本屋の手紙の裏
1671 年 2 月 15 日、スコットランドのセント・アンドルーズ大学で数学を教えていたジェームズ・グレゴリーは、ロンドンのジョン・コリンズに手紙を書いた。コリンズは学者どうしの手紙を取り次ぎ、新しい結果を広める世話役だった。
手紙には、 や などの関数を、 の累乗の無限の和で表す式がいくつも並んでいた。どうやって導いたかは、書かれていなかった。コリンズの返事には、ケンブリッジのニュートンも似た方法を見つけている、とあった。グレゴリーは、ニュートンが発表するまで自分の発表を待つことにした。ニュートンもなかなか発表しなかった。
1675 年 10 月、エディンバラ大学に移って 1 年ほどのグレゴリーは、夜、学生たちに望遠鏡で木星の衛星を見せていたときに脳卒中で倒れ、目が見えなくなった。数日後、36 歳で亡くなった。
導き方のメモは、1671 年 1 月 30 日付でエディンバラの本屋から届いた手紙の裏に残っていた。1930 年代、数学者ハーバート・ターンブルがセント・アンドルーズ大学の図書館で遺稿を調べ、そこに、関数を何回も微分した値を係数に使う計算を見つけた。いまテイラー展開と呼ぶものそのものである。ターンブルは 1939 年に、遺稿と手紙をまとめて刊行した。
名前に残ったブルック・テイラーが一般の形を発表したのは 1715 年で、グレゴリーのメモから 44 年後である。テイラーは王立協会の書記を務め、ニュートンとライプニッツの先取権を調べた委員会にも加わっていた(微分積分学の基本定理)。私生活では 2 人の妻をどちらもお産で亡くし、1731 年に 46 歳で世を去った。「テイラー級数」という呼び名は、彼の死後、1780 年代にスイスのリュイリエが使ったのが最初とされる。
起源
関数を累乗の無限の和で表す考えの、確かな記録で最も古いものは、南インドのケーララ地方にある。14〜15 世紀の天文学者マーダヴァは、・・ を無限の和で表す式を得ていたとされる。本人の数学の著作は残っていない。その仕事は、約 100 年後のニーラカンタら、ケーララの後の数学者の書物を通じて伝わる。1550 年ごろのジェーシュタデーヴァ『ユクティバーシャー』は、マーダヴァが級数をどう導いたかを書いている。 を使うと、 が出る。この知識がヨーロッパに伝わったという確かな記録は無い。
ヨーロッパでは 17 世紀後半に動きが重なる。ニュートンは 1669 年の草稿『無限個の項をもつ方程式による解析について』で などの級数を示し、グレゴリーは 1671 年に、何回も微分した値から係数を決める一般の方法にたどり着いた。
ブルック・テイラーは 1715 年の『増分法』で、どの関数にも使える形として発表した。出発点は、表の値の差を使う補間の公式である。差をとる間隔を限りなく小さくすると、差は微分に変わり、この展開になる。1742 年にはスコットランドのマクローリンが『流率論』で の場合を詳しく扱った。 のときをマクローリン展開と呼ぶのはこのためである。
ラグランジュは 1772 年にこの展開を「微分学の基本原理」と呼び、1797 年の『解析関数の理論』で、途中で打ち切ったときのずれ(剰余項)を表す形を示した。一方でコーシーは 1820 年代に、( では と決める)という関数を挙げた。原点で何回微分しても なので、展開はすべての係数が になる。しかし関数そのものは ではない。テイラー展開は、いつでも元の関数に戻るとは限らない。
証明
が と の間で 回微分でき、その導関数が連続だとする。微分積分学の基本定理から出発し、部分積分を繰り返す。
-
基本定理で、 を での値と変化の積み重ねに分ける。
-
積分を部分積分する。 で微分すると になる関数として を選ぶのがこつである。
-
同じことをもう 1 回行うと、2 次の項が出る。
-
回繰り返すと、多項式と残り(剰余項) に分かれる。
-
と の間で なら、残りの大きさは次の数で抑えられる。
-
、 では、どの導関数も なので にとれる。 は よりずっと速く大きくなるので、 で となり、次の式が成り立つ。
同じ評価で、 と もすべての で展開と一致する。どの導関数も絶対値が 以下だからである。
応用
電卓の sin。 で を計算すると、2 項で 、3 項で となり、正しい値 と小数第 10 位まで合う。電卓やコンピュータは、角度を の近くに引き戻してから、こうした多項式(実際には誤差がさらに小さくなるよう係数を調整したもの)で値を出す。
平方根の暗算。 を のまわりで展開すると になる。 は で、正しい値 と小数第 3 位まで合う。
の値。 を入れると になる。 までの 10 項を足すと で、ネイピア数の値 に小数第 6 位まで合う。
振り子の近似。 を 1 項目で打ち切ると になる。この近似を使うと、振り子の周期は振れ幅によらない になる。振れ幅 (0.1745 rad)では で、ずれは 0.5 % ほどである。
相対性理論から古典力学へ。 速さ の物体のエネルギー を について展開すると、 となる。最初の項が静止エネルギー、次の項がニュートン力学の運動エネルギーである。速さが光より十分遅いとき、2 つの理論が一致する理由がここにある。
図示
1 次の多項式は直線 で、原点のすぐ近くでしか合わない。項を 1 つ足すごとに、曲がり方の情報が 1 つ加わり、合う範囲が外へ伸びる。3 次は原点での曲がり方の変化まで、5 次・7 次はさらに細かい形まで写し取る。どの多項式も、遠くへ行けば必ず上か下へ飛び出していく。多項式は が大きくなると最高次の項が勝つからである。 は何次の多項式でも表しきれず、全体を写すには無限の項が要る。中心 を動かせば、別の点のまわりでも同じことができる。
シミュレーション
中抜きの太い線が元の関数、細い線がテイラー多項式である。次数 が 1 つずつ上がり、多項式が関数に沿う範囲が広がっていく。グラフをドラッグすると中心 が動く。 と では、次数をいくら上げても、点線の外(収束半径の外)では多項式が暴れる。 は実数の上ではなめらかなのに収束半径が で止まる。複素数の で分母が になるからである。
広がる学問
- 物理学 小さな振動・小さな傾き・遅い速さの近似は、どれも展開を 1〜2 項で打ち切ったものである。ばねのフックの法則も、位置エネルギーを釣り合いの位置のまわりで 2 次まで展開した形とみなせる。
- 工学 非線形の装置を設計するとき、動作点のまわりで 1 次まで展開した線形モデルを作り、制御の計算に使う。測定の誤差がどう伝わるかの計算も、1 次の展開による。
- 情報科学 方程式の解を求めるニュートン法は、関数を 1 次まで展開して 0 になる点へ進む方法である。機械学習の最適化でも、損失を 1 次・2 次まで展開して次の一歩を決める。
- 経済学 債券の値段が金利の変化でどれだけ動くかは、値段を金利について展開した 1 次の係数(デュレーション)と 2 次の係数(コンベクシティ)で見積もる。
参考文献
- Brook Taylor, Methodus Incrementorum Directa et Inversa (London, 1715).
- H. W. Turnbull (ed.), James Gregory Tercentenary Memorial Volume (G. Bell and Sons for the Royal Society of Edinburgh, 1939).
- Ranjan Roy, "The Discovery of the Series Formula for π by Leibniz, Gregory and Nilakantha", Mathematics Magazine 63 (1990), 291-306.
- Colin Maclaurin, A Treatise of Fluxions (Edinburgh, 1742).
- J.-L. Lagrange, Théorie des fonctions analytiques (Paris, 1797).
- MacTutor History of Mathematics, "Brook Taylor" / "James Gregory" (University of St Andrews).