生涯
1946年にカナダで生まれた。本人によると高校時代の成績は振るわなかったが、羊毛の仲買人のもとでのアルバイトが転機になった。テレタイプから流れてくる羊毛の値段がなぜ上下するのかを尋ねると、仲買人は需要と供給の話をし、大学で経済学を学ぶよう勧めたという。
マギル大学で経済学を学び、1973年にノースウェスタン大学で博士号を取った。ウェスタンオンタリオ大学から客員で来ていた1987年のマサチューセッツ工科大学でフィリップ・アギオンと出会う。40歳を過ぎてからの共同研究だった。
1992年の論文のあとも2人の共同研究は続いた。1999年には単独の論文で、人口と研究者が増えても成長率が上がり続けない形にモデルを広げている。受賞時の所属はブラウン大学で、本人は教えることから退いたと語る。2025年に「創造的破壊による持続的な成長の理論」でアギオンとともにノーベル経済学賞を受けた。