ロジャー・コーツの肖像(画像生成 AI で描いたイメージ)
画像生成 AI で描いたイメージ(顔は伝わっていないため想像で描いた)

ロジャー・コーツ

Roger Cotes

『プリンキピア』第 2 版を編み、指数と三角関数のつながりを示した

生没年
1682–1716
地域
イングランド

生涯

1682 年 7 月 10 日、イングランド中部レスターシャーのバーベッジで生まれた。レスターの学校で、12 歳のころには数学の才能を認められていた。のちにロンドンのセント・ポール校に学び、1699 年にケンブリッジ大学トリニティ・カレッジに入って、1702 年に学士となった。

1707 年、新しく設けられたプルーム天文学教授の職に、最初の人として就いた。カレッジの門の上に天文台を設けるための寄付を集めたが、天文台は生きているうちには完成しなかった。1709 年から 1713 年まで、ニュートンの『プリンキピア』第 2 版の編集を任された。3 年半近くニュートンとやり取りを重ねて内容を確かめ、序文も書いた。1711 年に王立協会の会員に選ばれた。

1714 年、王立協会の紀要に論文「ロゴメトリア」を載せた。1716 年 6 月 5 日、33 歳で熱病のため没した。ニュートンは「彼が生きていれば、我々はもっと多くを知ることができただろう」と惜しんだと伝えられる。遺稿は従弟のロバート・スミスがまとめ、1722 年に『ハルモニア・メンスラールム』として出版した。トリニティ・カレッジに残る胸像は、没後にスミスが作らせたものである。

出典

  1. MacTutor History of Mathematics: Roger Cotes
  2. Trinity College Cambridge: Roger Cotes
  3. R. Cotes, Logometria, Philosophical Transactions of the Royal Society 29 (1714), 5-45

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