
出典: Wikimedia Commons・George Grantham Bain Collection (Library of Congress)・Public domain
生涯
1871 年 8 月 30 日、ニュージーランドの南島のブライトウォーターの近くで、12 人きょうだいの 4 番目として生まれた。クライストチャーチのカンタベリー・カレッジで学び、1895 年にイギリスのケンブリッジ大学へ渡った。この年に始まった研究生の制度で入った、最初の学生である。
1898 年 9 月、カナダのモントリオールにあるマギル大学に移った。新しい物理学の建物は、世界でいちばん設備の整った実験の建物と言われた。ここでトリウムの放射能を調べ、化学者フレデリック・ソディと 1902 年と 1903 年に論文を出して、放射性の元素は別の元素に変わっていくと結論した。1907 年 5 月、マンチェスター大学の教授としてイギリスに戻り、1908 年にノーベル化学賞を受けた。物理学者の自分が化学の賞を受けたことを、おもしろがったという。
1911 年、原子の中心には小さく重い核があり、そのまわりを電子が囲むと発表した。1919 年、J. J. トムソンの後を継ぎ、ケンブリッジのキャヴェンディッシュ研究所の所長になった。1931 年に男爵となり、1937 年 10 月 19 日にケンブリッジで没した。遺灰はウェストミンスター寺院の身廊の、ニュートンの墓の近くに納められた。