
生涯
南宋の時代に、四川で生まれた。生没年は資料によって食い違い、MacTutorは1202〜1261年、竹之内脩の紹介は1208〜1267年とする。父は地方の役人だった。
『数書九章』の序で、秦九韶は若いころを振り返っている。都で天文を扱う役所に通って学び、のちに名の分からない隠者から数学を教わった。異民族との戦乱のころには、辺境で何年も、矢や石の飛ぶ中で過ごしたという。
1244年に母を亡くし、喪に服していたあいだに『数書九章』を書き上げ、1247年に世に出した。問題を9つの類に分けた本で、最初の類には、いくつかの数で割った余りから元の数を求める問題(今の中国剰余定理)の一般的な解き方がある。高い次数の方程式を数値で解く方法も使われ、田畑の広さを扱う類には、3辺の長さから三角形の田の面積を出す術が載っている。
数学の腕とは別に、同じ時代の人が皇帝への手紙で、虎や狼のように乱暴だと書いている。MacTutorによれば、不正で財をなして役を解かれたこともあり、最後は広東の梅州に送られて没した。生前の肖像は伝わっていない。