ロナルド・フィッシャーの肖像(Youngronaldfisher2・出典: Wikimedia Commons・作者不明・Public domain)
Youngronaldfisher2
出典: Wikimedia Commons・作者不明・Public domain

ロナルド・フィッシャー

Ronald Aylmer Fisher

実験の統計の方法を作り、遺伝と自然選択を数学で結んだ

生没年
1890–1962
地域
イングランド、オーストラリア

生涯

1890 年 2 月 17 日、ロンドンで生まれた。1904 年にハロー校に入り、1909 年にケンブリッジ大学ゴンヴィル・アンド・キーズ・カレッジへ進んで、1912 年に数学の卒業試験を優秀な成績で終えた。1914 年に戦争が始まると志願したが、視力が足りずに兵役を断られた。1915 年から 1919 年まで、学校で数学と物理を教えた。

1919 年、ロザムステッド農業試験場の統計の担当となり、畑の実験から統計の方法を次々に作った。1925 年に『研究者のための統計的方法』、1930 年に『自然選択の遺伝学的理論』、1935 年に『実験計画法』を出した。1933 年、カール・ピアソンの後を継いで、ロンドンのユニヴァーシティ・カレッジのゴルトン記念優生学教授となった。1936 年の論文では、メンデルの数が期待に合いすぎていると論じた。1943 年にケンブリッジ大学の遺伝学の教授となった。

フィッシャーは優生学の唱え手でもあった。ケンブリッジの学生のころ、大学の優生学の会の創立時の議長となった。文明の社会では弱く子の少ない人が強く健康な人より有利になると考え、健康で能力が高いとみなした人の子を増やすために、家族手当を収入に比例させることを説いた。2020 年、ゴンヴィル・アンド・キーズ・カレッジは、統計学と遺伝学への貢献を認めたうえで、生涯を通じて優生学を唱えたことを理由に、食堂から彼を記念する窓を外した。1952 年にナイトに叙され、晩年はオーストラリアのアデレード大学で研究を続け、1962 年 7 月 29 日に同地で没した。

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