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生涯
1883年に生まれ、オーストリアで学んだ経済学者である。実家は織物の工場を営んでいた。ウィーン大学でヴィーザーとベーム=バヴェルクに学び、28歳で『経済発展の理論』を出した。
1911年にグラーツ大学の教授となり、1919年にはオーストリアの財務大臣を務めた。1925年から1932年までボン大学の教授で、その年に米国へ移り、1949年に退くまでハーバード大学で教えた。1948年には米国経済学会の会長を務めている。
1942年の『資本主義・社会主義・民主主義』で「創造的破壊」の過程を「資本主義の本質的な事実」と呼んだ。同じ本では資本主義の先行きに悲観的で、「資本主義は生き延びられるか。いや、そうは思わない」と書く。発明そのものより、それを事業にする企業家の仕事に光を当てたことでも知られる。1950年に没した。