生涯
追悼文によると、19歳で東京大学の地球物理学科を志願した。入試が英語と数学と物理の3科目だけだったのが理由の一つだと、本人が書いている。1960年代の初めにカリフォルニア工科大学で研究員を務め、1963年に東京大学へ戻った。
1966年に地震記録から地震モーメントを見積もる方法を示し、同じ年にマサチューセッツ工科大学の教員となった。岩の硬さと断層の面積と平均のずれの積にあたるこの量は、地震の大きさを表すいちばんの尺度として広まった。単位を「Aki」と呼ぼうという案が出ると、本人は面白がったと追悼文にある。
1984年に南カリフォルニア大学へ移り、南カリフォルニア地震センターの初代の科学部長を務めた。教科書『Quantitative Seismology』の著者の一人でもある。引退後はインド洋のレユニオン島で火山の地震を調べ続け、2005年5月17日に同島で亡くなった。