リヒャルト・デデキントの肖像(Dedekind・出典: Wikimedia Commons・not found・Public domain)
Dedekind
出典: Wikimedia Commons・not found・Public domain

リヒャルト・デデキント

Richard Dedekind

実数の切断やイデアルを考え、分配束の元の数を数え始めた

生没年
1831–1916
地域
ドイツ

生涯

1831年10月6日、ドイツのブラウンシュヴァイクで生まれた。父は町のコレギウム・カロリヌムの教授だった。ゲッティンゲン大学で学び、1852年にガウスの指導で博士の学位を取った。ガウスの最後の弟子にあたる。その後ディリクレと親しく交わり、数論を深く学んだ。

1858年からチューリッヒの工科学校で教え、1862年に故郷ブラウンシュヴァイクの工科学校に移って、1894年に退職するまでそこで教えた。生涯結婚せず、同じく独身の姉妹と暮らした。

1872年の『連続性と無理数』では、有理数を2つの組に分ける「切断」で実数を定めた。ディリクレの数論の講義録に付けた補遺では、イデアルの考えを導入している。退職後の1897年の論文では、最大公約数と最小公倍数から作れる式の種類を、記号が4つの場合まで数えた。この数え上げが、のちにデデキント数とよばれる数の始まりである。1916年2月12日、ブラウンシュヴァイクで没した。

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