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生涯
紀元前 106 年 1 月 3 日、ローマの南東の町アルピヌムに生まれた。家は名門ではなく、大きな富も無かった。法と弁論術と哲学を学び、ギリシアの主な学派の師について教えを受けた。財務官・按察官・法務官・執政官の各職に、法の定める最も若い年齢で、初めての立候補で選ばれた。
紀元前 75 年、財務官としてシチリアに赴いた。このときシラクサの郊外で、藪に埋もれたアルキメデスの墓を見つけたことを、のちに『トゥスクルム荘対談集』第 5 巻に書いている。紀元前 63 年に執政官となり、カティリナの陰謀を暴いた。しかし、陰謀に加わった者を裁判なしに処刑させたことを問われ、紀元前 58 年に追放された。戻ったのは 1 年半ほど後である。
晩年は哲学の著作に力を注いだ。『トゥスクルム荘対談集』では、死・苦痛・恐れなどを 5 巻にわたって論じている。紀元前 43 年 12 月 7 日、アントニウスの命令で殺された。ローマのカピトリーノ美術館などに、キケロの肖像とされる大理石の胸像が残る。