ニールス・ボーアの肖像(Niels Bohr・出典: Wikimedia Commons・The American Institute of Physics credits the photo [1] to AB Lagrelius & Westphal, which is the Swedish company use・Public domain)
Niels Bohr
出典: Wikimedia Commons・The American Institute of Physics credits the photo [1] to AB Lagrelius & Westphal, which is the Swedish company use・Public domain

ニールス・ボーア

Niels Bohr

原子の構造を量子の考えで説明し、相補性を唱えた

生没年
1885–1962
地域
デンマーク

生涯

1885 年 10 月 7 日、デンマークのコペンハーゲンで生まれた。1911 年 5 月、金属の中の電子の理論についての論文で、コペンハーゲン大学の博士の学位を得た。ケンブリッジで J. J. トムソンのもとに短くいたあと、1912 年 3 月にマンチェスターのラザフォードのもとへ移った。

1913 年、水素原子から始めて原子の構造を論じる 3 本の論文を出し、電子は決まったエネルギーの段にしかいられないと考えた。1916 年にコペンハーゲン大学の理論物理学の教授となった。1921 年に大学の理論物理学研究所が開かれ、生涯その所長を務めた。研究所は 1920 年代、量子力学をつくった若い物理学者たちの集まる場所になった。1922 年にノーベル物理学賞を受けた。

1927 年 9 月、イタリアのコモで相補性の考えを発表した。1943 年、ドイツの占領下のデンマークから漁船でスウェーデンへ逃れ、イギリスへ渡った。1957 年、第 1 回の「平和のための原子力賞」を受けた。1962 年 11 月 18 日、コペンハーゲンの自宅で没した。研究所は 1965 年、生誕 80 年を記念してニールス・ボーア研究所と名を改めた。

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