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生涯
1707 年 9 月 7 日、フランス東部ブルゴーニュ地方のモンバールで生まれた。ディジョンのイエズス会の学院で学び、父の望みで法学を学び始めたが、数学に強く引かれた。1728 年からはアンジェで学び、その後イタリアなどを旅した。
1733 年、パリの王立科学アカデミーに、床に投げた硬貨がタイルの継ぎ目にかかるかを争う遊び「フラン・カロー」の論文を出した。確率の計算に微分積分を持ち込んだ仕事で、翌 1734 年 1 月にアカデミーの会員に選ばれた。1740 年には、ニュートンの流率法の本をフランス語に訳して出した。
1739 年、王立植物園(いまのパリ植物園)の園長になり、亡くなるまでその職にあった。1749 年から『博物誌』の刊行を始め、地球の成り立ちや動物を論じた。予定した 50 巻のうち、生前に出たのは 36 巻である。1777 年の補遺の第 4 巻に収めた『道徳算術試論』で、床に針を落とす問題とその答えを示した。1788 年 4 月 16 日、パリで没した。肖像は、ドルーエが描いた油彩がモンバールのビュフォン博物館にある。
