
出典: Wikimedia Commons・Courtesy of the Clendening History of Medicine Library, University of Kansas Medical Center.・CC BY-SA 3.0
生涯
1858 年 4 月 23 日、ドイツ北部のキールで生まれた。祖父と曽祖父は、ゲッティンゲン大学の神学の教授だった。1867 年に一家でミュンヘンへ移った。学校ではとくに音楽にすぐれ、ピアノとオルガンを上手に弾いた。ミュンヘン大学とベルリン大学で物理学を学び、ベルリンではヘルムホルツとキルヒホフに教わった。1879 年、熱力学の第 2 法則についての論文で博士の学位を得た。
1885 年にキール大学の員外教授、1889 年にベルリン大学の員外教授となり、1892 年に正教授になった。1900 年、熱放射の分布の式を発表し、その導き方の中で、エネルギーが振動数に比例する大きさのひと粒ずつでやり取りされるという仮定を初めて使った。この業績で 1918 年のノーベル物理学賞を受け、賞は 1920 年に手渡された。1930 年から 1937 年まで、カイザー・ヴィルヘルム協会の会長を務めた。
家族の多くに先立たれた。長男カールは 1916 年に戦死し、ヒトラーの暗殺の計画に関わったと疑われた次男エルヴィンは、1945 年 1 月に処刑された。1944 年 2 月の空襲で、ベルリンのグリューネヴァルトの家を失った。1945 年にゲッティンゲンへ移り、1947 年 10 月 4 日に没した。協会はのちに、マックス・プランク協会となった。