椅子の上の万戸
明の時代の中国に、万戸(ワン・フー)という役人がいた、という話がある。椅子に 47 本の火矢と 2 つの大きな凧を結びつけて座り、47 人の従者に一斉に火をつけさせた。轟音と煙が消えたとき、椅子にも万戸の姿も無かった。ロケットで空へ昇ろうとした最初の人として、宇宙開発の本でよく紹介される話である。
この話には、中国の古い記録が見つかっていない。いまたどれる最も古いものは、1909 年 10 月 2 日の『サイエンティフィック・アメリカン』に載った記事「現代のイカロス」で、そこでは名前が「ワン・トゥ」(Wang Tu)になっている。いまの名前の形が広まったのは 1945 年である。ハーバート・ジムの子ども向けの本『ロケットとジェット』は「Wan-Hoo」、同じ年のジョージ・エドワード・ペンドレイの本は「Wan-Hu」と書き、ペンドレイは時代を「1500 年ごろ」とした。どちらも出典を示していない。中国の科学技術史を研究したジョセフ・ニーダムは、この話を疑わしいものとみなした。
それでも物語は広まり、1970 年に国際天文学連合は月の裏側のクレーターに「ワン・フー」の名を付けた。2004 年にはアメリカのテレビ番組「怪しい伝説」が、当時の材料で作った椅子とロケットで再現を試みた。椅子は発射台の上で爆発し、乗せた人形は焼けた。番組は、この話のとおりには飛べないと結論した。
火薬を使う火矢そのものは、宋の時代の中国で戦いに使われていた。そこから宇宙までの距離を初めて数で測ったのが、ロシアの独学の教師だった。
起源
コンスタンチン・ツィオルコフスキーは 1857 年にロシアで生まれ、9〜10 歳ごろ猩紅熱で耳がほとんど聞こえなくなった。学校には通えず、10 代の 3 年間をモスクワの図書館で独学して過ごした。のちにカルーガで数学と物理の教師をしながら、宇宙へ行く方法を考え続けた。
彼の手稿では、ロケットの速さの式を導いた日付は 1897 年 5 月 10 日(当時のロシアの暦)とされる。公表は 1903 年、雑誌『科学評論』に載った論文「反作用装置による宇宙空間の探究」である。この論文で彼は、燃料と機体の重さの比から到達できる速さを計算し、液体の水素と酸素を燃料にすることを論じた。何段かに分けたロケットを詳しく論じたのは、1929 年の『宇宙ロケット列車』である。1911 年の手紙の言葉として知られる「惑星は知性のゆりかごである。だが、いつまでもゆりかごの中で暮らすことはできない」は、いまもよく引かれる。
式そのものは、ツィオルコフスキーより前にもあった。イギリスの王立陸軍士官学校のウィリアム・ムーアは、1810 年の雑誌の記事でこの関係を示し、1813 年の本『ロケットの運動についての論考』で詳しく論じた。ただしムーアが考えていたのは、大砲の代わりに使う軍用のロケットの弾道だった。
アメリカのロバート・ゴダードは 1912 年ごろ、ドイツのヘルマン・オーベルトは 1920 年ごろ、それぞれ独立に同じ式を導いた。ゴダードは 1919 年の論文「非常に高い高度に達する方法」で、真空の中でもロケットが推力を出すことを実験で示した。それでも 1920 年 1 月の『ニューヨーク・タイムズ』の社説は、押し返す空気の無い宇宙でロケットが進めるはずがないと書いた。同紙が「訂正」を載せたのは、アポロ 11 号が月へ向かっていた 1969 年 7 月 17 日である。
証明
ロケットは、後ろへ物を投げ出すことで前へ進む。外から力が働かないとして、運動量の保存から式を導く。
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時刻 でロケットの質量は 、速さは 。短い時間 の間に、質量 ()の燃焼ガスを、ロケットから見て後ろ向きに速さ で出す。投げ出す前の運動量は
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投げ出した後は、ロケットが質量 ・速さ 、ガスが質量 ・速さ になる。
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外から力が働かないので、運動量は保存する。
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展開すると と が消える。とても小さい を無視する。
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速さの変化を質量の変化で書く。
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燃料を積んだ質量 から燃え尽きた質量 まで積分する。 の積分は自然対数になる。
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地上から真上へ打ち上げるときは、燃焼時間 の間ずっと重力 に引かれるので、その分だけ減る(重力損失)。
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何段かに分けたロケットでは、空になった段を捨てるたびに が軽くなり、各段の式を足し合わせる。
式に推力の大きさや燃える速さは出てこない。出てくるのは噴射の速さと質量の比だけである。対数のため、必要な速さを 2 倍にすると、質量の比は 2 乗になる。たとえば に要る比は だが、 には 、 には が要る。
この式は運動量の保存だけから出る。運動方程式を質量の変わる物体に正しく当てはめた形でもある。実際のロケットの飛行は、重力と空気の抵抗の分を足せば、この式で計画どおりに飛ぶことが確かめられてきた。
応用
地球を回る軌道へ。 地表のすぐ上を回るには毎秒約 7.8 km の速さが要り、重力と空気の抵抗で失う分を足すと、打ち上げには毎秒約 9.4 km の が要る。噴射の速さが毎秒 4.4 km の液体の水素と酸素のエンジンなら、 で、打ち上げのときの重さの約 88 % が燃料でなければならない。毎秒 3.3 km のケロシンのエンジンでは比は約 17 になり、約 94 % が燃料になる。残りの数 % に、タンクもエンジンも人工衛星も収めなければならない。1 段では難しいので、大きなロケットは 2 段か 3 段に分けて、空のタンクを途中で捨てる。
イオンエンジン。 小惑星探査機「はやぶさ」「はやぶさ2」のイオンエンジンは、電気の力でキセノンを毎秒約 30 km で噴き出す。推力はとても小さいが、噴射の速さが大きいので、毎秒 2 km 速さを変えるのに要る燃料は % で済む。何年もかけて少しずつ加速する長い旅に向いている。
火星から帰る難しさ。 帰りのロケットの燃料は、行きのロケットで運んでいかなければならない。帰りの分の燃料が行きの に入り、それがまた対数の内側で効いてくる。火星の大気から燃料を作る研究が進められているのは、このためである。
図示
燃料の割合 のとき、 なので、 になる。
シミュレーション
ロケットは止まって構え、燃焼が始まるとすっと加速する。燃料が減って軽くなるほど、速さの伸びは大きくなる。段の数を増やすと、空になったタンクを捨てて軽くなり、同じ燃料でも最後の速さが上がる。噴射の速さと燃料の割合を変えて、毎秒 9.4 km(低い軌道に必要な速さ)に届く組み合わせを探せる。
広がる学問
- 物理学 運動量の保存を、質量が変わる物体に当てはめた例である。水を噴き出して進む船や、空気を噴き出す風船も同じ式に従う。
- 工学 ロケットの設計は、エンジンの噴射の速さを上げることと、タンクと機体を軽くすることの 2 つの戦いになる。段の数と各段の大きさの割り振りは、この式を使った最適化の問題である。
- 天文学 探査機の飛行計画は、目的地までに要る の合計で考える。惑星のそばを通って速さを変えるスイングバイは、燃料を使わずに を得る方法である。
- 数学 式の形を決めているのは である。かけ算で効く質量の比が、足し算で効く速さに変わる。ネイピア数が宇宙開発の費用を決めていると言ってもよい。
参考文献
- К. Э. Циолковский, «Исследование мировых пространств реактивными приборами», Научное обозрение, № 5 (1903).
- William Moore, A Treatise on the Motion of Rockets, London, 1813.
- R. H. Goddard, "A Method of Reaching Extreme Altitudes", Smithsonian Miscellaneous Collections 71(2) (1919).
- H. Oberth, Die Rakete zu den Planetenräumen, R. Oldenbourg, 1923.
- Herbert S. Zim, Rockets and Jets, Harcourt, Brace, 1945.
- "A Correction", The New York Times, 17 July 1969.