暗号で出された法則
1676 年、王立協会の実験主任ロバート・フックは、太陽を観測する道具の本『ヘリオスコープの記述』を出した。本の最後には、白紙のページを埋めるためとして、これから発表するつもりの発明の一覧が付いていた。フック自身の言い方では「発表するつもりの発明の、百分の一の、さらに十分の一」である。
3 番目の項目は「弾性すなわちばねの性質の真の理論と、それが見られるいくつかの物体での説明」。説明の代わりに、文字の列が 1 行だけ印刷されていた。
ceiiinosssttuu
並べ替えると意味のある文になる暗号、アナグラムである。答えは書かれていなかった。
当時の学者は、中身を伏せたまま「自分が先に見つけた」という証拠だけを残すために、アナグラムをよく使った。ガリレオは 1610 年に土星の見え方を、ホイヘンスは 1656 年に土星の環を、この形で発表している。
フックにも伏せる理由があった。同じ一覧の 1 番目は、時計の調速の仕組みである。前の年の 1675 年、オランダのクリスティアーン・ホイヘンスが、ひげぜんまいで調速する時計を発表した。フックは自分のほうが先に考えていたと主張し、争いになっていた。ばねの力がどう決まるかは、ばねで動く時計の精度を左右する知識でもあった。
2 年後の 1678 年、フックは講義録『復元力について、すなわちばねについて』で答えを明かした。
Ut tensio, sic vis.(伸びのとおりに、力も)
当時のラテン語の印刷では u と v を同じ文字として扱ったので、この文の文字を並べ直すと ceiiinosssttuv、印刷の上では ceiiinosssttuu になる。フックはこの講義録で、理論を見つけたのは「およそ 18 年前」、つまり 1660 年ごろだったと書いている。
同じ一覧の 2 番目、アーチの形についての長いアナグラムは、フックの生前には明かされなかった。答えは「たわむ鎖がぶら下がる形を上下に返すと、崩れないアーチの形になる」というもので、フックの死後の 1705 年になって明かされた。
起源
1678 年の講義録で、フックは誰でも確かめられる実験を並べている。
鋼・鉄・真鍮のどれかの針金を一様に巻いてつるまき形のばねを作り、下に皿を付けておもりを載せる。1 オンスで 1 ライン伸びるなら、2 オンスで 2 ライン、3 オンスで 3 ライン伸びる。ラインは 1/12 インチの長さの単位である。時計のぜんまいでは、1 ドラクムのおもりで歯車が 10 度回るなら、2 ドラクムで 20 度、3 ドラクムで 30 度回る。長さ 20〜40 フィートの針金を釘から下げても、伸びはおもりと同じ比になる。乾いた木の板の片方の端を固定し、もう片方におもりを掛けても、同じ関係が見られる。
ばねの形も材料も違うのに、どれも「伸び(曲がり)は力に比例する」。フックはこれを、ばねに限らず、変形して元に戻ろうとするあらゆる物体の性質だと考えた。
この比例は、どこまでも成り立つわけではない。力を大きくしていくと、ある所から先では、おもりを外しても元の長さに戻らなくなる。この境目を弾性限界という。フックの法則は、変形が小さいうちだけ使える近似の法則である。
材料そのものの硬さを数で表したのは、イギリスのトマス・ヤングである。1807 年の『自然哲学と機械技術の講義』で、伸びの割合と、そのときにかかる力の関係を表す量を導入した。いまヤング率と呼ぶ量である。1820 年代には、フランスのオーギュスタン=ルイ・コーシーが、物体の内部の力と変形を応力とひずみとして書き、フックの法則を 3 次元の物体へ広げた。
証明
フックの法則は、実験から見つかった法則である。ただし、なぜ比例になるのかは、エネルギーで説明できる。物体が釣り合いの位置 にあり、そこからのずれを 、ずれに伴って蓄えられる位置エネルギーを とする。
-
を のまわりでテイラー展開する。
-
釣り合いの位置では力がはたらかないので、傾きは 0 である。
-
力は位置エネルギーの傾きに負の符号を付けたものなので
-
が小さいとき、 以上の項は の項よりずっと小さい。 とおくと
-
釣り合いが安定なら、 は の谷の底なので
安定な釣り合いのまわりの小さな変形なら、どんな物体でも力はずれに比例する。フックの法則が材料や形によらずに見られるのは、このためである。ずれが大きくなると 3 の残りの項が効いてきて、比例からはずれる。
ばねに蓄えられるエネルギーと、おもりを付けたばねの振動も、ここから出る。
-
ばねを から まで伸ばす仕事は、力 を足し合わせて
-
質量 のおもりの運動方程式は
-
を入れると となり、 のとき成り立つ。周期は
周期は振れ幅 を含まない。ばねの振動が時計の調速に使えるのは、この性質のためである。
応用
ばねばかり。 伸びが力に比例するので、目盛りを等しい間隔で刻める。ばね定数 N/m のばねに 1 kg のおもりを下げると、重さ 9.8 N で m、つまり 4.9 cm 伸びる。2 kg なら 9.8 cm である。体重計や台所のはかりの多くも、ばねや金属のわずかなひずみを測っている。
鋼線の伸び。 長さ 、断面積 の棒のばね定数は になる( はヤング率)。鋼の はおよそ Pa である。長さ 1 m、断面積 1 mm² の鋼線に 10 kg のおもりを下げると
で、0.49 mm しか伸びない。橋や建物の鉄骨も、ふだんはこの程度の小さな伸び縮みの範囲で使われている。
ばねとおもりの揺れ。 上のばね( N/m)に 1 kg のおもりを下げて揺らすと、周期は 秒になる。おもりを 4 倍にすると周期は 2 倍になる。機械式の腕時計のてんぷも、おもりの代わりに輪の回りにくさを、 の代わりにひげぜんまいのねじれの硬さを入れた同じ形の式で、周期が決まる。
スマホの加速度センサー。 シリコンの板の上に、細いばねで支えた小さなおもりが作り込まれている。スマホが揺れるとおもりがずれ、そのずれから で力が、運動方程式 で加速度がわかる。画面の向きを変える機能や歩数計は、この部品を使っている。
図示
シミュレーション
おもりをドラッグして横に引き、離すと、ばねが引き戻す力 で振動が始まる。下のグラフの点はいまの伸びと力を表し、いつも傾き の直線の上を行き来する。 を大きくするか を小さくすると、振動は速くなる。「空気の抵抗」を入れると振れ幅がゆっくり小さくなり、止まるとまた引いて離す。
広がる学問
- 物理学 釣り合いのまわりの小さな振動は、ほとんどがフックの法則の形に帰着する。振り子の周期も、振れが小さいときは同じ形の式になる。結晶の中の原子の振動や、量子力学の調和振動子も、この形から出発する。
- 工学 機械の部品や車のサスペンションの設計では、ばね定数と質量から揺れの周期を計算し、エンジンや路面の揺れと重ならないように決める。
- 建築 柱や梁のたわみはヤング率を使って計算する。地震のときの建物の揺れは、建物をおもりとばねの組み合わせとみなして求める。免震の建物では、積層ゴムをばねとして使い、揺れの周期を長くしている。
- 化学 2 つの原子をつなぐ結合は、小さな振動ではばねとみなせる。赤外線の吸収で測る分子の振動数から、結合のばね定数がわかる。
- 地球科学 地震計は、ばねで支えたおもりが慣性でその場に残ろうとする性質を使い、地面の揺れを測る。
- 生物学 光ピンセットでは、レーザー光の焦点が小さな粒をばねのように引き戻す。ずれと力の比例を使って、DNA を引き伸ばす力や、分子モーターが出すピコニュートン単位の力を測る。
参考文献
- Robert Hooke, A Description of Helioscopes, and Some Other Instruments (London, 1676).
- Robert Hooke, Lectures de Potentia Restitutiva, or of Spring, Explaining the Power of Springing Bodies (London, 1678).
- R. T. Gunther, Early Science in Oxford, Vol. 8: The Cutler Lectures of Robert Hooke (Oxford, 1931).
- Thomas Young, A Course of Lectures on Natural Philosophy and the Mechanical Arts (London, 1807).
- S. P. Timoshenko, History of Strength of Materials (McGraw-Hill, 1953).