マリー・キュリーの肖像(Marie Curie (1900) (cropped)・出典: Wikimedia Commons・作者不明・Public domain)
Marie Curie (1900) (cropped)
出典: Wikimedia Commons・作者不明・Public domain

マリー・キュリー

Marie Curie

放射能と名づけ、ポロニウムとラジウムを見つけた

生没年
1867–1934
地域
ポーランド、フランス

生涯

1867 年 11 月 7 日、ロシアが支配していたポーランドのワルシャワで、5 人きょうだいの末っ子として生まれた。1891 年の秋にパリのソルボンヌに入り、1893 年に物理学の学位試験に 1 番で、1894 年に数学の学位試験に 2 番で合格した。1894 年の春に物理学者ピエール・キュリーと知り合い、1895 年 7 月に結婚した。

ベクレルが見つけたウランの放射線を、ピエールとその兄ジャックが作った新しい電位計で測った。1898 年 4 月には、トリウムも同じ放射線を出すことを確かめた。この性質を「放射能」と名づけたのはマリーである。同じ年、夫妻は、ウランの鉱石から取り出した新しい元素ポロニウムとラジウムを発表した。1903 年、ピエールとベクレルとともにノーベル物理学賞を受けた。

1906 年にピエールを事故で失ったあとも研究を続け、1911 年にはポロニウムとラジウムの研究でノーベル化学賞を受けた。2 つのノーベル賞を受けた最初の人である。第一次世界大戦では、持ち運べる X 線の装置を整え、負傷した兵士の手当てに役立てた。1934 年 7 月 4 日、長く放射線を浴びたことによるとみられる血液の病気で没した。

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