ヨハン・ベルヌーイの肖像(Johann Bernoulli (1667 – 1748)・出典: Wikimedia Commons・Johann Rudolf Huber・Public domain)
Johann Bernoulli (1667 – 1748)
出典: Wikimedia Commons・Johann Rudolf Huber・Public domain

ヨハン・ベルヌーイ

Johann Bernoulli

微積分を広め、最速降下線の問題を出し、若いオイラーを導いた

生没年
1667–1748
地域
スイス、オランダ

生涯

1667 年、スイスのバーゼルで生まれた。ヤコブ・ベルヌーイの 12 歳下の弟である。父は家業の香辛料の商いを継がせようとしたが、向いていなかった。1683 年にバーゼル大学に入り、医学を学んだ。数学は兄から教わり、兄弟でライプニッツの微積分をいち早く身につけた。

1691 年、ジュネーブを経てパリへ行き、ロピタル侯爵に微積分を教えた。1696 年にロピタルが出した微積分の教科書は、この講義をもとにしている。1694 年、筋肉の動きを数学で扱った論文で医学の博士になった。1695 年、ホイヘンスの勧めでオランダのフローニンゲン大学の数学の教授になった。1705 年、一家でバーゼルへ戻る旅の途中で、兄の死を知った。ギリシャ語の教授に就くはずだったが、兄の後を継いで数学の教授になり、亡くなるまで 40 年あまり教えた。

1696 年 6 月、最も速く滑り落ちる曲線を求めよという問題を出し、数学者たちに挑んだ。兄とは激しく争い、のちには息子のダニエルとも、流体の研究の先取りを争った。バーゼル大学で学んでいた若いオイラーを指導し、数学に進む道を開いた。パリ・ベルリン・ロンドンなど各地の学会の会員に選ばれた。1748 年 1 月 1 日、バーゼルで没した。

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