値を使う。
- 地球科学 地中に熱がしみ込む様子や、地下水に溶けた物質の広がりは、誤差関数( の積分)で表される。ケルヴィンの地球の年齢の計算もこの形だった。
参考文献
- Silvanus P. Thompson, The Life of William Thomson, Baron Kelvin of Largs, vol. 2 (Macmillan, 1910), p. 1139.
- Abraham de Moivre, Approximatio ad Summam Terminorum Binomii (a+b)^n in Seriem expansi (1733); The Doctrine of Chances, 2nd ed. (London, 1738).
- P.-S. Laplace, "Mémoire sur la probabilité des causes par les évènements", Mémoires de mathématique et de physique présentés à l'Académie royale des sciences par divers savans 6 (1774), 621-656.
- C. F. Gauss, Theoria motus corporum coelestium in sectionibus conicis solem ambientium (Hamburg, 1809).
- William Thomson, "On the Secular Cooling of the Earth", Transactions of the Royal Society of Edinburgh 23 (1864), 157-169.
- Stephen M. Stigler, The History of Statistics: The Measurement of Uncertainty before 1900 (Harvard University Press, 1986).