
出典: Wikimedia Commons・Hermann Noack・Public domain
生涯
1875 年 1 月 16 日、ベルリンで生まれた。1893 年にベルリン大学で医学を学び始め、エミール・フィッシャーらに教わった。学生のころから研究に打ち込み、カエルの卵の最初の分裂の向きを調べて学位論文を書いた。パウル・エールリヒの助手となり、1900 年、ヤヌスグリーンという色素で、のちにミトコンドリアと呼ばれるものを染める方法を発表した。
1905 年から 1922 年まで、ベルリンの市立病院「アム・ウルバン」の細菌学者を務めた。友人の化学者ペーター・ローナと、ごく小さな実験室を手作りし、水素イオンの濃度の測り方、緩衝液、酵素の働きと pH の関係を調べた。モード・メンテンと調べた、酵素と基質の結びつきの強さを表す定数は、イギリスでミカエリス・メンテン定数と呼ばれるようになった。
1922 年、名古屋の医学校に生化学の教授として招かれた。最初は 1 年の約束だったが、3 年に延びた。1926 年からジョンズ・ホプキンス大学、1929 年からニューヨークのロックフェラー研究所で、酸化と還元の反応を研究した。1943 年に米国科学アカデミーの会員に選ばれた。音楽を愛し、友人を楽しませるために、有名な作曲家の作風で即興の曲を作ってみせた。1949 年 10 月 8 日に没した。