ジュリアン・シュウィンガーの肖像(1979 Nobelpreisträgertagung Physik; Bayrisches Frühstück (26.6.79)- Julian Schwinger - LABW - Staatsarchiv Freiburg W 134 Nr. 113933a・出典: Wikimedia Commons・Willy Pragher・CC BY 4.0)
1979 Nobelpreisträgertagung Physik; Bayrisches Frühstück (26.6.79)- Julian Schwinger - LABW - Staatsarchiv Freiburg W 134 Nr. 113933a
出典: Wikimedia Commons・Willy Pragher・CC BY 4.0

ジュリアン・シュウィンガー

Julian Schwinger

電子の磁気モーメントのずれα/2πを量子電磁力学で導いた

生没年
1918–1994
地域
アメリカ

生涯

1918年2月12日、ニューヨーク市で生まれた。ノーベル財団に寄せた自伝によると、最初の論文を書いたのは16歳のときである。コロンビア大学のイジドール・ラビらの計らいで同大学に移り、1939年に博士の学位を得た。カリフォルニア大学バークレー校ではオッペンハイマーの助手を務め、パデュー大学で工学部の学生に物理を教えた。

第二次世界大戦中はマサチューセッツ工科大学の放射線研究所でレーダーの研究に加わり、独りで考えることを好んで、夜に働いた。電子が磁場の中で出す放射を調べるうちに、電子自身の場が質量などの性質を変えることに、古典論の範囲で改めて目を向けた。これが、のちの量子電磁力学の仕事につながった。

戦争が終わるとハーバード大学の准教授になり、2年後の1947年に教授となった。同じ年、ボストンのクラリス・キャロルと結婚している。1948年2月の短い論文で、電子の磁気モーメントが、量子電磁力学の補正でディラックの値の1 + α/2π倍、およそ1.00116倍になることを導いた。1965年、朝永振一郎、リチャード・ファインマンとともにノーベル物理学賞を受けた。1994年7月16日、ロサンゼルスで亡くなった。

姉妹サイト

株式会社Game が運営するメディアです。