
生涯
3 世紀の中国、三国時代の魏の数学者である。生涯については、ほとんど何も分かっていない。生まれた年も没した年も記録が無く、220 年ごろから 280 年ごろの人とされる。
『九章算術』は、紀元前 100 年から紀元 100 年ごろの間に書かれたとみられる数学の書で、246 の問題を 9 つの章に分けて並べる。問題と答えと解き方は書いてあるが、その解き方がなぜ正しいかは書かれていない。劉徽は 263 年にこの本に注を付け、解き方の理由を説明した。
円の面積の説明では、円に内接する正 6 角形から始めて、辺の数を倍々に増やしていった。注には「細かく割るほど、失うところは少なくなる。割ってはまた割り、もう割れないところまで行けば、円周とぴったり重なり、失うところは無い」とある。
測量の扱いが足りないと考えた劉徽は、遠くて近づけない物の高さや距離を測る問題を 9 つ自分で作り、解き方を添えた。最初の問題が沖の島の山の高さを測るものなので、のちに『海島算経』と呼ばれる。唐の初めに 1 冊の本として分けられ、656 年には国の学校で学ぶ書の 1 つになった。生前の肖像は伝わっていない。