
出典: Wikimedia Commons・Hamilton Richards・CC BY-SA 3.0
生涯
オランダのロッテルダムに生まれた。父は化学の教師で、母は数学を学んだ人だった。母は式の扱いが巧みで、とても美しい解を見つける才能があったと、本人が書いている。ライデン大学で理論物理学を学んでいた1951年9月、父の勧めでケンブリッジ大学の計算機EDSACのプログラミング講習を受けた。
1952年3月、アムステルダムの数学センターに雇われ、本人の言葉では「プログラマーという肩書きで給与を受けた最初のオランダ人」になった。1956年、新しい計算機ARMACのお披露目のために、64の町を結ぶ道路地図で最短の道を探すプログラムを作った。その手順は1959年に3ページの論文で発表され、いまダイクストラ法と呼ばれている。同じ論文の、すべての点を最短の線で結ぶ手順は、計算機X1の配線の銅を減らすために考えたものだった。
1959年に博士の学位を得て、ALGOL 60の最初のコンパイラーを同僚と作った。1962年からアイントホーフェン工科大学の教授、1972年にチューリング賞を受け、1984年からテキサス大学オースティン校で教えた。考えたことを番号つきの覚え書き「EWD」に書き続け、その文書はテキサス大学が公開している。2002年8月6日、オランダのニューネンで亡くなった。