ニコロ・タルターリャの肖像(Portret van Niccolo Tartaglia Nicolavs Tartaglia Brixianvs (titel op object) Portretten v…・出典: Wikimedia Commons・Rijksmuseum・CC0)
Portret van Niccolo Tartaglia Nicolavs Tartaglia Brixianvs (titel op object) Portretten v…
出典: Wikimedia Commons・Rijksmuseum・CC0

ニコロ・タルターリャ

Niccolò Tartaglia

三次方程式の解き方を見つけ、『原論』を初めてイタリア語に訳した

生没年
1499 または 1500–1557
地域
ブレシア、ヴェローナ、ヴェネツィア(イタリア)

生涯

1499 年か 1500 年に、北イタリアのブレシアで生まれた。本名はニコロ・フォンターナという。1512 年、フランス軍がブレシアを奪い返したとき、兵士に顎と口蓋を切られる深い傷を負い、うまく話せなくなった。そのため「吃る人」を意味するタルターリャと呼ばれ、自分でもこの名を使った。家は貧しく、数学はほとんど独学で身につけた。

1516 年から 1518 年までヴェローナで数学を教え、1534 年にヴェネツィアへ移った。1535 年、アントニオ・マリア・フィオールとの問題の出し合いの中で、 の型の解き方を見つけて勝った。1537 年の『新しい科学』は、数学を砲弾の飛び方に当てはめた本である。1543 年には、エウクレイデスの『原論』を初めてイタリア語に訳して出版した。

1546 年の『さまざまな問題と発明』には、カルダーノに解き方を明かしたいきさつを書いた。1548 年 8 月 10 日、ミラノでカルダーノの弟子フェラーリとの公開討論に臨んだが、終わる前に町を去った。1557 年 12 月 13 日、ヴェネツィアのリアルト橋に近い家で、貧しいまま没した。

姉妹サイト

株式会社Game が運営するメディアです。