ピエール・ド・フェルマーの肖像(French: Portrait de Pierre de Fermat Portrait of Pierre de Fermattitle QS:P1476,fr:"Portr…・出典: Wikimedia Commons・Rolland Lefebvre・Public domain)
French: Portrait de Pierre de Fermat Portrait of Pierre de Fermattitle QS:P1476,fr:"Portr…
出典: Wikimedia Commons・Rolland Lefebvre・Public domain

ピエール・ド・フェルマー

Pierre de Fermat

法律家の仕事の合間に、数論と確率論の土台を築いた

生没年
1601 頃–1665
地域
トゥールーズ(フランス)

生涯

フランス南西部のボーモン=ド=ロマーニュで、1601 年 8 月 20 日に洗礼を受けた記録がある。ただし、幼くして亡くなった同じ名の兄の記録だとする説もあり、生まれた年にはなお議論がある。父は裕福な皮革商で、町の第二執政を務めた。トゥールーズ大学で学んだのち、1620 年代の後半をボルドーで過ごし、オルレアン大学で民法の学位を得た。

1631 年、トゥールーズの高等法院の評定官の職を買い、「ド・フェルマー」と名のれるようになった。その後も法院で昇進を重ね、カストルにあった勅令法廷でも務めた。

数学は仕事の合間の研究だった。1636 年からはメルセンヌを中心とするパリの数学者たちと手紙を交わし、整数の性質や、曲線の接線と極大・極小を求める方法を伝えた。1654 年のパスカルとの手紙のやりとりは、確率論の始まりとされる。生前に本として出したものはほとんど無い。ディオファントス『算術』の余白の書き込みは、1670 年に息子のクレマン=サミュエルが出版した。1665 年 1 月 12 日、カストルで没した。

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