ドゥニ・ディドロの肖像(Denis Diderot - Alix - Vanloo・出典: Wikimedia Commons・Pierre-Michel Alix・Public domain)
Denis Diderot - Alix - Vanloo
出典: Wikimedia Commons・Pierre-Michel Alix・Public domain

ドゥニ・ディドロ

Denis Diderot

『百科全書』を編み、啓蒙の思想を広めたフランスの哲学者

生没年
1713–1784
地域
フランス

生涯

1713 年 10 月 5 日、フランス東部のラングルで、刃物職人の家に生まれた。15 歳でパリに出て、哲学と神学を学んだ。

1745 年ごろ、イギリスの百科事典を訳す仕事を引き受けた。仕事はやがて数学者ダランベールとともに編む新しい事典に育ち、1751 年に『百科全書』の刊行が始まった。当局はたびたび刊行を差し止めた。1757 年から翌年にかけての騒ぎでダランベールが編集から退いたあとも、ディドロはひとりで編集を続け、1772 年までに本文 17 巻と図版の巻をそろえた。1749 年には、著書『盲人書簡』がもとで、ヴァンセンヌ城に 103 日のあいだ閉じ込められている。

数学にも通じていた。1748 年に、音の伝わり方や、振り子にはたらく空気の抵抗などを論じた『数学のさまざまな主題についての覚え書き』を出している。1765 年、お金に困って蔵書を売ることになると、ロシアの女帝エカチェリーナ 2 世がこれを買い取り、さらに年金を与えた。1773 年 10 月 8 日から翌年 3 月 5 日まで、女帝のもとを訪ねてサンクトペテルブルクに滞在した。この滞在中、宮廷で数学者に代数の式を突き付けられて言葉に詰まった、という話がある。1804 年のティエボーの回想録が伝えるもので、ティエボー自身も真偽は知らないと断っており、今では作り話とされている。1784 年 7 月 31 日、パリで没した。

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