ダフィット・ヒルベルトの肖像(Hilbert・出典: Wikimedia Commons・作者不明・Public domain)
Hilbert
出典: Wikimedia Commons・作者不明・Public domain

ダフィット・ヒルベルト

David Hilbert

幾何学の公理と 23 の問題で、20 世紀の数学を方向づけた

生没年
1862–1943
地域
ドイツ

生涯

1862 年 1 月 23 日、プロイセンのケーニヒスベルクの近くのヴェーラウで生まれた。ケーニヒスベルク大学で学び、1885 年 2 月の公開の討論を経て博士の学位を得た。1895 年にゲッティンゲン大学の数学の教授となり、ほかの大学からの誘いを断って、生涯この大学で教えた。

1899 年の『幾何学の基礎』で、幾何学を公理の上に組み立て直した。1900 年、パリの第 2 回国際数学者会議で「数学の問題」と題して講演した。講演で話したのは 10 問で、同じ年の論文には、これからの数学が取り組むべき 23 の問題を並べた。のちに「ヒルベルトの問題」と呼ばれ、20 世紀の数学の研究を導いた。

1910 年ごろからは数理物理学に力を入れた。1915 年 11 月 20 日、重力と電磁気を 1 つの式から導く論文を、ゲッティンゲンの科学協会に出した。アインシュタインが正しい重力場の方程式の論文を出す 5 日前である。1930 年に退職し、同じ年、ケーニヒスベルクで行った講演を「我々は知らねばならない。我々は知るだろう」と結んだ。この言葉はゲッティンゲンの墓に刻まれている。1943 年 2 月 14 日、ゲッティンゲンで没した。

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