
アブラム・ベシコヴィッチ
Abram Samoilovitch Besicovitch
面積がいくらでも小さい、針の向きを反対にできる図形を作った
- 生没年
- 1891–1970
- 地域
- ロシア帝国(現在のウクライナ)、イギリス
生涯
1891年1月24日、ロシア帝国のベルジャンスク(いまのウクライナ)に生まれた。MacTutorによると、1917年に独立したばかりのペルミ大学で数学の教授になった。内戦が始まり、ペルミは1918年の暮れに白軍に占領され、翌年に赤軍が取り返した。1919年、ペルミの物理数学会の雑誌に、リーマン積分についての問いに答える論文を載せた。答えの土台は、あらゆる向きの線分を含みながら面積が0の集合だった。1920年にはペトログラード大学に移った。
1924年、ロックフェラー財団の研究員に選ばれながら出国を許されず、同僚のタマルキンとともに夜の国境を越えてコペンハーゲンへ渡った。ハラルト・ボーアのもとで概周期関数を研究し、ハーディの世話で1926〜27年にリヴァプール大学で教えたあと、ケンブリッジ大学に移った。イギリスで掛谷の問いを知り、1919年の作り方を少し変えて、1928年に答えを発表した。
1950年から1958年まで、ケンブリッジ大学のラウズ・ボール教授職を務めた。その後は、平面の集合の形を測度で調べる幾何学的測度論に力を注いだ。1970年11月2日、ケンブリッジで亡くなった。