ピエール=シモン・ラプラスの肖像(Portrait of Pierre Simon Marquis de Laplace (1745-1827)・出典: Wikimedia Commons・Jean-Baptiste Paulin Guérin・Public domain)
Portrait of Pierre Simon Marquis de Laplace (1745-1827)
出典: Wikimedia Commons・Jean-Baptiste Paulin Guérin・Public domain

ピエール=シモン・ラプラス

Pierre-Simon Laplace

天体力学と確率論を、それぞれ大きな体系にまとめた

生没年
1749–1827
地域
フランス

生涯

1749 年 3 月 23 日、フランス北西部ノルマンディーのボーモン=アン=オージュで生まれた。父はりんご酒の商いで暮らしを立てていた。16 歳でカーン大学に入って神学を学んだが、在学中に数学の才能に目覚め、学位を取らずに大学を離れた。

19 歳のとき、カーンの師の紹介状を持ってパリへ出た。数学者ダランベールに認められ、その世話でパリの陸軍士官学校の数学の教授になった。1773 年 3 月 31 日、科学アカデミーの準会員に選ばれた。翌 1774 年には、観測の結果から原因の確からしさを求める論文を出した。1785 年には砲兵隊の試験官として、16 歳のナポレオン・ボナパルトを合格させている。

1796 年の『宇宙体系解説』では、太陽系は回転しながら縮んでいくガスの雲から生まれたという星雲説を述べた。1799 年から出した 5 巻の『天体力学』は、万有引力の法則で太陽系の安定を論じた大著である。1812 年の『確率の解析的理論』で、確率論を一つの体系にまとめた。1799 年に内務大臣を 6 週間だけ務め、1817 年に侯爵になった。1827 年 3 月 5 日、パリで没した。

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